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福島県の甲状腺がん検診「スクリーニング効果は試算してから論じるべき」「なし~30年で比較」

2014年04月08日 | 東日本大震災・原発事故
これまで何度も出した数字ですが、福島県の甲状腺がん検診は、概算で「スクリーニング効果10年として発症率が10万人あたり3人程度」を目安にしながら推移を見ていく必要があるとお伝えしました。それが「多発」なのかどうかは別として。

前回お伝えしたのは、
福島の甲状腺がん「確定32+疑い42=74名」 3年目は低くなりそうだが、懸念材料にも… 2014年03月06日

ここで使ったエクセルの表に、スクリーニング効果「なし」~30年までの試算を追加してみました。上段は福島県(2月発表)、下段は福島県外3市(2012年実施、2014年3月二次検診結果発表)。


福島県外3市についてはFacebookのこのページに表を短報で載せました。上記の表の左半分です。

発症率(=現在の発見率(有病率)/スクリーニング効果の年数)は、
「なし」なら 27.5人/10万人
10年なら 2.7人/10万人
20年なら 1.4人/10万人
30年なら 0.9人/10万人
(18歳未満の検査なので最年長でも21歳ですから、20年以上は計算上の架空の数字になりますが)

福島県外3市のデータは甲状腺がんが1例という数なので、直接の比較はできませんが、福島県と桁は同じでやや低め。(1人違うとゼロか倍かという世界ですから、桁での比較を目安としてする程度の参考データとして)

比較として、
1)従来言われていた「百万人に1-2人」は 0.1-0.2人/10万人
2)ベラルーシの90年代前半は 1-3人/10万人

1)の「0.1-0.2人/10万人」を「スクリーニング効果なし」の27.5人と比較すると「100倍とか200倍」という数字が出て来ますが、これは殆どあり得ない話。「脱原発派」と称する人たちが「100倍も多発」などと言って騒ぐのは、本当に脱原発を進めたい人たちにとって迷惑でしかない。

一方、スクリーニング効果を30年まで引っ張っみても「0.9人/10万人」であり、やっと「0.1-0.2人/10万人」と同じ桁まで下がるけど、それでも5~10倍高い。スクリーニング効果だから心配ないという説明は、この簡単な計算を示してからにすべき。(それで納得が得られるかどうか)

現在の福島の「スクリーニング効果10年として2.7人/10万人」という数字がベラルーシの90年代初期の「1-3人/10万人」とほぼ同じ(しかも福島県外の数字とも桁が同じ)ということをどう解釈すべきか。

ベラルーシのグラフを再掲しておく。小児の甲状腺がんはなくなったのではなく、年齢層が思春期、若年成人に持ち上がって、増え続けている。


「スクリーニング効果派」は、ベラルーシが多発であって、福島は10倍多く検出しているだけと言いたいらしいが、10で割ってもベラルーシと同じということは、現在の検診は二桁(100倍)くらい多く(=不必要に)検出している可能性があり、「検診不必要派」と同じということになる。

それなら本当に不必要なのか。
1人の悪性のがんを発見するために、9人、あるいは99人に針を刺したり手術で摘出していると言えるのか。
その1人と残りの9人、あるいは99人を臨床的に区別できるのか。
出来ないなら同じポリシーで細胞診や手術を実施しなければかえって不安が広がるだけではないか。

一番下に、2月発表のデータから結節の大きさの分布の表とグラフを掲載しておく。このように連続している分布の場合は、正常と異常の境目に線を入れられないので、中間域では一例ごとに判断していくことになるが、20mm以上で区切ってみても103例もいることに改めて驚かされる。
甲状腺がんは確定32+疑い42=74名。
(この74名の大きさの分布は記載されていない)

20mm=2cmもある結節であれば、別に高精細の超音波だから見つかったというわけではなく、視診や触診でも容易に確認できる大きさであり、臨床的に発見される甲状腺がん(結節)の診断・治療指針に従って同じ扱いをするのが普通だ。
検診不必要派の意見は結果としてはその可能性が否定できないにしても、臨床的には採用することなど不可能。

問題となっている相矛盾する所見は

1)ベラルーシとの比較(上記)では、スクリーニング効果は10年では説明できず、30年以上を想定しなければ成り立ちそうにない。
2)現在実施されている3年目の数字が1・2年目を下回りそうなのは懸念すべきデータ(3年目が低いなら1・2年目は多発という判断になってしまう)。
3)福島県外3市の数字が福島県と同じ桁に入っていることは楽観論を許す部分もあるかとは思う(が、粗すぎて単純に比較できない)。

これらを一元的に説明できる解釈は私にはわかりません。
こういったモヤモヤする葛藤を表明している人を見つけられないは、私の思考回路がどこか間違っているせいか。皆さんの頭がいいのか。私の頭が悪いのか。
(多発、心配ない、検査不要の)どの立場も現段階では支持できません。

(訂正)前に「スクリーニング効果が10年なら二巡目から1/10に低下しなければならない」と書きましたが、同一地域の検査は一巡で3年ごとなので、1/3に下がるかどうかが目安となるかと思います。




八戸市長選2001~公開討論あおもりフォーラム2003の記録

2014年04月03日 | 東日本大震災・原発事故
公開討論あおもりフォーラム http://www.kuba.gr.jp/omake/touronkai/

このページは公式ページができたので閉鎖していたものですが、先日載せていた某サーバ内を整理した際に、自分のページに移動させて記録保存しておくことにしました。
(外部リンクは切れているのがほとんどですがそのままにしてあります)

かつては県議選や小さな町の町長選でも公開討論会や合同・個人演説会が開催されていた。
もちろん、それを開催しようという市民がいて、その機運があったことが第一ですが。

2004年以降は記録を残していなかったので、いつ頃まで「公開討論あおもりフォーラム」の名前で活動して、自然に消滅したのか記憶が定かではありません。
いつしか、公開討論会や合同・個人演説会は青年会議所(JC)が単独で開催するようになりました。


福島の甲状腺がん「確定32+疑い42=74名」 3年目は低くなりそうだが、懸念材料にも…

2014年03月06日 | 東日本大震災・原発事故
2月に発表になった福島の甲状腺がん検査の結果について、他の用件がありチェックできてませんでした。その間にネット上でも議論があったようですがこれも全然読めてません。

→「県民健康管理調査」検討委員会(福島県)

昨年2月の発表以来このブログで何度も取り上げてきたのですが、「目安は有病率10-30人/10万人(スクリーニング効果10年分として発生率1-3人/10万人)で、これはベラルーシの90年代前半~中盤のピーク時に相当する」と書いてきました。

11月発表のデータで2011年度と2012年度の有病率がほぼ30人/10万人で並んだことは、同じ傾向で検出されているという点において、2巡目以降の増加の可能性を示唆するものではないと考えていました。


(クリックして別ウインドウで拡大)

同じ表が3つ並んでいますが、昨年8月、11月発表分と、今回(2月)発表のものとを比較してみました。ごちゃごちゃしていてわかりにくいかもしれませんが、公式のデータをただ眺めていてもこの結果は見えてきません。

(ここでは手術して低分化癌疑いの1例は「疑い」に入れていますので、一部の報道であった33名ではなく32名となっています。)

2月発表のデータをみると、どうも雲行きが怪しくなってきた。

全部合わせた有病率(一次受診者を分母とした「確定+疑い」患者の割合:10万人あたり)は、19.8→24.3→27.5と時間の経過とともに上昇し、特に2年目は22.1→31.7→35.9と増加して、1年目の33.7を追い越しています。

2013年度の一次健診は対象の72%で、おそらく二次検診や細胞診はまだ途中の段階だということを差し引いても、1年目、2年目と比べると有病率は低くなりそうな気配。

3年目は会津などの低汚染地域と、初期の被曝量が不明だが汚染度は高くないいわき市が含まれている。

一次健診の陽性率(B+C判定)をみると、3年間であまり差がない。
細胞診の実施率自体が2年目、3年目で半分半分に減っている。
二次検診後の経過観察期間が長くなればある程度増加するはずだが、それでも1年目、2年目の有病率(30/10万)には届かないだろう。

だとしたら、「原発事故とは関係のない甲状腺がんが詳細な検査で検出されているだけ」という説明は成り立たなくなる。
変な話だが、同じ傾向(高い検出率)で検出されていたなら、地域や被曝量と関係がなさそうだという点で、ある意味安心材料となり得るのですが、ここでもし明らかな差が出てくると、前提条件が崩れてしまう。
(かと言って、もっと増えてほしいと考えているわけではもちろん無いのだが…)

この表では計算していないが、細胞診実施者中の「がん確定+疑い」者数の割合を見てみると、
 2011 14/ 89 = 15.7%
 2012 50/243 = 20.5%
 2013 10/ 37 = 27.0%
となり、むしろ増加している。
これは、年数を重ねるにつれて、細胞診を厳選して実施する傾向になってきているため、陽性率が高くなっているものと推測されます。

この判定基準が同じかどうかが問題。
ある程度意識的にそう判断してきたのか、あるいは同じ判定基準で細胞診を実施しているのに、2年目3年目と実施対象者の割合が減っているのかという疑問に辿り着きます。

ここで問題にしているのは、福島県外の弘前・甲府・長崎の超音波検査で、福島と同じか、むしろ高い割合で嚢胞や結節が検出されていたこと。(昨年の調査)
この時に、たとえ同じ頻度であっても、分布が違ったり(大きいものの割合が多いとか)、悪性のものが含まれる割合が違う可能性がないかどうかというあまり医学的ではない推察をしたことを考え直してます。

ここでも一次健診の陽性率には差がない。でも細胞診の実施率や結果としての有病率には違いが出そう。
(1年目と2年目の比較では、一次の陽性率が2年目の方が高く、細胞診実施率は下がっても陽性率は上がったので、全部掛け合わせると有病率は同程度になった。)

この要因は何なのか。
そもそも本当に低くなりそうと判断しても良いのか。

まだ3年目の一次未受診者、二次未受診者、二次受診後の細胞診実施者が増えてくるはずなので、これまでと同じ結論になりますが、まず3年目までの検査が全部出そろって、その後の2巡目の結果と比較していくしかありません。

「スクリーニング効果10年分として発生率1-3人/10万人」というのは10年分まとめて発見されたという過大とも言える見積りですから、2巡目で福島原発事故の影響がないとすると1/10になるという結構厳しい話。。

1)多発多発で大変、2)影響はない、3)不必要な検査をしている、のいずれの立場もとらないと書いたのも、同じ考えです。

(過去の関連記事)

福島の甲状腺がん検査の患者数は? 感度・特異度により3人?12人? (応用できる一般式付き) 2013年03月18日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/6a02a115e45411901a865df6cf4dcb34

福島県外3市と福島県内の甲状腺検査結果の比較 考えられる推論2つはいずれも不可解 2013年04月03日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/46d539e4482351e8ee38cd08c4f56e8a

福島の甲状腺がん検査の患者数の推計式を感度・特異度でグラフ化してみました 2013年04月04日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7f1203b6487541161b2d9c84ea5c9637

「福島の小児甲状腺がん:確定12人、疑い15人」のニュースについて(現時点での判断) 2013年06月05日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/e19418ce9da232779d48d0e6cf1e5714

福島県の小児甲状腺がん:7~15人(確定~疑い)/10万人:2012年は2011年より減少傾向か:判断は数年後 2013年06月06日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/35051aab0d916a1282a8a3430f9bc1b4

福島県の甲状腺がん検診結果をどう読むか 発生率1~2人/10万人はベラルーシと同じ(某紙掲載原稿) 2013年06月11日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7098ce074b9500449ee9c5f8dc2bfb52

福島の甲状腺がん18+25=43例 発生率は2-3/10万人に増加 二次実施者中の割合は変わらず 2013年08月21日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7edb36bf2501b109e9a6ca9dc433d839

福島の甲状腺がん「確定26+疑い32=58名」発症率は約3人/10万人で8月と同じ。判断は出来ず(11/12) 2013年11月13日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/e86cf45fdadd78faf1d98fc06401f062

福島原発汚染水問題 鉛・ビスマスによる空冷方式について 小出裕章先生への質問と回答(抄)

2014年02月17日 | 東日本大震災・原発事故
2/15に弘前で映画祭があり、小出先生が講演されたので、質問をメールで送っておいて懇談会で回答していただきました。私は出席できず、大雪で遅れている新幹線の車中だったのですが、FBのメッセージをやり取りしながら伝えてもらった短文なので、これだけだとわかりにくい部分もあり、小出先生の意図も完全に伝わっていない可能性もあることをお断りしておきます。回答の詳細については後日まとめてもらうことになっています。

この回答は重要なポイントだと思うのですが。。

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小出裕章先生への質問

 毎日のように深刻な汚染水漏れが新たに発見されている状況ですが、これを全て塞ぎ、地下水の流入も止め、海への流出をゼロにすることが出来るとは到底思えません。小出先生がおっしゃるように、格納容器を水で満たして溶融したデブリを取り出すことなど最初から不可能な計画のように思えます。
 小出先生はインターネットのラジオで、鉛とビスマスを充填して空気で冷やす方法について触れていましたが、素人目には、汚染水問題を根本的に解決して放射能を遮蔽する有効な方法のように思えます。もう少しその方法や可能性などについて教えて下さい。これは一度詰めてしまうと将来取り除いて中の状況を確認することは不可能になってしまうのでしょうか。
 現実問題として、具体的に検討され実施される可能性は低いように思われますが、政府や東電はいつになったら今の廃炉計画が破綻していることを認めるのでしょうか。(オリンピック誘致で国際的に嘘の上塗りをしてしまったので撤回は不可能なんだと思いますが…)

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小出先生からの回答(抄)

 取り除くのは不可能。政府東電は容器のしたに饅頭のように固まって落ちていると思っているが私はバラバラ散らばって鉛やビスマスを入れてもそこに到達できないと思っている。
 方法は鉛やビスマスを微粒子化して水に溶かしポンプで送り込むことしかない。
 ただ配管は上下左右になっていて難しい。実現するには金属や配管の専門家が知恵を結集すること。
 政府は最後まで認めることはないでしょう。
 炉心全体をを封じ込めるしかありません。

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『脱原発とデモ そして、民主主義』「権力者による情報の統制や分断に対抗するのは簡単、ただ集まるだけ」

2013年12月11日 | 東日本大震災・原発事故
『脱原発とデモ そして、民主主義』瀬戸内 寂聴,鎌田 慧,柄谷 行人,落合 恵子,小出 裕章,平井 玄,坂本 龍一,田中 優子,武藤 類子,高橋 まこと,飯田 哲也,宮台 真司,いとう せいこう,小熊 英二,毛利 嘉孝,鶴見 済,稲葉 剛,松本 哉,山本 太郎,雨宮 処凛,山下 陽光,二木 信,中村 瑠南,原発いらない福島の女たち 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480864192/

図書館から借りたので備忘録として印象的な文章をメモしておいた。そのまま引用するのは問題があるかもしれないが、ここであらためて紹介する目的は著者らの趣旨から離れたものではないと(勝手に)考える。一文だけで全てを伝えられるものではないので、是非本を入手するか図書館から借りるなどして、一読されることをお勧めしたい。

つい1年前まで、(ニュアンスの差はあれ)原発全廃という道筋が確かに私たちの目の前に見えていた。この本がただ埋もれてしまった歴史を記録するだけの意味しか持たないのか、あらためてその道筋の在り処を照らしてくれる松明になるのかは、読者一人一人に委ねられている。

2011年4月から2012年9月までに各地のデモにおけるスピーチと寄せられたコメント、対談から構成されている。ちょうど秘密保護法をめぐって、自民党石破幹事長の「デモはテロ」ブログが問題となり、強行採決に反対する国会周辺デモが盛り上がっていた時に読んだ。私たちは「原発は民主主義の対極にある」(鎌田慧氏)と考えているが、全く逆に「脱原発デモは民主主義と相容れない」と考えている人たちがいるということについて、先の戦争をめぐる認識の違いとも相照らしながら、考え込まざるを得なかった。

(以下、引用)

宮台真司
<原発をやめる>ことより<原発をやめられない社会をやめる>ことが大切です。

この人たち{原発絶対安全神話の自明性の上に乗って生きる人}の多くは原発補助金がなくなれば生きていけない(と意識されます)。だから、認知的整合性理論が予測する通り、自分自身の変えられない属性に合わせて認知を歪めます。つまり絶対安全だと思い込むことで補助金づけの現実に後ろめたさを感じなくて良い。

雨宮処凛
原発が爆発した瞬間に気付いたのは、そんな自分の沈黙が、「安全神話」を補完することに役立っていたということだ。何もしなければ、「賛成」「容認」に自動的にカウントされてしまう。それが嫌だったら、行動するしかない。

鶴見済
戦争をしていた頃から、この国は全然変わっていないのではないか。戦時中の「お国のため」が、戦後は「経済のため」に変わっただけなのではないか。経済のためなら、玉砕だってしかねない。当たり前のことだが、経済のために我々が生きているのではない。我々がよく生きるために、経済があればいいのだ。

毛利嘉孝
今日本に必要なのは、いささか手垢にまみれた民主主義という言葉。それは、自然に上から与えられるものではなく、たえず私たちが不断の努力によって獲得していくもの。現在の脱原発/反原発運動は、私たちの手に民主主義を取り返す試みでもある。デモは、民主主義を取り戻すための第一歩。

山本太郎
3.11以降、人間性がない人たちの姿も浮き彫りになったし、その一方で尊敬できる大人とも出会えて、その両方が見れたのがよかった。

柄谷行人
「デモをして社会を変えられるのか」というような質問に対して、私はこのように答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。

デモは主権者である国民にとっての権利。デモができないなら、国民は主権者ではない。韓国では20年前までデモができなかった。

憲法21条に「集会・結社・表現の自由」とあるが、デモという語はみあたらない。しかし、その理由は簡単である。集会の中にデモがふくまれるからだ。

われわれは、デモをたんに手段としてのみならず、同時に目的として見るべきである。デモ(アセンブリ)はたんに代議制議会の機能不全を補うための手段ではない。代議制民主主義とは異なる直接民主主義の可能性を開示するものだ。

鎌田慧
原発の支配から脱する脱原発運動は、文化革命であり、意識を変えていく運動でもある。

核に依存して生きることは人類には絶対にできない。核と人類は絶対に共存できないことは、広島、長崎、そして今度の福島の事故でも証明されている。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができようか。

これからの子どもたちに、平和で安全な社会を残す。それが責務です。

原発がなければ生きていけない、といわれてきたが、原発がなくてもなんでもない、ということがわかったのだ。たとえば、DV男のように、いなければ平和に暮らせるのだ。原発のない社会が、いかに真っ当な社会だったことか。

各地の原発建設は、餌付けのように、カネをバラ撒くことからはじまった。魂の買収行為だった。なんと矮小な世界なんだろう。ブレヒトの『三文オペラ』のような世界。

落合恵子
想像してください。まだ平仮名しかしらない小さな子どもが、夜中に突然飛び起きて「ほうしゃのう、こないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。

原発と言う呪詛から自由になること、反戦、反核、反差別はひとつの根っこです。

山本太郎
今、大人がするべきことは子どもたちを守ること。そのためには、行動を起こすことだと思うんです。

武藤類子
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

坂本龍一
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とアドルノは言いました。
ぼくたちはこう言い換えたい。
「フクシマのあとに声を発しないことは野蛮である」と。

稲葉剛
原子力発電が燃料にしているのはウランやプルトニウムだけではない。原発は差別と貧困を喰らいながら電気をおこしているのだ。

原子力発電は現代社会における貧困や差別の存在を前提にしないと存在しえないシステムである。だが、長年、私たちの社会は貧困や差別を「不可視化」することで原発の安全神話に手を貸してきた。

小出裕章
人々が本当に自分の意思を持って、原子力を止めさせようと思うのであればできるんだ。私はその時に確信しました。(1986年ウィーンのデモ行進で)

原子力は、私を含め個人の力では到底防ぐことができない巨大な力で進められてきました。しかし、「民主主義」を実現できるほどに一人ひとりが自立できるなら、原子力など簡単に廃絶できると私は思います。

中村瑠南(中学生)
私たち子どもにも、原発について本当のことを知る機会と、日本が原発を持つかやめるか決める機会をください。

柄谷行人
共食すること。それは遊動民の特徴です。今もいろんな宗教でそうですが、一緒に食事をするということが基本です。プラトンの「饗宴」なども、実はそうですね。「饗宴」といっても、英語で「シンポジウム」といっても、せいぜい飲むイメージしかないけど、食うことが大事だった。本来は一緒に食う場がシンポジウムなんだと思う。

松本哉
特に東アジアの近い国の人たちとどんどん友達になってる時に、国家って邪魔者以外の何者でもないじゃないですか。今のうちに国を超えた人のつながりを作っておきましょうよ。本当、ここ3年、5年がすごく勝負のような気がするんですよ。

権力者が悪いことをする時って、だいたいもう情報を統制したり分断したり、個別に孤独な思いをさせておいて悪いことするじゃないですか。それに対抗するのは、やっぱりただ集まるだけだから、実はすごく簡単なんですよ。

原発いらない福島の女たち
「汚染されたところに生きるってことはとてもつらいです。私は生きる希望を失いました。でも、つらいです、っていうことをみなさんに伝えること、それで今生きようとしています。みなさんにこういう思いをしてほしくないです」

「東京電力福島第一原発事故の責任を誰がとったんでしょうか? 誰がとりましたか? 誰もとれてないと思います。私の責任において原発を再稼働させる、なんていう野田総理の言葉を聞いた時に、私は本当にこの人は別の世界に住んでいるんだと思いました。いったい何を言っているのか、まったく理解できませんでした」

小熊英二
社会科学的には、1人デモにくる人がいたら、その背景には、100人は同じ意見の人がいると考えたほうがいい。10万から20万ということは、東京人口の1パーセントから2パーセント。その100倍ということは、東京人口の1倍から2倍。広く東京圏のなかから集まったと考えたとしても、多数派が同じ意見だということです。

中長期的にみれば、原発はいずれ止まる。産業としてもう芽がない。そもそも、廃棄物の受け入れ先が、六ヶ所村や各地の原発の貯蔵プールを全部足しても、フル稼働したら7~8年分しかない。先がないとわかっていても、自分の任期の間は、自分が退職金をもらうまでは、自分が天下りするまでは、動かし続けたい。決定を先送りしたい。そのことは、業界関係者もわかっているはずだ。

瀬戸内寂聴
私はその前年末から背骨の圧迫骨折で臥床を余儀なくされていたが、福島原発災害のニュースに仰天して、気がついたら思わずベッドからすべり下り、自分の足で立っていた。原発ショック立ちと自称して、私はその日から、つとめて歩く練習に必死になり、6月から被災地へ車椅子と杖を頼りに見舞いの旅に出た。

(飯舘村の人々の)誰もが、政府の対応は一向に自分たちの心に降りてこない、はるか上空で、彼等の政策の一つとしてしかこの事故収拾に取りくんでいないと言いつづけた。

往年の昭和15、16年頃の日本の姿が痛いほど私の胸に帰ってきた。やがてまた報道の統制はもっときびしくなり、その果てには戦争がひかえているのではあるまいか。私の胸は今、恐怖の予測に震えている。

田中優子
デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずがないのだ。理不尽を見つめ個々の利害を超えることからしか、一揆は始まらない。

「デモと広場の自由」のための共同声明
http://jsfda.wordpress.com/statement/

「デモと広場の自由」のための共同声明

3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。

それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。

しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。

私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。

2011年9月29日
起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二

原発推進と秘密保護法は表裏一体/福島県の甲状腺がん検診続報/原発は民主主義の対極にある(11/12版)

2013年11月13日 | 東日本大震災・原発事故
「原発推進と秘密保護法は表裏一体」(某業界紙に掲載予定の原稿です)

福島県の甲状腺がん検診続報

 6月に発表された福島県の甲状腺がん検診結果については7月に当欄で検討してみたが、8月と11月に追加の結果が発表されているので、ごく簡単に違いをみてみたい。

 6月の時点で一次検診約17万人に対して甲状腺がん確定12人+疑い15人=27人だったものが、11月の結果では一次検診約24万人で確定26人+疑い32人=58人に倍増している。スクリーニング効果により10年分まとめて発見したと仮定すると、発症率(罹患率)は10万人あたり年間1.6人(11年度2.7人、12年度1.2人)だったものが、今回は2.4人(11年度3.1人、12年度3.2人、13年度0.2人)に上昇している。

 今回、二次検診の受診率は12年度でも86%まで上がっているが、二次検診受診者中の陽性者の割合は6月の6.3%から5.2%と増加傾向は認められないことから、12年度では「これまでと同じペースで増えただけ」と判断することができる。一方で、11年度では6.6%(確定7+疑い4=11人)から6.9%(10+3=13人)に微増しており、今後も観察期間が長くなれば、特に確定例が増加してくることが示唆された。

 どこまで増えるのか推計してみると、有病率を10万人あたり30人と仮定して、一巡したところで36万人中108人という数字が一つの目安になる。福島県の36万人の未成年から100人もの甲状腺がん患者が発見されるという事態は、当初誰も予想していなかったはずだ。福島県の検討委員会の鈴木眞一教授がスクリーニング開始前に「年間発生率は10万人あたり約0.2名」と説明している文書もネット上に残されている。

 6月の時点で「発症率1~2人/10万人は90年代初頭のベラルーシと同じであり注意が必要」と書いたが、11~12年度の発症率は「10万人あたり3人」という警戒水準に達してきている。当協会の大竹会長は青森県の「小児がん等がん調査事業報告書」から甲状腺がん等の発症率は13年間で10万人あたり年間0.27人と推計しており、福島県では青森県の10倍近い割合で検出されている。

 この差異について、検討委員会が「チェルノブイリとの比較から福島では元々あったがんが精密検査により早期に検出されただけだ」と主張するのは、科学的にはあくまで「一つの仮説」に過ぎず、証明されるためには最低でも10年以上の歳月が必要なはずだ。

 検討委員会では、甲状腺がん患者発生の発表に先立って秘密会(ウラ会議)を開催して発言のシナリオを打ち合わせていたことが、日野行介著『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』で明らかになっている。当初から調査の目的を「不安の解消」「安全・安心の確保」としていたことから「被害がないことを前提としている」という厳しい批判を受け、かえって不信と不安を招く結果となっている。

「原発は民主主義の対極にある」

 広瀬隆氏の首都圏地下水汚染説への疑問、汚染水問題の根本的解決策としての鉛棺・空冷方式(小出裕章氏)、除染・廃炉廃棄物の福島県外搬出確約などの問題にも触れたかったがスペースが尽きた。

 福島原発事故では健康調査やSPEEDI問題に限らず、この国の政府が国民をどのように扱ってきたかが図らずも明らかになった。元来、原発や核燃施設は秘密情報の固まりであり、原子力ムラの隠蔽体質は事故後も全く変わっていない。鎌田慧氏が繰り返し主張してきたように、原発は民主主義の対極にあり、高木仁三郎氏はプルトニウム国家が超管理社会になることに早くから警鐘を鳴らしてきた。

 安倍内閣が成立を急ぐ特定秘密保護法が施行されれば、どのような運用の仕方になるにせよ、国民の自由や権利が制約されていくことは間違いない。憲法の目的は政府を制約して国民の権利を守り、再び戦争が出来ない国をつくることにあったが、現在急速に進められている路線の本質は、国民の権利を制約し、再び戦争が出来る国をつくることにある。

 小泉元首相の即時原発ゼロ発言に対して言いたいことは山のようにあるが、内容自体は私たちの主張と一致しており間違いはない。ただし、小泉氏の「世論を喚起して政府の政策を変えさせる」という主張が実現する可能性は、安倍政権が倒れるか、少なくとも自民党内の疑似政権交代が起きない限りほとんどゼロに近い。小泉氏がそこまで踏み込むことは想像しにくいが、流れを脱原発に引き戻す潮目になってきている。

 脱原発を進めることの意義は、単にエネルギー問題に留まらず、民主的な市民社会を未来の世代に残していくことにある。衆院選や参院選で安倍自民党に投票することは、本人の意思に関わらず原発推進路線を支持したことを意味する。協会では脱原発・核燃阻止を訴え続けてきたが、一般会員との間に意識の温度差があるのか無いのかを知りたい。

※「協会」=青森県保険医協会(県内医師・歯科医師1300人の団体)

福島の甲状腺がん「確定26+疑い32=58名」発症率は約3人/10万人で8月と同じ。判断は出来ず(11/12)

2013年11月13日 | 東日本大震災・原発事故
福島の甲状腺がん検診が本日(11月12日)発表になったようです。
今回の結果で「甲状腺がん確定26+疑い32=58名」となり、また「増えた増えた」と大騒ぎになるのではないかと思いますので、これまで発表された2月、6月、8月の数字と比較して検討してみます。

→第13回「県民健康管理調査」検討委員会(平成25年11月12日開催) 
→資料2 県民健康管理調査「甲状腺検査」の実施状況について<PDFファイル1MB>


(クリックして別ウインドウで拡大)

表は少し項目が多くなって見にくいかもしれませんが、県発表の資料や報道ではわからない部分がこれで理解できるはず。今回のは一番下の11月(黄色)の表です。

単純に甲状腺がんの患者数をみていくと、
    確定 疑い 合計
 2月  3  7 10
 6月 12 15 27
 8月 18 25 43
11月 26 32 58
となり、

これまた単純に一次検査受診者数で割った有病率(10万人あたり)は、
 26.2→15.5→19.8→24.3人
と推移しているように見えます。

ただし、対象年度ごとに二次検診受診率が異なるので、別々に見ていくと、
 2011年度 26.2→27.4→31.5→31.1人
 2012年度    11.9→22.1→31.7人
 2013年度         0→1.7人
となり、12年度の二次受診率が86.4%と11年度に追いついたところで、偶然かも知れませんが有病率もほぼ31人に並びました。

前回書いた通り、スクリーニング効果により10年分まとめて発見されたと仮定すると、この数字の1/10が発症率(罹患率)となり、「10万人あたり年間約3人」という数字が見えてきました。

年度毎にBC判定者の割合に若干の違いはありますが、ここで二次受診者中の「確定+疑い」の割合を見てみると、
 2011年度 6.2%→6.6%→7.5%→6.9%
 2012年度     6.3%→5.1%→5.2%
となり、今回「確定+疑い」が43人から58人に15人増えたのは、主に2012年度分の14人が「これまでと同じペースで増えただけ」と言うことが可能です。
(確定だけだと18人から26人に8人増えたうち7人が2012年度分)

ここで、あえて「だけ」という表現を使ったのは、甲状腺がん患者が(疑いを含めて)15人増えたのが少ないとか大したことないという意味ではもちろんありません。

今回発表になった結果によって新たな現象や発見が生じたということではなく、これまでのデータの延長線上にある「だけ」なんだという意味で書いたものです。

この数字の一人一人の家庭で、「原発事故とは恐らく関係なくみつかったものだろう」と頭では理解しようとしながらも、「もしかしてあのとき避難させていたら…」という思いを拭いきれずに自らを責めている親御さんがいるであろうことは、胸の痛む思いで想像ができます。

二次受診者中の「確定+疑い」の割合を見るのは、普通に考えればあまり意味のない行為かもしれません。一次検診の精度管理がなされていれば、同じような分布を示す集団でさほどの差は出ないはずですから。

これをチェックしているのには理由があって、例の「弘前・甲府・長崎の調査で福島と差がなかった(だから福島は大丈夫)」という調査結果について、本当にそうなのかという疑問があったからです。(同じような一次検診の結果であっても二次検診結果に差が出る可能性はないかどうかということですが、この疑問はどちらに転んだとしても解消されないはずです。)

今のところ、2011年度と12年度で一次検診者中の有病率に差がないことは良い徴候と言えるかもしれません。二次受診者中の割合で1.7%程度の差が出てますが、結果が未確定の人もいるので何とも言えません。(少なくとも統計学的に有意差があるとは思えません。)

6月の時点で「発症率1~2人/10万人は90年代初頭のベラルーシと同じで注意が必要」と書いたが、今回、11年度と12年度の結果から「発症率3人/10万人」(有病率30人/10万人)という数字が現実のものとなりました。上述のようにこの数字はスクリーニング効果を除外してあります。

もし同じ割合で3年目(2013年度)まで進むと仮定すると、36万人×有病率30人/10万人=108人という数字が一つの目安になってきます。3年目では人口が多く初期(特に3/15)のヨード被曝が不明のいわき市の結果がどう出るかに注目せざるを得ません。

これも1つ前のentryに書いたが、青森県保険医協会の大竹会長は青森県の「小児がん等がん調査事業報告書」から甲状腺がん等(甲状腺がん以外の上皮癌を含む)の発症率は13年間で10万人あたり年間0.27人と推計しており、福島県では青森県の10倍近い割合で検出されていることが今回も実証されました。

福島医大の鈴木教授がスクリーニング開始前に「年間発生率は10万人あたり約0.2名」と説明した資料が残されているが、これまでの結果を見続けてくれば、この数字(よく使われているのは100万人あたり1~2人)を基準にして15倍(有病率と発症率を混同した文章では150倍)などと大騒ぎするのは意味が無いと思う(ので、やめた方が良いと思う)。比較するための基準となる数字が「わからない」中で検診が進んでいるというのが現実。

また、医師の中には「被曝とは関係がない微小ながんや一生大きくならないがんを検出していて、不必要な検査や治療(手術)によって子どもたちを傷つけている」と主張する人たちがいるようです。



そういう人たちは、今回発表になった一次検診における結節の大きさの分布を良く見直した方が良い。20mmを超える結節が87人もの人から検出されているのです(甲状腺がん確定または疑い患者の中の分布は不明だが)。2cmの腫瘍は早期発見とは言えないし、よほどの肥満でなければ検診がなくても早晩みつかったのではないか考えられる。それを見つけた時に医師が「これは大きくならないから検査も治療も不要」などと言うことは到底考えられません。

(不必要な検査・治療で傷つけている可能性は否定できないと思いますが、それを臨床的に区別できない以上、悪い場合を想定して対応するのが当然の選択です。)

要するに、1)被曝によって甲状腺がんが多発していて大変だ大変だ、2)いまの患者は原発事故とは関係ないが今後も「増加してこない」ことを確認するために検診は必要(検討委員会)、3)今後も検診による不要な被害者を出し続けるから検診は中止すべき、という3つの流れがあるようですが、私はどの意見にも賛同することはできません。

現在の状況が「ベラルーシの90年代中旬と同じ」で「青森県の10倍」であるという数字を見て、1)の「多発説」を否定することは不可能だと思うが、現状が「多発」なのだとしたら、2巡目以降はベラルーシを大きく上回るほど増えてくるとも考えにくい。

結局、以前にも書いた通り2巡目の数字を見てみないと何とも言えません。(スクリーニング効果なら2巡目から減少してくるはずですが)

なお、県の資料には「悪性ないし悪性の疑い59例」と記されていて、一部のメディアでも「59例」と報道されているけど、当初疑いだった59例のうち良性結節1例は手術して摘出した結果の診断なのだから、現在は「甲状腺がん確定26+疑い32=58名」と表現するのが普通です。良性例を「疑い」に残しているのは、単に「当初疑いだった人数」の中に含まれるという意味だと解釈しています。

原発推進と秘密保護法は表裏一体/福島県の甲状腺がん検診続報/「原発は民主主義の対極にある」

2013年11月07日 | 東日本大震災・原発事故
(この文章は新しいデータを元に改定しましたので11/12版の方をご覧下さい)

「原発推進と秘密保護法は表裏一体」

福島県の甲状腺がん検診続報

 6月に発表された福島県の甲状腺がん検診結果については7月号で検討してみたが、8月に追加の情報が発表されている。広瀬隆氏の講演会報告(11月号)でも触れられているが、ごく簡単に違いをみてみたい。

 6月の時点で一次検診約17万人に対して甲状腺がん確定12人、疑い15人、計27人だったものが、8月のデータでは一次検診約19万人で確定18人、疑い25人、計43人に跳ね上がっている。スクリーニング効果により10年分まとめて発見したと仮定すると、発症率(罹患率)は10万人あたり年間1.6人(11年度2.7人、12年度1.2人)だったものが、今回は2.2人(11年度3.2人、12年度2.2人)に上昇している。

 ただし、二次検診受診者が12年度ではまだ半数に達しておらず、二次検診受診者中の陽性者の割合は6.3%から6.5%とほとんど変化していないことから、12年度の増加分は「前回までと同じペースで増えただけ」と判断することができる。一方で、11年度受診者中の割合は6.6%(確定7+疑い4=11人)から8.0%(9+4=13人)に増加しており、今後も経過観察期間が長くなれば更に増加していくことが示唆された。

 どこまで増えるのか推計してみると、有病率を10万人あたり20人と仮定して、一巡したところで36万人中72人という数字が一つの目安になる。福島県の36万人の未成年から72人もの甲状腺がん患者が発見されるという事態は、当初誰も予想していなかったはずだ。福島県の検討委員会の鈴木眞一教授がスクリーニング開始前に「年間発生率は10万人あたり約0.2名」と説明している文書もネット上に残されている。

 6月の時点で「発症率1~2人/10万人は90年代初頭のベラルーシと同じであり注意が必要」と書いたが、11年度受診者の発症率は10万人あたり3人という警戒水準に達してきている。当協会の大竹会長は青森県の「小児がん等がん調査事業報告書」から甲状腺がん等の発症率は13年間で10万人あたり年間0.27人と推計しており、福島県では青森県の10倍近い割合で検出されている。

 この差異について、検討委員会が「チェルノブイリとの比較から福島では元々あったがんが精密検査により早期に検出されただけだ」と主張するのは、科学的にはあくまで「一つの仮説」に過ぎず、証明されるためには最低でも10年以上の歳月が必要なはずだ。

 検討委員会では、甲状腺がん患者発生の発表に先立って秘密会(ウラ会議)を開催して発言の口裏を合わせていたことが、日野行介著『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』で明らかになっている。当初から調査の目的を「県民の不安の解消」「安全・安心の確保」としていたことから「被害がないことを前提としている」という厳しい批判を受け、かえって不信と不安を招く結果となっている。

「原発は民主主義の対極にある」

 広瀬隆氏の首都圏地下水汚染説への疑問、汚染水問題の根本的解決策としての鉛棺・空冷方式(小出裕章氏)、除染・廃炉廃棄物の福島県外搬出確約などの問題にも触れたかったがスペースが尽きた。

 福島原発事故では健康調査やSPEEDI問題に限らず、この国の政府が国民をどのように扱ってきたかが図らずも明らかになった。元来、原発や核燃施設は秘密情報の固まりであり、原子力ムラの隠蔽体質は事故後も全く変わっていない。鎌田慧氏が繰り返し主張してきたように、原発は民主主義の対極にあり、高木仁三郎氏はプルトニウム国家が超管理社会になることに早くから警鐘を鳴らしてきた。

 安倍内閣が成立を急ぐ特定秘密保護法が施行されれば、どのような運用の仕方になるにせよ、国民の自由や権利が制約されていくことは間違いない。憲法の目的は政府を制約して国民の権利を守り、再び戦争が出来ない国をつくることにあったが、現在急速に進められている路線の本質は、国民の権利を制約し、再び戦争が出来る国をつくることにある。

 小泉元首相の脱原発発言に対して言いたいことは山のようにあるが、内容自体は私たちが震災前から主張してきたことと一致しており間違いはない。ただし、小泉氏の主張する「世論を喚起して政府の政策を変えさせる」可能性は、安倍政権を倒さない限り(少なくとも自民党内の疑似政権交代が起きない限り)ほとんどゼロに近い。小泉氏がそこまで踏み込むことは考えにくいが、流れを再び脱原発に引き戻す潮目になりつつある。

 脱原発を進めることの意義は、単にエネルギー問題に留まらず、民主的な市民社会を未来の世代に残していくことにある。衆院選や参院選で安倍自民党に投票することは、本人の意思に関わらず原発推進路線を支持したことを意味する。協会では脱原発・核燃阻止を訴え続けてきたが、一般会員との間に意識の温度差があるのか無いのかを知りたい。

※「協会」=青森県保険医協会

伊豆大島の情報伝達 システムはシンプルかつダイレクトに 県は不要 自らの命を守るために

2013年10月19日 | 東日本大震災・原発事故
台風26号・伊豆大島で気象庁や警察の警告が住民に伝わらなかった問題は、特別警報の基準や運用がどうのこうのというよりも、もっと単純にシステムの問題ととらえるべきだと思う。ステップが間に入ってシステムが複雑になれば、多かれ少なかれ問題は発生する。

特別警報の制度になる前の秋田~岩手の大雨で(8月頃だったか、災害が多すぎて忘れてしまった)、記録的短時間大雨情報が出されたが、平日の午前中だったためにネット上では比較的早く情報が共有された。しかし、実際には自治体から避難勧告や指示が出る前に被害が発生した。(と記憶しているが)

考えてみれば、八戸市の「ほっとするメール」だって、殆どの情報は八戸市を経由する必要がない。気象警報や地震情報は気象庁から、不審者情報は県警からダイレクトに受信すれば良い。八戸市から出す必要があるのはクマとかサルとか交通規制とか、あと何かあるか、そんなもんだろう。

柏崎の殺人事件では八戸市は教委のメールにデマ情報を平気で流して、ほっかむりした。北朝鮮のミサイル発射でも何とかシステムが上手く連携しないと全国の自治体で問題になったが、全部同じこと。システムが間に入れば入るほど、システム屋が儲かり、エラーが発生し、更にまたシステム屋が儲かる。

(自治体のなんとかシステムって、一般の感覚では考えられないようなお金が動いてるんだよ)

福島の原発事故が起きた最初の1週間、私たちは必死になってドイツやフランスのサイトをチェックして拡散情報を確かめていた。あの時のことを、決して忘れることはできない。SPEEDIなんてあるのは知らなかったが、日本にも当然同じようなシステムがあるはずだということは確信していた。

話を伊豆大島に戻すと、市町村という基礎自治体まで不要とは言わないが、私は十数年前から「県不要論者」だ(かと言って道州制を支持するわけでもないのだが)。少なくとも青森県は。。皆さんの暮らしが、青森県という行政単位、あるいは行政組織があるために何か良くなりましたか。

青森県でとりあえず日々の暮らしに必要なのは県警と県立高校だけで、あとは県職員や県の組織が明日消滅してしまっても誰も困らない。むしろ青森県という組織があるがために、むつ小川原やら核燃サイクルやらクリスタルバレイやら問題が噴出し、県民の税金がその度に使われていく。

市町村による住民への情報伝達が不要と言うわけではないが、ダイレクトに伝えられる部分は直接届くようにする。記録的短時間大雨情報が連続して出されていることを知れば、自治体からの避難勧告や指示が遅れたとしても、多くの人が自ら行動して命を守ることができたはず。

「あまちゃん」震災後の「就任・解任」とは? 1ケ月半すっ飛ばしアニメの謎 宮藤官九郎の抵抗なのか

2013年09月04日 | 東日本大震災・原発事故
#あまちゃん、3月12日から2ヶ月もすっ飛ばし過ぎ。あれじゃ何も語れない。そんな簡単な2ヶ月だったか?
posted at 10:12:25

問題の「あまちゃん」震災2日目を見直している。
posted at 23:08:06

3/16に北三陸ー袖が浜運行再開。いつから小泉今日子ナレーションになったんだっけ。銀河鉄道999。
posted at 23:10:36



問題のすっ飛ばしアニメ。“耳慣れない言葉が飛び交っていました。「節電」「デモ」「風評被害」「自粛」「就任」「解任」そして「絆」”
posted at 23:15:20



「小泉今日子がアイドルになれなかったパラレルワールド」であるあまちゃんの世界。「風評被害」とあるからには、やはり原発事故は起きていた。「デモ」はこの時期には殆どなかったはず。「自粛」はいいとして、「就任」「解任」これは何だ?
posted at 23:24:09



「就任」「解任」のところでは、頭を下げている記者会見のような絵が。就任・解任という言葉が「耳慣れない言葉」であったわけではない。小佐古参与は解任されたのではなく自ら辞任したはず。就任に至っては意味不明。
posted at 23:30:37

相当好意的に解釈すると、NHKサイドから震災のシーンは被災者に配慮して、特に原発事故に関しては触れないように要請された、という環境の中で、宮藤官九郎が最大限の抵抗をこのすっ飛ばしアニメの中に入れたのではないか。
posted at 23:31:31

「あまちゃん」が震災とその後の日本をどう描くか、期待と不安を持ちつつ見守っていたが、こんだけ「すっ飛ばし」てしまったことで、後世の批評に耐え得る名作になる権利を逃してしまったことが残念でならない。あの1ケ月半は20秒で表現できる時間では決してなかったはず。
posted at 23:57:43



「就任」「解任」のオバサンの表情と「絆」の表情を見比べてみると、ある一定の解釈が成り立ちそうに思える。これを書くと、震災後の「自粛」と同じく、国民的ドラマである「あまちゃん」に対して不謹慎、非国民と非難されかねない。
posted at 00:24:43

(追記)9月2日放送の震災当日に関するtweet

今朝のあまちゃんは録画しておいたが消去。やはりこういうのは二度観るものでもない。孫に残そうにも孫はまだいない。(さすがに津波の映像は出てこなかったが、東京ではリアルタイムで見ていたけど被災地では何もわからなかったことがよく描かれていた)
posted at 10:23:44

ゴーストバスターズはこの場面のために何度も歌っていたのか(まさかとは思うが多分そうなんだろう)。ユイちゃんが物語の最後にどうなっているのか全く想像がつかない。
posted at 10:28:09

広瀬隆講演会「福島・原発・憲法! 今、私達が知るべきこと」(9月22日・八戸市総合福祉会館)

2013年08月29日 | 東日本大震災・原発事故
#9/21青森の翌日に八戸でも講演会開催が決まったようです。主催者から案内が送られてきたのでこちらにも掲載しておきます。

広瀬隆講演会

「福島・原発・憲法!
今、私達が知るべきこと」

日 時:2013年9月22日(日)13時30分~16時
場 所:八戸市総合福祉会館「はちふくプラザ ねじょう」
多目的ホール(八戸市根城 TEL 0178-47-1651)
講 師:広瀬 隆氏(ノンフィクション作家)
入場無料

福島原発震災から3年目の今も、事故の全容はつかめておらず、破壊された原発は未だに膨大な放射能を空に海にタレ流し続けています。
福島県では15万人もの原発難民が故郷に帰ることができず、それまでの親子、夫婦、友人、知人等の絆はズタズタに引き裂かれてしまいました。
そのうえ原発被災者への賠償・保障は不十分極まりなく、健康やくらし等先々の見通しもほとんど立っていません。
先の衆議院選で自民党政権が復帰し、『原発ゼロの見直し』と『原発再稼働』を声高に叫び、これまで自分達が進めてきた原発推進の顛末である福島事故への反省は微塵も窺えません。
そして、今日まで日本の平和と繁栄の礎となってきた憲法さえも変えようとしています。
本当にこのままでいいのでしょうか?
私たちは今こそ、福島現地の状況、事故を起こした原発の脅威、そして人権と平和について、一緒に考えてみようではありませんか。

※青森市に於ける広瀬さん講演会のお知らせ
 9月21日(土)午後5時~・ねぶたの家ワラッセ(青森駅近く)。入場無料です。

福島の甲状腺がん18+25=43例 発生率は2-3/10万人に増加 二次実施者中の割合は変わらず

2013年08月21日 | 東日本大震災・原発事故
まず、新聞の速報だけ読んで増えた増えたと騒ぐのはやめようよ>脱原発派の方たち
誤解の無いように書き添えておきますが、私自身はフクシマ以前からずっと反核燃・脱原発の立場を明らかにして運動にもわずかながら関わってきました。
福島の甲状腺がん検診結果についても、非常に憂慮しつつデータを追い続けています。
大事なのは、まず自分の手でデータを見つめなおして、ごく簡単に解析してみること。

6月の時点での判断は当ブログのこのページにまとめてあります。

福島県の甲状腺がん検診結果をどう読むか 発生率1~2人/10万人はベラルーシと同じ
2013年06月11日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7098ce074b9500449ee9c5f8dc2bfb52

今回はそれと比較してみます。

第12回「県民健康管理調査」検討委員会(平成25年8月20日開催)配布資料
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=24809

表 6月発表と8月発表(今回)の比較

(↑クリックして拡大。別ウインドウが開きます)

全部まとめてエクセルに入れてみました。黄色く塗りつぶした部分が今回のデータです。
甲状腺がんは確定18+疑い25=43人
前にも書いたように、疑い例のほとんどはがんと推測されるので、「確定+疑い」例を10万人あたりの有病率で表すと、6月の15.5から今回は22.3と上昇しています。

これを「スクリーニング効果が10倍(10年分まとめて診断している)」というやや過剰な数字で割ると1/10になるので、発生率は10万人あたり約2人という計算となり、前回推定した1-2人/10万人よりも多めになりそう。
特に、初年度(2011年)の発生率は3人/10万人を超えてきたことには注意が必要。
経過観察の時間が長くなれば、いずれの年度ももう少し増えてくる可能性は高い。
2012年度は、まだ二次検査が対象者の半分以下に留まっているので、実数はまだまだ増えることになります。

ただし、二次検査実施者中(今回は二次終了者中)の割合でみていくと、「確定+疑い例」は2012年度対象者でもほぼ同じ6%台で推移しています。
2011年度の数字は上昇していますが、分母が今回は終了者でとっているので、前回よりも小さくなっている分も加味されています。

これを見るかぎり、今回この2ヶ月で新たな知見が加わったわけではなく、これまでのデータから推測される範囲内で増え続けていると判断することができます。

どこまで増えるのか?
単純に36万人×20人/10万人(有病率)とすると、一巡したところで72人という数字が目安になるでしょう。

福島県の36万人の未成年から72人の甲状腺がんが発見される。
いくら10代後半の年長児が中心とは言っても、心穏やかに推移を見守るというわけにはいかないでしょう。(特に当事者の親にとっては)

結局、わからないという前回と同じ結論になりそう。
二巡目、三巡目までみてみないと。
そこまでで10年はかかる。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』より 鈴木寛文部科学副大臣はSPEEDI問題の主犯格

2013年08月19日 | 東日本大震災・原発事故
主にSPEEDIと鈴木寛文部科学副大臣(当時)関連情報についてメモ
(原文通りのところと要約とが入り混じっている)
敬称略

#またはカッコ( )内はコメント

ここでは主に3つのエピソード
<15日夜:文科省政務三役会議、16日朝“枝野裁定”、同日午前:安全委員会への押しつけ>
<16日夜:ミスターSPEEDIによる逆推定作業、23日夕:記者会見>
<17日~24日:早野と鈴木のメールのやりとり>
が別々の章で述べられているが、最後のエピソードだけが明らかに矛盾している。

『カウントダウン・メルトダウン』を読む限り、鈴木寛文部科学副大臣は政府首脳の中で最も早くSPEEDI問題について知った上で非公表という意思決定に関わったことは明らか。

■ SPEEDI

3月11日午後9時12分、保安院は1回目のSPEEDI試算結果を出し、官邸地下の危機管理センターの専用端末にその予測図を送った。
12日午前1時12分、2回目。いずれも首相には伝わらなかった。

12日 早野龍五・東大教授が鈴木寛文科副大臣に呼ばれ、その後ほぼ常駐する形で鈴木を手伝っていた。

14日 海洋開発機構(JAMSTEC)の地球シミュレーターのコンピューターがシャットダウン。節電と省エネの国からの通達を受け、東大災害対策本部が判断。
山形は義憤に駆られ、鈴木にメール
「文部科学官僚の愚かな対応を辞めさせていただきたい」(ママ)

山形<この国は科学的シミュレーションを危機対応に使えない国なのか…>
猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』のエピソードを仲間に話した。
(日本は必ず敗戦するという開戦前のシミュレーション)

15日早朝、2号機損傷、4号機建屋爆発。同日夜、文部科学省モニタリングチームは浪江町の高線量地区をピンポイントで計測。SPEEDI試算によって予測してた。

15日午後2時20分、早野のツイッター「SPEEDIがフル稼働中ではないかな」

15日午後8時。文科大臣室で高木文科相、鈴木寛副大臣、笹木竜三副大臣ら政務三役5人と事務方の協議。SPEEDIとW-SPEEDI試算結果を示す。W-SPEEDIは関東、東北地方に放射性雲(プルーム)が流れると予測。(ここでも、いつの予測図なのかは書いてない)
鈴木の主張
 W-SPEEDIの試算結果が出ると、たちまち風評被害が起こり、東京から福島への輸送もストップしてしまうだろう。…なかでも必要なのは、ガソリンや重油を福島県内に届けることではないか。…「いま、大事なことは、次に亡くなる命を減らすことだ」と相馬市長の言う通りだ。この点に注意を払っておかなくてはならない。
 それに、W-SPEEDIは放出量が100%、全原子炉が壊れた場合を前提で計算している。
(だから試算結果は公表しない、という意味)
文科省EOC放射線班の内部メモ
政務三役は「一般にはとても公表できない内容」であると判断
#この部分は新聞記事にもなって以前ブログにも紹介した通り

このメモについて
森口文科相審議官
「備忘録的に書いたもので不正確な点がある。15日の協議では、SPEEDI公表の是非は判断しておらず、議論は継続となった」
(東京新聞編集局編『原発報道 東京新聞はこう伝えた』)

SPEEDIの存在を知った時期
枝野 15日頃 マスコミか何かから
福山 同じ頃 マスメディアを通じて
   18日 小佐古らに助言を求める
小佐古 参与就任直後の17日から「SPEEDIを動かせ」と主張
寺田 小佐古がわめいているので知った(原文通り)
海江田 20日頃
松下経産副大臣 23日頃 報道で

遅くとも15日から16日の役割分担“枝野裁定”のころには官邸政務中枢はSPEEDIの存在を知るに至っている。
(官邸政務中枢この表現は範囲が不確かだが枝野・福山ら数名のことだろう)

15日夜に枝野の秘書官たちの協議終了後、秘書官の1人が官邸政務に報告
「心配しないでください。SPEEDIのSの字も出ていませんから」
秘書官たちはSPEEDIの“きな臭さ”に気づき始めていた。
(枝野の秘書官が報告する官邸政務とは、枝野以外にあり得ない。15日夜には鈴木ら文科省政務三役だけでなく枝野も確実に知っていた。)

原子力安全技術センターの職員
SPEEDI運用現場ではSPEEDI活用の声が
政府が住民避難に役立てようとしないことに強い不満が噴き出していた
職員は24時間体制で働いていた
官邸に直接活用を訴えるべきとの声が
上層部は慎重 文科省次第 政治家への直接の働きかけは認めない
16日からHPに「SPEEDIは運用されています(壊れていません)」というメッセージを出し続けた。せめてもの抵抗だった。

16日午前8時頃
枝野、鈴木、久住(安全委員会)、福島(保安院)ら
モニタリングの役割分担を“枝野裁定”
SPEEDIについては誰も一切発言しなかった。
しかし、同日午前11時頃、文科省政務三役ら幹部会議で鈴木は
「今後、SPEEDIは安全委員会において運用、公表すべきであると思う」
と述べ、全員が合意。
官邸から「移管」するという指示もないまま、SPEEDIの評価を安全委員会に押しつけようとした。(霞ヶ関言葉で言うところの「消極的権限争い」)

16日午後 文科省 笹木副大臣記者会見で記者からSPEEDIについて質疑応答
「原子力安全委員会が、それを使う、使わないの判断も含めて決定する」

16日午後5時56分 枝野 記者会見
「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」との見解

佐藤雄平福島県知事
SPEEDIの中の、放射性物質の帯が福島市の方向に向かっているというデータに
「どういう根拠でこんなものを出すのか」
官邸政務に「不快感」を伝えた(日時不明)

16日
安全委員会は日本原子力研究開発機構(JAEA)の茅野政道を招いた。
ミスターSPEEDI
夜、逆推定を依頼される
17日から逆推定作業を開始
23日午前7時すぎ、計算結果が安全委員会に届いた。
午前、細野に「大変です。飯舘村などすごい数字になっています」
23日午後2時半過ぎ 菅首相ら 会議
23日午後5時過ぎ 枝野が記者会見

17日 早野は中川恵一准教授と共に鈴木に会った
「SPEEDIが稼働しているはずです」
「どうなんですかね。動いているんですか。私は知りません」

この際に、鈴木は、放射性物質拡散情報を国民に知らせるために、SPEEDIの状況確認と情報提供を促すには、気象学会長のメッセージと気胸学会の大御所の意見が必要と述べ、支援を取りつけるよう早野らに勧めた。

18日 気象学会理事長名の通知「信頼できる単一の情報を提供し…」

20日 「当初から稼働しているようです」とメール
21日 「原子力安全委員会において、当初から積極的に活用しているようです」
(この一連のやりとりは上記の15日夜から16日にかけての記載と矛盾。筆者は指摘していないが、これが本当なら鈴木は明らかに嘘をついている。)

24日 メール「すずかんです」
「本当に数日間にわたり原子力安全委員会にSPEEDIの公開を政府内でも様々な政治家が再三再四、提案し続けて参りましたが、私もくたびれました。最後は強引に枝野官房長官が、記者会見で、委員会の了解を得ずに押し切りました」
(このメールの内容も上記の17日~23日逆推定作業とその発表の経緯と全く一致していない。15日夜に自らSPEEDIを公表しないと決め、安全委員会に押しつけておきながら、外部には安全委員会が公表しないと主張。著者はなぜ追及しなかったのか。)

ミスターSPEEDI茅野は
「SPEEDIは使えません」
と聞くたびに、
<高潮防災の予測について、間違ってはならない、だから使えないとは誰も言わないはず>
<なぜ、今回、SPEEDIについては完全を求めるのか>
との疑問を感じた。

SPEEDIを公表することによってパニックが起こった場合、責任を取らされることを官僚機構は極度に怖れた。
行動することのリスクより行動しないことのリスクを取ることを選択した。

福山官房副長官
「文科省は組織防衛で動いた。最初は逃げ回っていたんです。だから初めは保安院に押しつけようとし、それから原子力安全委員会に押しつけて、自分らは最終的に逃げる方向で動いたと思うんですよ…最初官邸からモニタリングを文科省でやれと言われたときも、どきっとしたんじゃないですか。その後も文科省の動きは鈍かった」

この事件は、霞ヶ関の醜い消極的権限争いの歴史の中でももっともおぞましい例として記憶に留めておく必要がある。(船橋洋一氏)

SPEEDIは、…原発がもっとも危機的な状況だった3月11日から16日の間はまったく活用されなかった。

民間事故調
「SPEEDIは、事前の防災計画においては十分に活用されず、事故発生後の緊急時対応においては価値が認められなかったにもかかわらず、社会的には過度な期待が集まったため、一層、政府の事故対応に対する社会的な不信を高める結果を招いたのである」


■ 学校20mSv問題

4月6日の年間20mSv基準決定後、“敗者復活戦”を仕掛けようとした細野に対して文科省政務三役のひとりから細野の携帯に電話。
激しいやりとり。
最後に「総理補佐官というのは何の権限もないんだからな」
細野の“敗者復活戦”は、そこまでだった。

#「文科省政務三役のひとり」が誰かは記載されていない。
 鈴木寛の可能性も否定できないが細野との力関係がわからない。


■ 吉田昌郎
2011年12月9日 辞任の挨拶
「ここでみんなと一緒にやってきました。こんなふうにここを去るのはとても残念です。みなさん体にきをつけて。たばこを吸う人は吸いすぎないように」

鈴木寛文科副大臣は3/15に「パニックを呼ぶ恐れもあった」とSPEEDI情報を隠蔽

2013年07月18日 | 東日本大震災・原発事故
ちょっと風邪気味で長文を書けませんが鈴木寛氏の声明は詭弁の固まりとしか読めません。
1)高校生の発言を趣旨を変えて自己弁護に使っている
2)SPPEDI問題
3)20mSv問題
4)対立候補と支援者の言説が全てデタラメであるかの如く表現

2)SPPEDI問題については中国新聞のこの記事(東奥日報にも載ったはず)について2012年03月22日にブログにまとめましたので、その一部を引用します。

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【SPEEDI】政府が隠蔽したのは飯舘村ではなく3月15日朝の東京への放射性プルーム襲来情報のはずだ
2012年03月22日
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1e2e49fd46835b92bfb1b44ed38eb7cc

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▼ 文科相ら「公表できない」SPEEDIの拡散予測
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203030112.html
「昨年3月15日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測について、当時の高木義明文部科学相ら政務三役や文科省幹部が協議し「一般にはとても公表できない内容と判断」と記した内部文書が作成…」「予測は原子炉内の全ての放射性物質の放出を想定し、文書には「関東、東北地方に放射性雲が流れるとの結果が出た」と広範囲な流出も記載 …文書は昨年3月19日付。政務三役らが出席した15日の会議で、試算結果を三役が見て「一般には公表できない内容であると判断」 …当時副大臣だった鈴木寛参院議員は「全量放出との前提は現実にはありえず、パニックを呼ぶ恐れもあった」と説明した。」

これでは具体的にどの情報を見て「とても公表できない内容」と判断したのかが判然としない。日付は問題の3月15日、菅前首相が東電に乗り込んだ日だ。政府首脳は当時SPEEDIの存在も知らされていなかったと主張しているがそれも嘘だと考えるべき。文部科学大臣や文科省幹部だけでこんな重要なことを決められるはずがない。(高木義明文部科学相も戦犯の1人として捜査対象に入れるべきだ。)

状況を振り返ってみてみれば、最初の危機的状況は飯舘村・福島市方面ではなく、東京・横浜への大襲来であり、「一般には公表できない内容」がそれに相当すると考えるのが普通だ。
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6月の太陽光発電が811kWhに 脱原発の第一歩は一人ひとりが電力をつくることから

2013年07月01日 | 東日本大震災・原発事故
昨年10月に設置して11月から太陽光発電を開始したものの、冬場は雪や日照不足で期待したほど発電できなかったのですが、3月から稼働率がアップして、4月730kWh、5月754kWhと順調に伸び、6月は811kWhで記録を更新しました。
(空梅雨、水不足の懸念もあり喜んでばかりもいられないのですが)

810kWh=1日平均27kWh=1日10時間として1時間あたり平均2.7kWhは、最大5.5kW(パネル25枚)のシステムとしてはまずまずなのではないか。

4月
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買う  224 kWh
つくる 730 kWh
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売る  567 kWh
使う  388 kWh
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5月
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買う  212kWh
つくる 754kWh
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売る  577kWh
使う  389kWh
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6月
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買う  189kWh
つくる 811kWh
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売る  633kWh
使う  366kWh
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この「使う」の電力量は自宅部分だけで診療所の分は入っていないし、無論、夜間や悪天候の時には買わなければいけないので完全自給には程遠いのですが、少なくとも夏の日中ピーク時には消費者ではなく供給側に立てるということで、原発・エネルギー問題についての発言権を高めることができます。

10年で元が取れるかどうか年間の稼働状況をみてみないとわかりませんが、全部元を取ったら、その後はちょっとしたお小遣い程度にはなるかも。。