物事は突き詰めると単純なものになるのかもしれない。見慣れた風景が点の集合でしかなく、自分の身体が水と少しのミネラルでしかないように、世界が抱える厄介な問題も単なる誤解でしかないのかもしれない。
国立近代美術館で吉原治良展を観た。はじめは写実的な絵を描いていたのが、徐々に描く作品が抽象化され、最後は大きな円になるというのが面白かった。晩年に円を描く画家としてすぐに思い浮かんだのが熊谷守一で、墨絵の世界では誰彼ということなく頻繁に目にする。
物事を観察し、その成り立ちを探っていくと、それが物理的な世界であれ、形のない世界であれ、単純な要素に分解できるのだろう。そうすることで、世界の理解はより容易になり、応用的な物や考え方が生み出されることになる。この大本の認識がきちんとできれば、世界は輝いて見えるのだろうし、たとえ大本のことが見つけられなくても、ある程度世の中をシンプルに理解できるなら些細なことに心乱されることもないのかもしれない。
国立近代美術館で吉原治良展を観た。はじめは写実的な絵を描いていたのが、徐々に描く作品が抽象化され、最後は大きな円になるというのが面白かった。晩年に円を描く画家としてすぐに思い浮かんだのが熊谷守一で、墨絵の世界では誰彼ということなく頻繁に目にする。
物事を観察し、その成り立ちを探っていくと、それが物理的な世界であれ、形のない世界であれ、単純な要素に分解できるのだろう。そうすることで、世界の理解はより容易になり、応用的な物や考え方が生み出されることになる。この大本の認識がきちんとできれば、世界は輝いて見えるのだろうし、たとえ大本のことが見つけられなくても、ある程度世の中をシンプルに理解できるなら些細なことに心乱されることもないのかもしれない。