先日購入したDVD「A Hard Day’s Night」を観た。勿論、観るのは今回が初めてではないのだが、今まで手許に無かったので、廉価版が発売されたのを機に予約しておいたのである。本編のほうについては今更何も言うことはないのだが、特典映像についていた「Location」というのが短いけれど興味深かった。作品の撮影に使われた場所をいくつか現在の様子と対比させながら紹介しているものだ。それを観ると街並みが撮影当時から40年以上の時を経ているのに、あまり変っていないことに驚かされる。
ロンドンも東京も先の大戦で焼け野原となったのは同じである。それが、街並みという点においては、ロンドンが古くからの景観を残したまま復興したのに対し、東京は激しく変貌し続けている。勿論、ロンドンだって変化は続けているが、その程度が東京とは大きく異なるということだ。
おそらく、生活様式というものに対する人々の意識の違いが街並みという物理的なものに反映されているのだろう。自分自身の経験に即した標準というものを持ち、自分自身の生活というものがあれば、そこに自ずと落ち着きどころのよい生活様式というものが成り立つはずだ。おそらく、欧州の場合は島国のイギリスでさえ、国境の変化を繰り返し、他民族と対峙しながら歴史や文化が形成されてきたので、否が応にも自意識が高くならざるを無かっただろう。それが結果として、自己の標準というものを意識させることになったのではないかと思う。対して日本は、19世紀中盤まで異民族との交渉の歴史が殆どない。古文書を読めば、そこに主語が無いのが当たり前であるような思考が垣間見える。それが高々100年やそこらで今日のような姿になったのだから、標準だのなんだのと鯱張ったことを言ってはいられなかったであろう。
激しく移り変わる風景のなかで暮らすことが良いとか悪いとかいうのではない。景観というものへの意識の違いの背景に何があるのかということを考えなければ、文化とか歴史というようなことを理解することはできないだろうし、自分自身を知ることもできないのではないだろうかと思うだけである。
ロンドンも東京も先の大戦で焼け野原となったのは同じである。それが、街並みという点においては、ロンドンが古くからの景観を残したまま復興したのに対し、東京は激しく変貌し続けている。勿論、ロンドンだって変化は続けているが、その程度が東京とは大きく異なるということだ。
おそらく、生活様式というものに対する人々の意識の違いが街並みという物理的なものに反映されているのだろう。自分自身の経験に即した標準というものを持ち、自分自身の生活というものがあれば、そこに自ずと落ち着きどころのよい生活様式というものが成り立つはずだ。おそらく、欧州の場合は島国のイギリスでさえ、国境の変化を繰り返し、他民族と対峙しながら歴史や文化が形成されてきたので、否が応にも自意識が高くならざるを無かっただろう。それが結果として、自己の標準というものを意識させることになったのではないかと思う。対して日本は、19世紀中盤まで異民族との交渉の歴史が殆どない。古文書を読めば、そこに主語が無いのが当たり前であるような思考が垣間見える。それが高々100年やそこらで今日のような姿になったのだから、標準だのなんだのと鯱張ったことを言ってはいられなかったであろう。
激しく移り変わる風景のなかで暮らすことが良いとか悪いとかいうのではない。景観というものへの意識の違いの背景に何があるのかということを考えなければ、文化とか歴史というようなことを理解することはできないだろうし、自分自身を知ることもできないのではないだろうかと思うだけである。