熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ありえないこと

2006年06月04日 | Weblog
エレベーターを現場検証 警視庁、高2男子死亡事故 (共同通信) - goo ニュース
港区のマンションでエレベーターに挟まれて高校生が死亡するという事故が起きた。新聞に載っていたエレベーター業者のコメントによれば、ドアが開いたままゴンドラが動くことはありえないのだそうだ。しかし、現実にそのような事態が発生し、犠牲者が出ている。

時事通信の報道によると、問題のエレベーターには過去2年半の間に19件の不具合が発生していたという。港区住宅公社が管理している同マンションは、エレベーターの故障などがあれば、それを区に報告することになっていたそうだが、19件の不具合は今回の事故が起こるまで1件も報告されていなかったのだそうだ。

形ある物は必ず壊れる。機械はいつか必ず故障するし、人間はいつか必ず健康を損なう。ところが、機械に不具合が発生したとき、それが往々にして利用者の責任にされてしまう。恐らく、問題のエレベーターも不具合が発生して保守業者が点検した時、その不具合を再現することができなかったのだろう。結果として、その不具合は機械の問題ではなく、利用者の勘違いか操作ミスとして片付けられていたのだろう。

身の回りの機械製品でも似たようなことがあるかもしれない。例えばパソコンの調子が悪いとする。メーカーの客相に電話しても、まず電話がつながらないし、つながったとしても修理の受付に2週間などとふざけた物言いを聞かされる。家電製品の不具合が利用者の命にかかわる状況というのは稀だろうが、エレベーター、自動車、公共交通機関などの場合は、そうではない。

機械のメカニズムをきちんと理解している人ならば、完全無欠なシステムなど存在せず、どのような機械にも故障のリスクがあるということがわかっているので、きちんと対応ができるはずだ。しかし、想像力や理解力に欠ける人間には、機械はひとつの権威であり、それが故障するなどということは想像もできないのだろう。クレームを受けても、それは機械に問題があるのではなく、利用する側の問題だという先入観を持って対応することになり、重大事故を招くことになる。今回の事故も、おそらくそのようなことだと思う。亡くなった人は、事故に名を借りた不条理な悪意の犠牲者なのである。悪意の主は、言うまでもなく行政である。