熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「海の沈黙」(原題:le Silence de la mer)

2010年03月17日 | Weblog
この作品のようなものは「抵抗文学」と呼ばれるのだそうだ。平和な時代に身を置いて観るには饒舌過ぎるが、このような作品を敢えて作る必要の無い状況に生きることを幸運と捉えるべきかもしれない。

原作はドイツ占領下のフランスで1941年に書かれたもので、映画は1947年に公開されている。ドイツに対するフランス民衆の抵抗を鼓舞すべく書かれたものなので、政治色が強く、その分だけ作品のありようが饒舌で深みに欠けるうらみが無いわけではない。ただ、権力に抵抗するということ、さらに普遍化した言い方をすれば物事を成すということの方法に唯一無二ということはない、ということを気付かせてくれる作品だと思う。そして、沈黙もまた言葉であるということ、言葉とは何かということも考えさせられる。

物語の舞台はドイツ占領下のフランスの地方都市。語り手である「私」と姪がふたりで暮らしている少し大きな屋敷の空き部屋が占領軍によって接収される。その部屋に住むことになったのがドイツ軍の将校だ。一つ屋根の下で3人の暮らしが始まるが、「私」と姪は将校に対して一切口をきかない。将校はフランス語が堪能で、なにかと「私」たちに話しかけてくるが、「私」たちは彼の存在を無視し続ける。将校は、フランス語に堪能であることから示唆されているように、フランスに対して好意的な姿勢を持っている。個人的にはフランスとドイツとの融和を図りたいと考えている。3人の暮らしが始まって半年ほど経ったある日、将校はパリにある占領軍司令部へ出張する。そこでの議論はフランス文化を崩壊させてドイツ化させるというものだった。具体的には占領軍に対する抵抗勢力を強制収容所に収容して抹殺してしまうというようなことである。自軍のそうした占領政策に幻滅した将校は自ら転属を願い出て前線に赴くことにする。3人の暮らしに終止符が打たれることになった最後の夜、将校は「私」たちに転属の理由を語る。相変わらず沈黙を守るふたりだが、その将校の姿勢に同情とも共感ともいえる感情が芽生えてくる。最後の最後、将校とふたりの間にその半年間で唯一の会話ともいえない会話が交わされる。その一言の重さ、空しさ、行間の深さ、様々な思いが作品の最後に溢れ出てくる。何事かを語ることの困難を思い知らされる作品だ。