僕自身は彼らに遭遇したことはない。けれども、それは彼らに反対する意思を示しに行っていないという事でもあり、申し訳なく思う。
ニュース番組などで、特定の民族に対し、彼らを殺せといった内容の街宣を行う映像を何度か見たことがある。他民族に対する憎悪もどうかと思うけど、それ以前に「殺せ!」などという言葉が「表現の自由」で守られるべき表現には入らないだろう。
そんな中で、在日外国人に対する「在日特権」の存在に対する批判が強まっている。その「在日特権」の存在がデマだということははっきりしているのに、大きな声でその存在が叫ばれ続け、その声を聞き信じる人が続く。彼らは在日アメリカ軍の「在日特権」には指一本触れようとしない。それは「守っていただいている」という認識なのだろうか。
そんなことを思っていた時に書店に寄ると、この『在日朝鮮人』という本を店頭で見かけ、読んでみることにした。
小学校の頃の同級生が在日朝鮮人だったということを後に聞いた。同級生の頃は何も意識せず一緒に遊んでいたけど、その頃から別の同級生が朝鮮人を指す言葉を彼に対して言っていた。それも、後になってそういうことだと知った。知ってしまうといろいろ意識してしまうけど、その頃には彼はもう転校してしまっていた。
彼らがなぜ日本に来て、そして今も日本に住み続けているのかについて、漠然とは知っているものの、深く考えることはなかった。以前観た映画『パッチギ!』で少しではあるけど、彼らの存在について考えたことがあったくらいだろうか。
さて、この本では明治半ば以降現在に至るまでの在日朝鮮人を巡る流れについて、時代背景とともに丁寧に追っている。その時代について僕の高校時代の日本史授業では受験シーズンと重なっていて任意受講が認められていたけど、僕は数人の同級生とともに授業を受けていた。今も高校ではこの時代をそのように扱っているのだろうか。
この本を読んでいて、日本は実に自分たちに都合よく朝鮮の人たちを利用していたのかと唖然とした。必要な時には募集をかけ、また第二次大戦に入り国内生産に必要な人員が確保されなくなると強制連行や強制労働が行われ、一方で労働力として必要なくなると邪魔者扱いされた。そして、戦後の日本政府による彼らの扱いも、東西冷戦や南北朝鮮分断という時代背景も加わり、政府にとって都合のいい内容に終始しているように感じられた。いや、そんな「自分には関係ない」とも取れるような言葉を使ってはいけないと思う。
この本を読んでいた時に、作家という曾野綾子氏による産経新聞コラムを巡っての騒動が起きた。「アパルトヘイトを称揚していない」と曾野氏は言っていたけど、本人の意図とは関係なく、言葉として表に出たと同時にその意味は受け取り手がどう思うかによって決まるだろう。そして、ご本人は意識していないだろうけど、心の奥に差別意識があると感じられた。彼女のこの発言には別の問題も指摘されるけど、それはまた別の機会に。。
一方、外国人を研修生として受け入れる制度があるけど、この制度にも「低賃金で重労働に従事させている」といった問題も指摘されていて、そうしたことに起因する事件も起きている。上手くいっている事例の方が多いのかもしれないけど、だからといって不幸な例外が許されるものではないだろう。
この本を読んで、今議論されている「外国人労働者受入れ」が、在日韓国・朝鮮人の人たちがこれまで、そして今被っているのと同じような苦しみを再生産するものになることを懸念する。それは、日本人にとってもいいことではないと思う。
難しい問題がいろいろと複雑に絡む中、こうした本を多くの人たちが読むことが「われわれが目指す社会」を考えるきっかけを掴むことを願う。