自分の出身大学の卒業式に招かれた。火曜日は陶芸教室のある日なのだが、偶然にも今日は休講だったので、早起きをして出かけてきた。
卒業式というと、少なくとも自分が大学を卒業した頃は晴れがましい気分が漂っていたように記憶している。確かに、今日も晴れがましいことに変りはない。少し早めに会場に着いたので、最寄り駅近くのファーストフード店で時間をつぶそうと思ったら、誰しも考えることは同じらしく、どの店も混雑している。混雑していても和やかな雰囲気で、少しも嫌な感じが無い。駅から会場に至る道は出席者で埋め尽くされ、遠くから眺めると人の頭で黒い波がうねっているようだ。それがぞろぞろと会場に吸い込まれていく。
会場内は区画割がなされているらしく、前のほうから順序良く埋まっていく。私のような招待客の席は2階後方なので会場全体の様子がよくわかる。式は定刻通りに始まり、淡々と進行する。式が始まって多少は静かになったものの、私語が絶えることはなく、学生は前を向いて座っているはずなのに横顔や正面が見えていたりする。これをどうみるかは人それぞれだろうが、式の進行の妨げになるほどの状況ではないので、私としては許容範囲内ではないかと思う。7,000人近い若者が集まっているのだから、それが水を打ったように静まるほうがむしろ異様なことのように思う。
このように平和な卒業式風景なのだが、式辞の内容は、たとえわかりきっていることであっても、やはり衝撃的だった。話の中核は高齢化ということだった。日本は2009年に65歳以上の人口が全体の22.8%となり、既に世界に例を見ない高齢化となっていて、それが2013年には25%を超え、2025年に30%、2055年には40%に達するのだそうだ。今まで誰も経験したことのない爺様婆様ばかりの社会に向かって目の前の若者は旅立つのである。
高齢化の問題点を改めて指摘するまでもないが、端的に言ってしまえば、ものの役に立たない奴ばかりの社会になるということだ。一方で、生きている限りは生活物資が必要になる。必要な財やサービスを得るには対価が必要になる。ものの役に立たないということは生活に必要なものを手当てするための対価を持ち合わせないということだ。年金制度は現状のままでは破綻するのは明らかで、要するに死ぬまで自分で食い扶持を稼がなければならないということなのである。それができればそれに越したことはないのだが、年齢を重ねれば健康を損なうのは自然なことで、社会として高齢者の生存に対する義務を放棄するということでもない限り、労働人口世代に高齢者の生存に関する負担が求められることになる。自分で生計を立てるというのは今でさえ容易なことではない。新興国の成長や地球規模での人口増大のなかで、日本の産業の競争力が維持できるとは思えない。国民経済を支える人も産業も無いなかで、この国はどのようにして存続できるのだろうか。
第二次大戦後、所謂「バブル崩壊」に至るまで、日本経済を牽引してきたのは製造業である。消費者の側から見れば安価で満足度の高い財貨を、生産者の側から見れば比較的利益率の高い財貨を大量に供給することで日本経済は成長を遂げた。経済が成長すれば国民の生活水準が向上する。それは生活コストが増大するということでもある。コストが増大するということはそれを賄う賃金も増加しなければ経済が成り立たない。結果として、日本製品は、かつて世界の消費者にとっては価値であったところの「安価」なものではなくなってしまう。消費者が同程度の満足度を得るものをはるかに安く新興国の企業が供給するようになれば、日本企業の存在価値は失われる。だからバブル崩壊後の20年ほどの間に多くの日本企業やブランドが姿を消したのである。
昨日の同窓会では、ある学友と日経平均が5,000円くらいになるという話をしたのだが、具体的な水準はともかくとしても、この国の経済を支える産業が見当たらないのは確かなことだろう。国家財政の破綻は時間の問題となっており、生産人口が急速に減少するなかでは、よほど効率的に付加価値を創造できる産業をいくつも持たない限り、国民経済の維持は困難だ。
今日の卒業生は、そういう社会に放り出されるのである。かつて学徒出陣として学業半ばで戦地に送り出された学生たちには、敵国を倒すという明確な目標があった。今日、社会に出ていく若者にはそういう明確な対象が無い。目には見えないけれど確実に崩壊を続ける社会のなかで、自分の生計というものを立てなければならない。とりあえずは大きな企業組織に籍を得て目先の生活の目処は立ったと思っているかもしれない。それはあくまで目先のことに過ぎない。その企業もどうなるのかわからないのだから。
なにはともあれ、卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
※ 卒業式の最後のほうで校歌斉唱があり、招待客も起立して歌うのだが、歌が始まった途端、ものすごい口臭が漂ってきて気分が悪くなったので、途中で退席してしまった。年齢を重ねると、ただでさえ見た目が薄汚くなるのだから、若い頃以上に身だしなみに気をつけるのは当然だが、身体の外見以上に中身に対しても注意を払いたいものである。