(泰山木の花 六義園)
香気満つ泰山木の花器
やっと現俳IT句会の選句が終わる。今月も1093句
全句を通し読みするだけで一回40~50分かかる。
選句を終わらすまでには最低5回は読むわけで、それ
だけでも一苦労です。ここの句会は投句、選句は自由で
どちらか一つでもいいのですが、やはり選句を積極的に
されている方の句は出来もいいように思います。
選句力=詠句力 と言いますが、まさにそれなんですね。
俳句を30年もやっていて今だ自問自答の中に有ります。
それは「客観」と「主観」についてです。私自身が納得して
いる事ですが、読み手としては客観景の裏側にある主観を
汲み取る訓練は出来ているつもりではいますが、いざ詠み手
となるとどうだろうか?伝わるように詠んでいるのだろうか?
などなど・・・・
そんな時にはいつもGHに残された「作句の壺」にある青畝
さんの言葉を繰り返し読んでいます。
「主観と客観は物心一如なり」
『この手が主観であり客観なのだ。しかも客観は手の甲、
主観は手のひら、この手を握りしめれば、手のひらは内側
に隠れて主観は見えなくなる。主観と客観は便宜上分けて
いっているのであって、別々のものではない。それを別々に
したら死んでしまう。実際に句を作るときは、主観を忘れて
客観を良く働かせることが一番大事です。ともすると主観が
あらわに出て邪魔をします。』
なるほどと思うのですが実作になると難しいのです。
たまたま現俳の投句にも主観だらけのものも少なく有りません
また、二物衝突の句でも作者自身の孤の世界を見せられても
何が言いたいのか分かりません。いくら客観+客観といえども
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