踊る小児科医のblog

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福島県の甲状腺がんマップ(201612)市部・3地域郡部別比較

2017年01月02日 | 東日本大震災・原発事故
前2つのentry(最後にリンクを列記)の続きで、13市と3地域の郡部との有病率比較をマップ化してみました。同様に「扱い注意」で、今後の推移を観察するために比較可能な形で提示したものであり、何らかの意味が読み取れるかどうかはこの時点ではわかりません。

先行検査①201606追補版


本格検査②201612暫定版


☆注意☆(追記)
このマップはタイトルおよび前entryで説明したように、13市以外の郡部については浜通り・中通り・会津の3地域で一括して比較しています。マップだけ見て各市町村ごとに色分けしているように誤解することのないようお願いします。市町村名が入っていないので、某所から拝借した地図を参考として載せておきます。(浜通り・中通り・会津の境界は「本格調査②暫定版」で分けられている線です)



有病率(発見率)は10万人あたりの人数で、スクリーニング効果や検査間隔での補正作業を行っていない、そのままの数字です。

前述のように、先行検査①のスクリーニング効果を10倍、本格検査②を2〜2.5年とすると、本格検査②では1/4に減少していなければならなかったのですが、県全体として先行検査①が38.3、本格検査②は25.1(2016年12月現在)で、受診率で補正すると先行検査①に匹敵する30台に乗ることが予想されます。(※)

色分けは前entryの表に準じていますが、より細分化し、色の違いがわかりやすいように変更しています。

市部・3地域郡部別有病率:先行検査①・本格検査②(10万人あたり)


白  0
桜色 0<
桜鼠 10<
虹色 20<
宍色 30<
赤紫 40<
中紅 50<
茜色 60<

※一次検査
  受診者 270,454人
  判定  270,431人(99.99%)
 二次検査
  対象者 2,222人
  受診者 1,685人(75.8%)
これらの数字で補正すると推定有病率は33.2となる。

<関連リンク>
福島県の甲状腺がん 二巡目で確定44+疑い24=68人 有病率25.1→推定発症率10.0人/10万人(201612)
2016年12月28日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/077c3feb0d7465c3e4e40fb32747baf6

福島県の甲状腺がん(201612)13市と3地域郡部別比較(暫定版)「地域差無し」とは言えない
2016年12月31日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/c552065a58e08d9f24e5b199bc6bb170

福島県の甲状腺がん(201612)13市と3地域郡部別比較(暫定版)「地域差無し」とは言えない

2016年12月31日 | 東日本大震災・原発事故
この表の数字(マップ化する予定ですが作業未)は、1)本格検査(2巡目)についてはまだ7〜8割の段階であることと、2)市部の個々の数字については規模によって誤差が大きくなるので、この比較だけで何か言えるわけではないことを最初におことわりしておきます。
(1)については、特に会津地域の二次検診がまだ進んでいないものと思われます。)



地域別の比較の作業を以前一度試みてみたのですが、ポリシーの一貫性がなく不首尾に終わってました。
今回は、わかりやすさと継続性を重視して、福島県内の13市と「浜通り・中通り・会津」郡部の16地域に分けて比較してみることにしました。
(浜通りの中には差があることも承知していますが、人口規模を考えると個別に比較することは難しいと思いますので)

受診者数は、市部では相馬市の4,749人から郡山市の48,034人まで幅がありますが、13市合計で217,865人。
浜通りの郡部は10,797人、中通りの郡部は29,892人、会津の郡部は11,900人でした。

この表の数字は、一次検診受診者数あたりの甲状腺がん「疑い+確定」患者数を「10万人あたり」で表したものであり、前のentryで行ったような操作(先行検査ではスクリーニング効果10倍と仮定して1/10、本格検査では検査間隔を2.5年として1/2.5)を行っていない段階の、単純な「発見率(有病率)」であることにも留意してください。

(この仮定の元で増えずに一定の割合で検出されているとすると、本格検査②は先行検査①の1/4のレベルにならなくてはいけないのですが、実際にはほぼ同じレベルに達しようとしています)

マップにしてみるともう少し何か言えるかもしれませんが(…あるいは先走った誤解を助長することになるのかもしれませんが)、少なくとも「福島県内で地域差はみられない」という委員会の中間とりまとめの結論は、否定されつつあると言えそうです。

福島県の甲状腺がん 二巡目で確定44+疑い24=68人 有病率25.1→推定発症率10.0人/10万人(201612)

2016年12月28日 | 東日本大震災・原発事故
これまでの予想より上方修正して、単純計算でも先行検査に迫る有病率になることが予測されるようになりました。

● 先行検査(1巡目)
<2016年6月追補版>
確定101+疑い14=115人
有病率 38.3人/10万人
推定発症率 スクリーニング効果10倍として 3.83人/10万人・年

● 本格検査(2巡目)
<2016年9月>
確定34+疑い25=59人
有病率 21.8人/10万人
推定発症率 検査間隔2.5年として 8.7人/10万人・年

<2016年12月> 12/27発表
確定44+疑い24=68人(+9人)
有病率 25.1人/10万人
推定発症率 10.0人/10万人・年

グラフは以下の通りです。


ここで、12月のデータを「一次受診者の判定率と二次対象者の受診率が100%」として計算すると、
有病率 33.2人/10万人
という数字がはじき出されます。
あれほど「スクリーニング効果だから何の心配もない」と訴え続けてきた先行検査の「38.3人」に近い数字が、たった2〜2.5年で検出されようとしているわけです。

なお、依然として多くの方は先行検査と本格検査の患者数を累積して○人(今回は183人)になったと訴えているように思えますが、このグラフと上のグラフの違いをご理解ください。


累積患者数は10年20年と続けていけば増えていくのは必然で、その数字に意味はありません。

福島原発事故後の5年半に青森県保険医協会の新聞に掲載した9回分の原稿を読み直してみた

2016年11月16日 | 東日本大震災・原発事故
2011年の東日本大震災・福島原発事故後の5年半の間に、青森県保険医協会(医師・歯科医師約1300人)の新聞の連載「核燃を考えるリレートーク」に掲載した9回分の原稿を読み直してみた。不幸なことに、震災直後から危惧した事態は現実のものとなってしまった。書いたことが間違いではなかったのが「不幸中の幸い」と言っても、喜こべません。記録としてリストアップしておきます。

1) 2011.9「福島原発事故後に考えたこと「まだ終わりではない 今度こそ終わりにする」」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1c19919dd5ce082a459bfbce72cb8453

2) 2012.10「原発ゼロでも核燃サイクル堅持を喜ぶ青森県の悲喜劇 中間貯蔵施設をどうするか 最低→最悪政権の次の選択は」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/9b36c43a3bd1fb5e47ecda772541182d

3) 2013.7「福島県の甲状腺がん検診結果をどう読むか 発生率1〜2人/10万人はベラルーシと同じ」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7098ce074b9500449ee9c5f8dc2bfb52

4) 2013.12「原発推進と秘密保護法は表裏一体 福島県の甲状腺がん検診続報 原発は民主主義の対極にある」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/5ee5a44b449709fcfe1610397f3ec378

5) 2014.11「脱原発のために「核のゴミ」県内長期保管の議論を」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/c79c98633ce5b27497cab3ed280df6ad

6) 2015.5「繰り返す「国家の暴走を止められない歴史」戦争、原発、タバコ」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/3f9212dc4ac96329d2c00c252b9696ae

7) 2015.11「福島県の小児甲状腺がん 本格調査で「増加」が明らかに」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/81abc3d45c9d6868551d433340e0943e

8) 2016.6「新認可法人「再処理機構」は自滅サイクルの始まり」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1fde7406616018033675591a714c52b4

9) 2016.11「福島県小児科医会の甲状腺検査見直し要請を憂慮する」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/80a774093d908a0cbff92b6ac2e55f11

福島県小児科医会の甲状腺検査見直し要請を憂慮する

2016年10月24日 | 東日本大震災・原発事故
 甲状腺がんに関する錯綜した状況について、何らかの判断ができるのは三巡目を見てからで、最終的な結論には10年は必要、それまで医療不信を解消しつつ受診率を維持することが肝要とお伝えしてきたが、危惧していた事態が現実となってしまった。

 鎌田實氏は「福島県小児科医会には、驚いた。いったい、どういう考えなのだろうか」と批判した上で、「二巡目でも多数見つかっていることは、スクリーニング効果では説明できない。不安を取り除くには、しっかりと甲状腺検査をし、見つかったがんはできるだけ早期に治療すること。もし甲状腺検査を縮小すれば、不信感が起こり、かえって不安を増長することになる」という至極真っ当な見解を表明した(毎日新聞)。

→さあこれからだ/132 甲状腺検査縮小 隠れる真実=鎌田實
 毎日新聞2016年9月18日
 http://mainichi.jp/articles/20160918/ddm/013/070/026000c


 同会が福島県に要請した声明を確認してみたが、縮小という文字はないものの、「事業実施の一部見直しを含む再検討」という表現には現状維持という意味はなく、地元紙の記事でも「会長は、規模を縮小しても放射線被ばくによる影響の有無などを把握することは可能との認識を示した」と、明確に規模縮小について言及している。

→平成28年度福島県小児科医会声明(2016年8月28日)
 http://fukushima-ped.jp/archives/147.html


 これに批判的な意見の中には、一巡目での「多発」が確定的であるという見解が含まれているが、ここではその立場はとらない。3月に発表になった「中間とりまとめ」では、被曝線量、発見までの期間、事故当時の年齢、地域別の発見率の4点を総合的に判断して、放射線の影響を「完全には否定できない」が「考えにくい」と評価している。しかし、この評価には二巡目との比較を考慮していないという重大な欠落がある。

 同会の声明にも二巡目と比較して考察した形跡は見当たらない。

 ここで、9月までの甲状腺がん検出状況を確認してみると、先行検査(一巡目)では確定101+疑い14=115人、本格検査(二巡目)では確定34+疑い25=59人。有病率は先行検査が38.3人、本格検査は21.2人/10万。推定発症率の推移はグラフに示した。「先行検査は保留、本格検査での増加は確実」という1年前の判断は何ら変わりない。



 推定発症率は、スクリーニング効果を10倍と仮定して計算した。これを20倍まで上げれば、検討委員会の評価も妥当と言えるかもしれないが、その場合は本格検査との差が更に大きく拡がってしまう。原因の如何に関わらず、本格検査での増加は否定できない。

 生検や手術は従来からのガイドラインに従って実施されており、過剰治療の可能性は否定されている。本格検査における年齢分布が先行検査と大差ないことは希望的材料と言えるが、現在の検出状況を合理的に説明できる見解はどこからも出されていない。

 いずれにせよ、最低でも三巡目の結果を待たなくてはならず、「中間とりまとめ」でも検査継続の必要性が強調されている。同会の要請は問題点をはき違えた間違った判断だと言わざるを得ない。

 何よりも問題なのは、同会の要請に対して、全国の小児科医や医療関係者から批判的意見が全くと言っていいほど聞こえてこないことだ。鎌田氏が指摘したように、この事態が医療不信を増長させたことは間違いない。

(この記事の内容は環境部や保険医協会の統一見解ではなく、青森県小児科医会とも全く関わり合いがないことをお断りしておく)

※某業界紙に掲載予定の原稿です

「甲状腺がん累積174人」という数字(足し算)は無意味。有病率・推定発症率(割り算)が問題

2016年10月08日 | 東日本大震災・原発事故
安倍首相が福島県の甲状腺がんの患者数を答えられなかったからと言って鬼の首をとったように騒いだり溜飲を下げている方たちへ。お願いだから、少し頭を冷やして、一緒になって脱原発や社会のあり方を変えていく方向で考えていただけませんか。

別の原稿を書いている途中のところですが、この2つのグラフの違いは、一目みればおわかりいただけると思います。

1)累積患者数(2016.09)


先行検査①で115人、本格検査②で59人、合わせて174人もの甲状腺がんが発生している、さあ大変!
とおっしゃっている方の頭の中には、こういった積み上げグラフのイメージがありませんか?

2)有病率・推定発症率(2016.09)


こちらについては、確定した評価方法が提示されているわけではありませんが(=そのこと自体が大問題)、先行検査①と、その後の本格検査②とで、有病率や推定発症率がどう変化しているか(増えているのか減っているのか)を比較するために、独自に、
 先行検査① 10で割る(スクリーニング効果10倍)
 本格検査② 2.5で割る(検査間隔2.5年)
という方法でグラフ化したものです。
(詳細は一つ前のentryや、ブログ内で「甲状腺」で検索して過去の記事を御覧ください。)

当ブログでは、先行検査①の「多発状況」が放射線被曝のために増加しているかどうかは保留のままとしております。スクリーニング効果を20倍程度と仮定すれば、ほとんどがそのためと考えることも可能ですが、前entryにも書いたように、そうすると本格検査②との差が更に広がってしまい、本格検査②の検出状況は危機的な数字ということになってしまいます。

1)の累積患者数で先行検査①に本格検査②、本格検査③(まだ始まったばかり)を足していくことでは、何もわかりません。

最大の焦点は、2)のグラフの右下にある本格検査③の0という数字です。
これが先行検査①、本格検査②よりも更に上に伸びていくのか、その中間か、①と同程度か、①よりも下回るか。
それによって、これまでの数字の意味合いは全く変わってきます。

だから、検査はまず三巡目まで見て、その後最低でも10年までは追い続けないといけないのです。

前entryの最後と同じ結びですが、その意味で、福島県小児科医会の要望は言語道断だと言えるのです。

福島県の甲状腺がん 115+59=174人 本格検査の推定発症率(8.72)は先行検査(3.83)の倍以上

2016年10月02日 | 東日本大震災・原発事故
2月以降作業できていなかったのですが、6月と9月発表のデータを一緒にチェックしてみました。結果としては新たな変化はなく、これまでと同じペースで甲状腺がん(確定・疑い)が増えており、その解釈は三巡目以降の変化にかかっているという点でも見解は変わりません。
-------------------------------------------------------------------------------------
先行検査①(2011-13)
       甲状腺がん     有病率   推定発症率
       確定+疑い=合計  1/10万 (※1)
2015年8月  98 14 112 37.3  3.73
2016年6月 101 14 115 38.3  3.83
-------------------------------------------------------------------------------------
本格検査②(2014-15)
       甲状腺がん     有病率   推定発症率
       確定+疑い=合計  1/10万 (※2)
2016年2月  16 35 51  21.6  8.64
2016年6月  30 27 57  21.3  8.52
2016年9月  34 25 59  21.8  8.72
-------------------------------------------------------------------------------------


(これまで折れ線グラフで表記していましたが、各時点での検査の進捗状況を<増加>と誤解しやすいので、縦棒グラフに変更しました)

9月から三巡目の本格検査の結果も公表されていますが、まだ判定結果は出ていません。混同を防ぐため、ここでは先行検査①、本格検査②、本格検査③と表記することにします。

先行検査①では経過観察の中で確定が3人増加し、115人に達しています。本格検査②でも51→57→59人と増加し、その中で確定例の割合も増加しています。

ここで、先行検査①(115人)と本格検査②(59人)を足して174人に増加したと書くことは、それ自体間違いとは言えませんが、それぞれの検査の性格と経時的変化を見誤ることにつながるので、ここでは「足して増えたと騒ぐ」のではなく、「割って比較する」ことを続けています。

有病率(検査集団における発見率)は一次検査受診者数を分母にして単純に割った数字で、推定発症率は当ブログでは独自に次のような方法で比較しています。
 ※1 先行検査① スクリーニング効果を10倍として 1/10
 ※2 本格検査② 検査間隔を2.5年として 1/2.5

繰り返しになりますが若干の説明を加えます。スクリーニング効果にもっと大きい数字を入れれば先行検査①における推定発症率は低くなりますが、本格検査との差がより大きくなってしまいます。本格検査②の検査間隔は2年の人が多いので、平均すれば2.5年よりも短くなるので、2.5で割っているのは保守的な数字です(実際よりも低く見ている可能性が大きい)。

推定発症率は、
先行検査①が2016年6月の時点で 3.83
本格検査②が2016年9月の時点で 8.72

本格検査②の59人の、先行検査①の結果は「A判定が54人(A1 28人、A2 26人)、B判定が5人」です。

スクリーニング効果が大きいと思われる先行検査①の115人で大騒ぎしている人が、その後たった2〜2.5年で59人(本格検査②)も発症(*)していることに鈍感なのは、繰り返しになりますが、「割らずに足している」からだと思われます。

*ここで言う「発症」は、がんが実際に発生した時期に関わらず、検査で検出されて診断されるまで増大したことを意味します。

本格検査②だけで判断すれば、これまでと同様に「先行検査①と比べて増加は明らか」となりますが、これが実際に意味のある数字なのか、何らかの影響による見かけ上のものなのかは、三巡目以降の結果を追っていかないと判断できません。

その意味でも、福島県小児科医会の要請は言語道断と言えます。その点については、稿をあらためたいと思います。

新認可法人「再処理機構」は自滅サイクルの始まり

2016年05月23日 | 東日本大震災・原発事故
 現実は複雑に動いているので、ニュースを拾い集めていないと「あの時が転機だった」と後になって気付かされるような、静かな地殻変動が起きていると考えている。

 考慮すべき要素が多すぎて、結論に辿り着くには紙幅が足りない。安倍政権と規制委員会の原発再稼働・「神話」復活路線、高浜停止と川内稼働継続に分かれた司法判断、熊本地震と伊方再稼働、高レベル廃棄物処分地選定、玄海町長の誘致意向報道、東海村のプルトニウム返還、県内4施設の停滞と地元経済困窮、再処理認可法人の法案成立、もんじゅ存続を前提とした報告書、トランプ候補の日韓核武装発言、内閣法制局による核兵器保有・使用合憲論、日米原子力協定改定、オバマ大統領の広島訪問、参院選(または衆参同日選)野党共闘、そして福島原発の廃炉難航と汚染水放出問題。

 表面的にみると原発・再処理・もんじゅ・核兵器という安倍政権の推進政策が並んでいるに過ぎないが、これらを強硬に推し進めようとしても、あらゆる局面で頓挫することが目に見えている。 

●再処理機構の付帯決議「柔軟性」の意味とは

 注目すべきは再処理認可法人の付帯決議として、サイクル政策の柔軟性の確保、余剰プルトニウム不保持という原則の堅持などが明記されたことだ。柔軟性というのは従来の計画にも入っていた文言だが、全量再処理を中止して直接処分または部分再処理に変更するという意味であり、全量再処理が不可能だと認めて法律の非現実性を取り繕うための決議だと考えられる。

 この法律について、3月の集会で浅石紘爾氏は「核燃官僚の暴走 瀕死の再処理・延命措置」と批判し、筆者も「核燃永年継続法」と呼んできたが、実際には再処理が経済的にも成り立たず、電力自由化で電力会社が逃げ出すことを禁止した法律であり、核燃サイクルの破綻を政府自ら認めたものと言える。

 その「拠出金」は電気料金から捻出されるわけだが、多くの国民が自らの意志として既存電力から他の電力事業者に乗り換えれば、電力会社は原発の安全対策・維持費と再処理拠出金に加えて加入者減という三重苦により自滅の道を辿ることになる。県内では電力事業者の選択肢が限られているが、全国の保険医協会で会員医師・歯科医師の意向を調査して発表するだけでも大きな力となり得る。

 太陽光発電などにより電力会社の支配から脱出し、発言権を確保することも有効な手段だ。筆者も2012年秋から太陽光パネルを設置しており、4月の発電実績をみても使用量より発電量が、買電より売電量の方が多くなっている。夜間や曇天時には買わなくてはならないが、それが原発必要論の根拠とはならない。

●最終処分場解決にはサイクル政策転換が必要

 最終処分場問題は「全量再処理」を前提としている点で絵空事であり、経済的・環境的にみても直接処分を選択する以外に解決の見込みはなく、安倍政権下では進展しない。

 現在稼働している原発は川内だけであり、もし熊本地震のために超法規的判断で停止させたら、規制基準と司法判断という二重のお墨付きを否定することになり、他の原発の再稼働は事実上不可能となる。安倍政権は川内原発を死守するしかなく、国民はまたしても危険な賭けの俎上に乗せられている。田中委員長は「科学的根拠」がなければ国民の声は考慮する必要がないと明言しており、単なる選挙結果だけでなく、この国の「システム」の根本的な見直しが必要だ。本来なら震災後に見直されなければならなかったが、2012年秋に頓挫した経緯はすでに述べた。

●もんじゅ存続断念が瓦解の始まり

 六ヶ所再処理工場は、原発再稼働も最終処分場も行き詰まった状態で、国際環境も厳しく、稼働開始はあり得ない。熊本地震で活断層の破壊力を見せつけられた状況で、活断層問題で限りなくクロに近い東通原発再稼働の可能性も極めて低い。大間とむつが先んじて進む心配はない。どこから破綻するかは予見できないが、もんじゅ存続断念と全量再処理見直しから瓦解が始まると考えている。

 その前に福井県では既に廃炉時代に入り、廃炉ビジネスに生き残りの道を見出そうとしている。青森県や地元自治体が原発再稼働・核燃サイクル推進という幻影にしがみついている間に、廃炉・廃棄物ビジネスにも乗り遅れることになる。

(某業界紙掲載予定原稿)

「想定外の事故は起きない」という現代の矛盾逸話 原発停止のための法制化が必要(=選挙結果が)

2016年04月27日 | 東日本大震災・原発事故
「想定内で判断している。想定外と言ってはいけないと肝に銘じて規制している」「どういう状況が起こっても想定外の事故が起きるとは判断していない」
【熊本地震と川内原発】「想定外ない」田中委員長が強調する安全神話 2016年4月18日
http://tanakaryusaku.jp/2016/04/00013432

田中委員長の「あらゆる想定外は存在しない(=想定している)」という、小学生でもわかる現代の「矛盾」逸話。少し古くなったけど状況は変わっていないので、蛇足のコメントを付け加えておく。

あらかじめ基準とした「想定内」があって、その外の「想定外」の事故まで想定して規制しているということであれば、その「想定外」の事故は「想定内」であり、この作業を繰り返すと「想定」の枠組みは拡大し続ける。

その「拡大した想定」の枠組みの外には更に「想定外」が存在するのではないかと推測するのが科学的だが、田中委員長の見解はそうではない。全てが「想定内」であり「想定外」は存在しない。これは、記事の見出しにある「新たな安全神話」としか言いようがない。川内原発は絶対に安全であると。

実際には、「無視していい状況」として「飛行機の自爆テロやミサイル攻撃」と「破局噴火」の2つが除外されている。前者は世界のあらゆる原発が無防備なのだから日本も同じでいい。後者は万が一起きたら周辺地域の人はみんな死ぬんだから原発だけ心配しても仕方がないというのが理屈。

(直下あるいは直近の断層による震度7の地震で問題なく緊急停止・冷温停止できるかどうかという問題はここでは直接取り上げていませんが、下記の「隙間問題」に相当)

その2つの「無視していい状況」(←別に私たちが無視していいと言ってるわけではない)と、「最大限に拡大した想定内の枠組み」の間には「何も存在しない」というのが田中委員長の仮説。当然のことながら、「想定外の破局事故」が起きない限り否定できないが、肯定する根拠もない。(賭け)

熊本・大分の群発地震は、一旦は沈静化していくと思われるが、数カ月あるいは数年単位で何が起こるか(起きないか)は専門家でも予測することは困難。破局噴火でなくても、大規模な火山噴火により、大停電や交通機能、行政機能の麻痺が起こりうることは今回の地震から容易に推測できる。

また、田中委員長は今後の地震対応について「法律上、安全上、懸念がある場合は止めることができるが、今のところ科学的根拠がない」と述べたと伝えられている。だとすると、たとえ選挙で国民の多数が川内原発の停止を求めて勝利したとしても、止めることは不可能という結論になる。

原子力規制委員会が稼働を認めた原発(現時点では川内原発)は、もし政権交代が起きようとも停止することはできない。行政、政治(主権者である国民による選挙の裁断)のレベルでは覆せない。司法も高級審での停止判断は事実上期待できない。よって規制委員会の判断は絶対権力となる。

(菅元首相が超法規的手段で停止させた例にならうのではなく、何らかの形で法制化して、状況の変化に応じて法律の枠内で停止命令を出すことができるように変えないと、規制委員会が主権者である国民・国会のコントロールが効かない存在として暴走する危険性が高い。)

安倍首相が熊本群発大地震で川内原発を止めたくても絶対に止められない理由とは…

2016年04月21日 | 東日本大震災・原発事故
安倍晋三・現首相(以下A)はこの大博打<川内原発稼働継続>をする資格のない人物である。最初の首相在任時に「原発の全電源喪失は起きない」と断言して福島原発事故を引き起こした張本人の一人なのだから。結果的に、福島の責任も問われず良心の呵責も何ら感じずに、再び賭けに興じる機会を得た。

この賭けはAが勝つ確率の方が当然大きい。しかし、万が一負けたときには国民、国家、国土に取り返しのつかない損失を与える。その際には、同じようにAは責任も問われず良心の呵責も何ら感じずに済む。Aにとって川内原発を停止するメリットは皆無であり、稼働継続以外の選択肢はあり得ない。

Aのような人物を首相に選んで衆参における絶対多数という権力を与えてしまえば、今回に限らず形は違えど似たような事態に陥ることは、少しでも思慮深く考えることのできる人なら想像できたはずだ。簡単に言えば、お金と人の命を天秤にかけてお金を選ぶことができる人間かどうかという問題。

熊本の最初の震度7(14日)の段階で川内原発を停止させないのは怪しからんというご意見には賛同しかねます。原発はガスコンロみたいに揺れたら消して収まったらまた着けてなんて気軽にできないし、緊急停止はそれ自体リスクが高いプロセスなので、震度4で一々止めていたらかえって危険。

ここでお断りしておきますが、私は原発即時ゼロを求めているし、全ての原発再稼働には反対です。14日(震度7)の段階はともかく、16日未明からの誰にも予想できなかった状況を見て、今のうちに川内原発を通常停止させておくべきとは思うし、それを実現できる手段があるのなら教えて欲しいと思う。

菅元首相が浜岡を超法規的手段で停止させることができたのは、福島の惨状をみて、国民の大多数が浜岡停止を支持したから(当時はまだ汚染状況もメルトダウン自体も国民に知らされていなかったにも関わらず)。中電は国に損害賠償を訴えることもできた。しかし、それは事実上不可能だった。

Aが同じように川内原発を超法規的に停止させれば、国民の支持を集めて政権運営や参院選に有利に働くという打算も想定可能だろう。しかし、それは絶対にあり得ない。せっかく二つの法的なお墨付きを得たのだから。原子力規制委員会の承認と裁判所の仮処分棄却という二つを。

特に裁判所は、耐震性などの規制基準を満たしていれば法的には再稼働に問題はなく、破局噴火は事実上無視しても構わないという司法判断を示した(仮処分棄却という段階であれ)。もし川内原発で重大事故が起きても、規制委員会と裁判所という二重のお墨付きにより、首相であるAの責任は全くない。

無論、規制委員会は最初から規制基準は安全を担保するものではないと逃げ道をつくっているし、重大事故が起きることを想定して避難は自治体や国に責を負わせている。司法当局がその判断について責任を問われることはない。巴構造のように、三者がお互いに責任を問われずに済むシステムになっている。

せっかく裁判所のお墨付きが得られたばかりなのに、Aが菅元首相のマネをして超法規的に川内原発を停止させれば、規制基準や司法判断が誤りであったと自ら認めることになり、全国で訴訟が起きている状況で、今後の原発再稼働は事実上不可能になってしまう。高浜の司法判断を覆すこともできない。

もし震度7の地震が川内原発を襲ったとしても、緊急停止と冷却装置稼働により無事に冷温停止できれば、世界一安全な基準・原発だと国内外に胸を張って主張できる。もしダメでも、規制委や司法判断により自らの責は問われない。どちらに転んでも損はないのに、火中の栗を拾うメリットはない。

都合の良いことに、共産党が停止要請をしてくれた。首相が規制委や裁判所の判断を無視して超法規的に停止させれば、三権分立に背く憲法違反であり、それを要求する共産党の違憲性を問うことができる。共産党などの違憲・違法の要求に屈しない姿勢は支持層にアピールすることもできる。

(こんなところで「憲法違反の法律を制定した戦後初めての首相」であるA自身が野党の主張を憲法違反として批難する権利があるとは思えないが、何しろAは憲法に関する知識・認識が欠如していて憲法違反であるという認識が全くないのだから、その矛盾をついても鼻先で笑い飛ばすだけだろう)

(安倍晋三・現首相をAと略していることについて疑義があるかもしれないが、1)繰り返し使用する名詞は長くなるので字数制限のあるTWの中では省略した、2)繰り返し登場する名称について書いたり読んだりする際の不快感を軽減する、3)個人のTWのつぶやきの問題であると答えておこう)

私たちは、国民の命を最優先にしないロシアンルーレットのような賭けの中に勝手に放り込まれている。1)川内原発に大きな影響がなく運転継続、2)激震で緊急停止・冷温停止、3)重大事故、これらを三択で選ばざるを得ないという設定自体が間違っている。そもそも原発というのはそういう存在。

原発・核燃サイクル・最終処分などの問題について、様々な方が「中立的」な意見や、二項対立からの脱却をなどと訴えることは、(その論理が正しく良心的な思慮から生まれたものであったとしても)現実的な解決策になり得ないだけでなく、推進派から「歓迎すべき意見」として囲い込まれてしまう。

「二項対立から脱却」することが不可能な(=政策転換がしたくてもできない)事態に陥っているのは、推進派の方だ。それは、福島原発の破局的事故という絶対に起こしてはならない事態を経験しても、根本的な見直しをするができずに推進路線を突っ走っていることからも明らかだろう。

原発・核燃サイクル等の問題については、「反対派」ではない中間派、慎重派、保留派、消極的現実容認派、選挙棄権・無関心派といった人達は全て「賛成派」にされてしまう。小出先生が著書のタイトルに『騙されたあなたにも責任がある』とつけたのには、そういう意味も含まれていると思う。

<例えば最終処分の問題は、推進側がこれまでの誤りを認めて謝罪し、原発・核燃政策の根本的見直しを表明した上で、相当の年月をかけて開かれた国民的議論を続けていかなければ解決できない。これは現政権では不可能。「海か山か」という問題ではない。「民主的政権」の存在が最低条件>

もし川内原発を止めるべきだという人の中に、現政権における選挙で与党議員に投票したり棄権した人がいるなら、発言権はない(…いないと思うが)。現実は勝つか負けるかの戦争なのだから、選挙(北海道補選・参院選)で結果を出すしかない。停止要請や署名、デモなんてほとんど期待できない。

川内原発を止めることは原発ゼロを勝ち取ることに匹敵する最前線の戦い。相手は国家・産業界・米国軍産複合体まで及ぶ巨大権力であり、一筋縄ではいかない。ただし、おそらくA政権内でも身内や支持者からの声も高まって、官邸でも止めるオプションは考慮したはずだが、何もできず進退窮まっている。

東日本大震災・福島原発事故という大惨事を目の当たりにしながら、この国の自然災害を甘く見たことを悔いても遅い。A政権には参院選までに熊本群発地震が鎮静化し、川内原発が何事もなく運転継続することを祈るしか選択肢はない。激震で緊急停止すれば事故に繋がらなくとも二度と再稼働はできない。

前述のように、この賭けはAが勝つ蓋然性の方が高く、川内原発を停止させなければ我々は一緒に無事を祈るしかない。そしてAが賭けに勝てば安全性が証明され全国で再稼働が続くという矛盾した事態に陥る。川内を止めるためには、Aを首班から引き摺り下ろす以外の選択肢はないというのが陳腐な結論。

(公明党や自民党内の反乱という可能性についても考えてみたがほとんどゼロに近い。民進党が川内原発の停止要請をしないことに決定したことで、稼働継続はほぼ間違いない。北海道補選でダブルスコアに近い差がつけば事態は流動的になるかもしれないが、あとは野となれ山となれ。)

3月15日の林経産相答弁 再処理認可法人は経済的責任のみ 再処理(事業・事故)の責任は事業者

2016年03月16日 | 東日本大震災・原発事故
昨日(3月15日)の報道では大塚代議士のどういう質問に答えられなかったのか、肝腎なところがさっぱりわからなかったので、深夜に参院の動画を見てメモしてみた。疲れて眠くなったので途中で止めている。メモを読み返しても自分でもわからないところがあるが、正確には議事録を参照して下さい。単なる自分のためのメモですので。

再処理の認可法人の法的責任に関する質疑だったようだ。この点については3/6の浅石氏の講演でも事故の責任は事業者にあると話していた。大塚氏の質問は事故責任だけでなく再処理事業の責任も含まれているようだが。

この認可法人の法案は「再処理永年持続法」とでも言えるトンデモ法で、電力会社が破綻しても原発で使用済み燃料が生じた分、再処理費用は強制的に取り立てて、再処理だけは続けるという。。想像するに、全ての電力会社が破綻して原発がゼロになっても、再処理だけは「着実に」続けられるという法律なのかもしれない。この辺りは不明確だし、まだ法案自体提出されていないが。。

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林  …責任は事業者にある
大塚 なぜ今の仕組みでは問題なのか
林  自由化でも着実に…
大塚 今の仕組みでは着実かつ効率的でないのはなぜか
林  (答えられない)資金を確保、一部の事業者が破綻しても確保、着実かつ…
大塚 今の仕組みではなぜだめなのか
林  事業者が破綻した場合…
大塚 事業者の破綻を前提? 原子力管理センターに預けている資金は破綻すると再処理には使われない?
林  今の仕組みだとどう使われるかわからない
大塚 大事なところ。もし事業者が破綻した時には再処理以外に使われる可能性がある?
林  電力会社の名義のまま。破綻の際には再処理には使われるとは限らない
大塚 劣後債権という位置付けでいいのか
林  可能性はある ないとは言えない
大塚 劣後債権なんですか
林  確実ではないが可能性はある
大塚 どういう場合か
林  判例はないが、倒産すると名義のある資金は取り立てに使われる…
大塚 確定の段階で、優先債権化することで対応する考えはなかったのか
林  認可法人は解散を法的に制限、国が関与
「(発言)??」(速記停止…音声放送せず)
林  優先的にどうするかは難しいので、先般説明した対応で
大塚 なぜ難しいか 提出を
(理事会で協議)
大塚 もう一度、処理等の責任の所在は
林  責任は事業者、法案で変更はしない
大塚 原子力規正法の対象の法人か
林  ならない
大塚 再処理を行わなければならないとあるが、それでも責任はないのか
林  責任はない
大塚 再度 第9条 機構が…ならない 責任を伴う書き方 なぜないのか
林  拠出金 設立に関するもの 責任は事業者
大塚 「(議員の発言に対して)なるほど」ではなく 9条はどういう意味か 疑問は
林  事業実施を目的 拠出金に応じた管理、支払い責任 事業者は規正法に従う 処分する責任 本法案とは関係ない
大塚 破綻を想定した法案 破綻した時の責任は
林  (答えられない)民間主体の事業 新法人は解散を制限 資金を確保 一部が破綻しても確保される 再処理が着実に実施
大塚 事業者が最終責任 破綻することを想定 どこが責任 9条との関係
林  他の事業者が引き継ぐ場合、再処理の責任を引き継ぐ 現れない場合、管財人が処分の責任を引き継ぐ 資金が確保されていれば再処理は…
大塚 資金確保は今とは違うが、電力会社が破綻した使用済み燃料の処理は誰が責任を持つのか
林  事業者だが、破綻した場合、引き継ぐ事業者、または管財人
大塚 管財人が再処理の責任を負うのか
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  管財人が対応しなければならない
大塚 9条に基づいて法人が責任を負うのでは
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  9条は経済的責任 再処理は再処理事業者 安全管理は日本原燃
大塚 9条から経済的責任のみとどうやって読み取るのか
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  9条は経済的責任のみ
大塚 その旨文書を提出を(委員長 了承 理事会で協議)
林  エネ庁 規制庁の文書を朗読 現業以外の責任 管理や処分とは独立 変化は生じない
大塚 運営に国が必要な関与とは
林  人事、認可など
大塚 再処理の責任は国にはないのか
林  両事業者に責任がある 所在の変更はない
大塚 法人、国は責任を負わないのか
林  全くないということはない 人事 万が一の事故の際の対応
大塚 ゼロではないは一歩前進 金は預かる 人事で関与 (事務方戻れ!)
林  天下りとは決めていない 公平公正
大塚 何人の組織か
林  まだ決まっていない 数十人規模
大塚 特殊法人や独法という選択は
林  その考え方はあるが、解散の制限で事業を効率的におこなうため
大塚 国が責任を負う特殊法人や独法にすべきでは
林  民間主体の事業 民間に蓄積 民間主導の認可法人
(動画の1:28まで)

高木仁三郎氏、中西環境リスク論を批判 『座談会 奪われし未来を取り戻すために』より

2016年03月14日 | 東日本大震災・原発事故
高木仁三郎: 中西さんの環境リスク論をめぐる議論の中では、いくつかの問題がごっちゃになっていると思うんですよ。最初に言っておきますが、定量化できるリスクを定量化して、ものごとを相対化して議論するというリスク論の立場自体は、否定すべきことではないし、ぼくも賛成です。

 しかし、一つの問題は、ある物のリスクとベネフィットを考える場合、それが代替できるかどうかがまず考えられるべきだということです。不可欠な物で代替できないとしたら、改善してリスクを小さくするしかないわけですけど、いくらでも代替品で置きかえられるもの、あるいは使っても使わなくてもいいものについては、なくしてしまっていい。いくらでも置きかえられるのになんで固執するのか、彼女の議論からそういう印象を受ける、というのが一つの問題です。

 それと関連しますが、今求められているのは、もっと大きな産業構造や生活のあり方の転換だと思うんですよ。このままでは地球全体がやばいという感じがみんなの中にあって、未来を取り戻すために二十世紀までに築かれた文明のあり方を変えようという模索がはじまっている。その時には、何がベネフィットかということ自体が変わってくる。既存の価値観でベネフィットを言うと、どうしても保守的な議論になる。

(1999年8月収録、2000年刊『“奪われし未来”を取り戻せ』収載、高木仁三郎著作集9「市民科学者として生きる III」より引用)
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# 3.11が過ぎると原発事故関連の報道も減ってくるが、あらためて高木先生の著作を本棚から取り出してパラパラとめくっていて目に付いた発言を抜き出してみた。(高木氏の著作で勉強したなどと偉そうに書いてきたが、実はごく一部しか読んでいなかった…ちゃんと系統だてて読み直してみたいのだが)

# 中西準子とか環境リスク学などという名前自体、震災後に初めて知り、2011年末に『環境リスク学 不安の海の羅針盤』を図書館で借りて読んでブログに批判論を書いた。2014年の『原発事故と放射線のリスク学』は購入して熟読したが、正面から取り組んで批判するだけの時間も余裕もなくそのままとなっていた(無論、この書における中西氏の考え方と作業と結論に対しては批判的です)。

# ここで引用した高木氏ら3人の座談会では、タイトルで示されているように、ダイオキシンなどの化学物質が議論の主な対象となっているが、同書の『巨大事故をどうするか』の中では、「ペロウの評価」を紹介しながら、巨大事故の危険性という観点から、原発を含めてどのような技術システムの選択をするかという問題を取り上げている。

# ペロウの評価については後日もう少し説明する予定だが、最初に引用した高木氏の発言や、この「ペロウの評価」という考え方が、原発推進派や一般の方、メディア、ネトウヨなどの議論ですっぽりと抜け落ちている。この対談のあった1999年から17年経っても、議論のレベルは一歩も進んでいないというのが実感である。
(原発事故で誰も死んでないとか、自動車や飛行機の事故の方が問題だとか、こんにゃくゼリーより餅の方が危険だとかいう、二次元三次元の問題を、恣意的に一次元<単純な数の比較>に落とし込んで来る暴論=詭弁)

# この考え方は、私が他の問題(医療事故やワクチンなども含む)でも全く同じように考えていたことであり、今更ながら高木先生がきっちり述べていてくれたことを確認できたわけだが、逆に、私の考え方なるものが高木氏の強い影響で構築されてきたものだから当然と言えるのかもしれない。

# 高木氏の発言でもう一つ重要なのは、三段目の「価値観の転換によって何がベネフィットかも変わってくる」という部分だと思う。日本のエスタブリッシュメントは、チェルノブイリでも、東海村JCO臨界事故でも、中越沖地震の原発事故でも価値観の転換を起こすことができず、破局的な福島原発事故を起こすに至った。

# いくら何でもこれで過去の「考え方・生き方」の過ちを認め、社会のあり方が変わらざるを得ないだろうと考えたのだが(おそらく多くの国民も同じように感じたはず)、5年経ってわかったことは、その過ちを認めないために、更に既存の価値観のまま「最後まで」突っ走ろうとしているということだと思う。

# ここでいう価値観の転換について見解の違いはあろうかと思うが、単に原発推進か反対かという議論ではなく、例えば、毎年GDPが増加して経済成長が続きエネルギー消費も増加する社会を続けることが幸福につながるという価値観から、経済成長は止まっても生活の質や余暇の時間が向上し、自然・環境・文化などが保たれ、社会の公正さを感じることができ、老後の不安の少ない社会を目指すという価値観への転換だとすると、おそらくほとんどの国民はすでに当然のことと受け止めるはず。

現代事故の10の特徴 高木仁三郎『巨大事故の時代』(1989)より

2016年03月11日 | 東日本大震災・原発事故
現代事故の10の特徴
1) 事故はまぎれもなく現代的な事故である
2) 事故は同時にすぐれて古典的である
3) 事故には複合的な因子-とくに機会と人間の両面のミスが関与する
4) 事故は予告されていた
5) 事故は解明し尽くされない
6) 運転者は事故に十分備えていない
7) 住民は事故にまったく備えがない
8) 事故の巨大さは軍事技術に根をもつ
9) 被害が目に見えない
10) 事故の完全な後始末はできない
    高木仁三郎『巨大事故の時代』(1989)より

チェルノブイリ、スペースシャトル・チャレンジャー事故の後に1987年から1989年にかけて書かれた著作だが、福島原発事故がこの10の特徴のほぼ全てに当てはまることに、あらためて驚かされる。(いや、驚かない。それは「予告されていた」のだから…)

東日本大震災五周年追悼式の中継、黙祷が終わり、天皇陛下の御言葉。
原発事故、放射能汚染のため多くの人が避難生活を余儀なくされた。
いまなお帰還できない人のことを思うと心がいたむ。
多数のボランティア、160の国・地域、国際機関、在日米軍に謝意。
被災地、避難先で多くの人が今日もなお苦難の生活を続けている。
高齢化していく被災者、人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないか。
一人ひとりが取り残されることなく、普通の生活を取り戻すことができるよう、寄り添っていくことが大切。
次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が気づかれていることを希望する。
一日も早く安らかな日々が戻ることを祈り、御霊への追悼の言葉とします。(要約)

原発が許されない6つの理由:伊方原発訴訟/『小出裕章 最後の講演』川野氏の講演より

2016年03月11日 | 東日本大震災・原発事故
東日本大震災・福島原発事故から5年の節目で、高浜原発差し止め仮処分(3/9)や東電のメルトダウン隠し、冷却装置停止の新証言、津波予測の新たな証拠、日本原燃全面広告の虚偽などが重なっていますが、43年前(1973年)の伊方原発訴訟における「6つの理由」を引用して今晩はお終いにします。

既に3.11当日になりましたが、あの日のお昼過ぎまで、私たちは今とは全く違う世界に生きていたかのように錯覚するかもしれない(あの時に戻れるものなら戻りたいと)。しかし、この文章を読み返してみると、フクシマ以前も、以後も、全く同じ論理で同じことが続けられている世界に生きているということが理解できるはず。

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『小出裕章 最後の講演』より
川野眞治「伊方原発訴訟の頃」
1973年8月 伊方原発訴訟 原告の主張
1 潜在的危険性があまりに大きく、重大(過酷)事故は人びとの健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす
2 被曝労働という命を削るような労働:労働そのものの中に差別的な構造を内包
3 平常時でも一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害の可能性
4 放射性廃棄物の処分の見通しが立っていない
5 核燃料サイクルの要、プルトニウムは毒性があまりにも強く、利用は核兵器拡散をもたらす
6 原子力推進のため、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われる:原子力帝国(ロベルト・ユンク)
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(補足)
1は不幸にして福島で現実のものとなった。健康被害がないと言い張る人達の根拠は現時点では何もない。

2の「差別の構造」は、ウラン採掘から最終処分まで、運転中の被曝労働だけでなく、廃炉作業(通常時、大事故後)、原発や核燃施設の立地地域に対する構造的差別まで含まれている。この点について福島や青森の関係者は「ナイーブ過ぎた」のではないか。小出氏が震災後に出した『騙されたあなたにも責任がある』という著書があるが(未読)、このタイトルが全てであろう。清水氏が福島県内で「東電の責任が4割、国が3割、県や市町村が2割、住民が1割」と言うと反発を受けたようだが、当然、その差別的構造を内包した形での「金目」での立地/受け入れだったはずで、その反発には同情する余地はあっても同意する気持ちにはなれません。

3については、再処理工場では原発とは比べ物にならないほどの放射性物質を大気と海中に放出するものであり、これが本来の議論の第一であるべき。

4は今後も解決不能の問題と考えている。少なくとも日本の現政府やその延長線上の政治状況では、熟議民主主義自体が成り立たないし、国民の合意が得られる見込みは限りなくゼロに近い。解決の責任は政府・推進側にあるが、最初から答えの存在しない問題(だから原発を推進してはいけなかったというのが結論)。

5については日本のプルトニウム大量保有は世界の核問題不安定化の最大要因となっている。パグウォッシュ会議でも再処理そのものを止める方向に転換している。

6については現在の状況をそのまま指し示したものと言えるだろう。核プルトニウム社会は極端な管理社会・秘密社会となると高木先生も警告していたが、それが現実のものとなりつつある。

[デーリー東北全面広告]勝間和代「原発停止で年間3兆円流出」の嘘 2014年に藻谷浩介氏が論破済み

2016年03月08日 | 東日本大震災・原発事故
2016年3月6日にデーリー東北に掲載された日本原燃・電事連の全面広告(画像は後日アップ予定)については、話の最初から最後まで嘘・まやかし・詭弁のオンパレード(←いつものこと)と言って良い内容ですが、とりあえず最初の論点である「原発停止で年間3兆円流出」について、これは「嘘も百回言えば真実となる」の典型的な例と言えます。
(それで「県民の信頼を得て安心につながるよう事業を進めて」などと書かれても、信用できるわけがないでしょう。)

すでに「古典的な嘘」であることが明らかとなっている事実を、企業広告とはいえ公共の場である新聞紙面に堂々と載せる企業倫理が問われます。

話は簡単で、3兆円はアベノミクス円安誘導政策による損失であるということです。詳しくは下記の記事を御覧ください。

日本総研・藻谷浩介氏 「安倍政権は経済的な“反日”の極み」
2014年9月29日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153666/2

「燃料代3兆3000億円の増加も円安が原因で、原発停止が理由ではありません。原発は野田政権当時から全部止まっていたのですから。日本の石油や天然ガスの輸入量は国民や企業の省エネ努力のおかげで、原発事故前の2010年も、安倍内閣の昨年も、2億5000万キロリットルと横ばいのままなのです」

「自分で円安にして日本を大赤字にしておいて「原発再稼働」というのは、相手を転ばせてケガさせておいて「さあ、クスリを買え」というような話です」

これはしかし、藻谷氏に指摘してもらわなくても、私のような経済の素人でも、エネルギー問題が大変な時にわざわざ円安に誘導するなんて馬鹿じゃないかと内心思っていたし、おそらく多くの国民も同じように感じていたはずです。

(この続きがあるかどうかわかりません、面倒なので…)