熊本熊的日常

日常生活についての雑記

フランク・ブラングィン

2010年03月13日 | Weblog
本展を知るまでこの作家のことを何も知らなかった。ロンドンで暮らしていたとき、毎週のように美術館に通っていたが、彼の作品は全く印象に残っていなかった。英国人作家なので収蔵されているとすればTATE Britainなのだが、本展の出品目録を見ると、作品の所蔵先は西美と東博を除くとロンドンではウイリアム・モリス・ギャラリーが多く、次いでRAである。生まれ故郷であるベルギーの美術館に収蔵されている作品も多い。残念なことに主だった作品は松方幸次郎が購入後に保管していた収蔵庫の火災で焼失してしまったのだという。本展の副題にある「伝説の英国人画家」の「伝説」の理由にはそうした事情で失われた作品が多いということも含まれているのだろう。RAの常設にあれば、何度か目にしているはずなのだが、RAの常設会場そのものに関する印象が薄く、ましてや個別の作品に関する記憶は無い。ウイリアム・モリス・ギャラリーには一度だけ訪れたことがあるのだが、生憎その日が閉館日で建物の外観しか知らない。このことは2008年12月29日付の本ブログ「モリスのこと」のなかで触れている。手許にある2009年2月号の「芸術新潮」には松方コレクションの由来に関連してブラングィンについても言及されているが、ここで紹介されている彼の作品は松方を描いた肖像画と松方が構想していた美術館の外観図しかない。尤も、彼のことを知っていたとしても、おそらく注目していなかったように思う。

しかし、こうしてまとまった数のブラングィンの作品を鑑賞すると惹かれるものもある。チケットやチラシに使われている「りんご搾り」や「蹄鉄工」、「パンを焼く男たち」それに「造船」などを観ると、労働に対する敬意のようなものが感じられるのだが、それは彼がウイリアム・モリスの工房で働いていたことと関係があるのかもしれない。モリスの思想については小論集「民衆の芸術」が岩波文庫にあるのでここでは触れないが、所謂ヒューマニズムを基調にした考え方である。おそらくブラングィンもそうした影響を受けているからこそ、彼の描く人物は一介の労働者も海賊もどことなく愛おしく見えるのではないだろうか。

海賊といえば、「海賊バッカニア」の色彩が印象的だ。ロンドンにいた頃、TATE Britainで観た「Modern Painters」という企画展を思い出した。20世紀初頭の英国人画家たちの作品展だったが、ここに並んでいた作品も色彩にこだわって描かれたように感じられるものが多かった。色彩といえば、「白鳥」も素晴らしい作品だと思う。本展のチラシに「海賊バッカニア」と「白鳥」が並んで載っているが、こうして眺めると、全く異なるモチーフなのに構図が似ているように感じられて面白い。展示会場では「海賊バッカニア」と「海の葬送」が並んでいるのだが、この対比も面白い。同じ作家とは思えないくらい視線の違いを感じる。

ブラングィンは画家としての教育は受けておらず、ウイリアム・モリスの工房での勤務や独学を通じて絵画を学んだという。芸術というものが教育によって習得できるものなのかどうかはさておき、彼の仕事は絵を描くことにとどまらず、カーペットや家具などインテリアのデザイン、陶磁器のデザイン、建築の構想、など幅広い。陶磁器はロイヤル・ドルトンが彼の作品を扱っているが、彼の名前が出ているのは極めて限られたシリーズだけで、今となってはどれが彼の手になるものかわからないものが殆どだそうだ。このあたりに陶磁器というものの西洋における位置づけを見て取ることができる。陶磁器は基本的に工業製品であり、そこに作家の仕事を見出すという姿勢がなかったということである。この点は日本に陶磁器をもたらした中国も同じで、日本において歴史の早い段階から陶芸が芸術として扱われていたのとは対照的だ。勿論、現在は芸術としての陶芸は世界的に認知されているが、アーツ・アンド・クラフト運動下のイギリスにおいてすらも、陶磁器が生活用具でしかなかったというのは興味深いことである。

初めて鑑賞した作家であった所為もあるのだろうが、期待していた以上に楽しい展覧会だったので、会期中にあと何回か足を運んでみようと思っている。