徹底的に焼き尽くされた沖縄、人体実験も兼ねていたのではないかと思われる広島・長崎への原爆投下、そしてこの東京大空襲は、アメリカによる無差別大量虐殺だと僕は思う。けれども、日本政府はアメリカ政府に対し謝罪を求めたことはないのではないだろうか。それどころか、基地を提供し、更なる大量虐殺を行う手助けをしている。そして、現政権はあろうことか彼らの大量虐殺を下請けするのかと思えるような法整備を進めている。
僕は、日本はアメリカ政府に対して謝罪を求める必要があると思う。それができないというのは、日本は今も占領状態にあるということを意味しているとも取れる。最近スポットライトが当たり始めた「日米合同委員会」の存在は、それが否定できない事実である裏付けなのかもしれない。
安倍首相の「おともだち」の一人と言われる北岡伸一氏が、安倍氏が用意しようとしている戦後70年談話について「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」という発言をしたとのことだけれど、そのように発言したからといってそれが謝罪とはならないだろう。
「一体いつまで誤ればいいんだ」という大きな声が聞こえる。けれども、これまでのわれわれによる「謝罪」は誤ってほしい人たちには聞こえていなかったのではないだろうかと考える必要があると思う。
もしかしたら、日本の首相がいわゆる「従軍慰安婦」であった方々が住む韓国の「ナヌムの家」や、中国の「南京大虐殺紀念館」を訪れ、誠意を持って謝罪の言葉を述べたり花を捧げることができたら、その気持ちは相手に伝わるかもしれない。
ところで、同じく第二次大戦で枢軸国であったドイツでは、ナチスによるホロコーストを否定する意見はあるものの、政府がそれに疑問を呈するようなことはないのだろうか。いや、駐日ドイツ大使館のホームページでは、メルケル首相が追悼行事に招かれ出席されたという記載がある。
同じページには「人類に対する罪に時効なし」という言葉がある。僕も日本人として、過去に日本人が犯した罪を背負い続けなければならない。それは重いものだけど、「重いから背負いたくない」と言えるものではない。歴史は清濁併せ持っているということから目を逸らしてはならないと思う。
交換条件というものではないけれど、日本が過去と向き合うことが、日本が傷つけた他国の人々の傷を癒すとともに、日本人が受けた過去の傷をも癒し、また今も続くアメリカによる軍事作戦による被害を軽減することで、人々がこれから受けるかもしれない傷を軽減することになると思う。それこそが「積極的平和主義」ではないだろうか。