以前から古道具屋兼ギャラリー兼カフェのようなものを経営したいと考えている。そこを拠点に世界を変える、というような大それたことは考えもしないが、それでも半径25kmくらいは変えてみたいとは思う。
バブル崩壊以降、自分の生活圏はなんとなく閉塞感に満ちている。それは景気が悪いということよりも、社会が成長フェーズから成熟フェーズに移行したのに、そこで暮らす人々の感覚が適応できていないからという気がする。
経済が当然の如くに成長する時代にあっては、平均的な国民所得が増加し、それに伴って生活コストも上昇する。生活コストの上昇とはその社会における人件費の上昇でもある。同じ性能性質のものを作る場合、市場での競争力は相対的に低コストの地域で作られたものにはかなわない。
一旦上昇した生活コストを下げるのは容易ではない。それならば、「同じ性能性質」という尺度ではない、全く別の土俵で勝負をするべきなのではないだろうか。既存の価値観とは一線を画し、自分自身の知性と感性に基づいて新たな価値を創造すれば、そこに新たな地平が開けるのではないだろうか。どこに出しても競争力を発揮できるような独自性や独創性を追求するのである。その一助として、自分が考えて、これは、と思うものを持ち寄る場があれば、そこに化学反応のようなものが生じて、そこに集う人々にとって新たな世界が生れるのではないだろうか。
決して市場原理や既存の価値観を否定しようというのではない。人それぞれの価値観を認め合う場があってもいいだろうということだ。既存の権威にすがるのではなしに、自分の価値を創り出すのは自分以外に無いという当然のことを実践しようというだけのことだ。
市場原理に基づく既存の価値観があり、それとは別に個人の独自の価値観があり、しかもそれらが時と場合に応じて重複したり並立したりするのである。それは当然の在りようなのだから、そういう場の居心地は良いはずだ。ひとりよがりのものさしがたくさんひしめき合ったら楽しいだろうと思うのである。
店のイメージとしては、須賀敦子の著作に登場するコルシア書店の道具屋版のようなものを漠然と考えている。実際のコルシア書店を知らないので、私の夢想でしかないのだが、物を媒介にして人と人とが繋がり合う、しかも、現実に面と向かう機会を得る場、というところが肝心だ。新しいことというのは、人と人とのある程度濃密な関係のなかからしか生れないものではないかと思っている。
大まかな店のイメージとしては以下のようなものを考えている。
取り扱い商品:
・原則として手仕事の製品
・安物は扱わない
・店舗はギャラリーとして使うこともあるので、移動が容易な大きさや重さのもの
対象顧客層:
・独自の視点を持ち、且つ、他人の視点も尊重できる人
店舗の立地:
・不便でないが、コストもかからない場所
・こんなところにこんな店が、という意外性のある場所
会員制:
・任意だが会費を徴収し、会報を発行する
・会費は年間1,200円程度に抑えて敷居は低くする
・しかし誰でも受け容れるというわけではない
・会報は月刊 広告を取れるくらいの内容を目指す
その他:
・ウエッブサイトは用意するが、ネット販売はやらない
・実物を見ないで買おうと思うような発想の客を排除することと、生身の人間どうしの付き合いを基本にするため
今は漠然としたイメージだけで、実現のために必要な資金もコネも何も無いが、なんとか実現させてみたいものだ。
バブル崩壊以降、自分の生活圏はなんとなく閉塞感に満ちている。それは景気が悪いということよりも、社会が成長フェーズから成熟フェーズに移行したのに、そこで暮らす人々の感覚が適応できていないからという気がする。
経済が当然の如くに成長する時代にあっては、平均的な国民所得が増加し、それに伴って生活コストも上昇する。生活コストの上昇とはその社会における人件費の上昇でもある。同じ性能性質のものを作る場合、市場での競争力は相対的に低コストの地域で作られたものにはかなわない。
一旦上昇した生活コストを下げるのは容易ではない。それならば、「同じ性能性質」という尺度ではない、全く別の土俵で勝負をするべきなのではないだろうか。既存の価値観とは一線を画し、自分自身の知性と感性に基づいて新たな価値を創造すれば、そこに新たな地平が開けるのではないだろうか。どこに出しても競争力を発揮できるような独自性や独創性を追求するのである。その一助として、自分が考えて、これは、と思うものを持ち寄る場があれば、そこに化学反応のようなものが生じて、そこに集う人々にとって新たな世界が生れるのではないだろうか。
決して市場原理や既存の価値観を否定しようというのではない。人それぞれの価値観を認め合う場があってもいいだろうということだ。既存の権威にすがるのではなしに、自分の価値を創り出すのは自分以外に無いという当然のことを実践しようというだけのことだ。
市場原理に基づく既存の価値観があり、それとは別に個人の独自の価値観があり、しかもそれらが時と場合に応じて重複したり並立したりするのである。それは当然の在りようなのだから、そういう場の居心地は良いはずだ。ひとりよがりのものさしがたくさんひしめき合ったら楽しいだろうと思うのである。
店のイメージとしては、須賀敦子の著作に登場するコルシア書店の道具屋版のようなものを漠然と考えている。実際のコルシア書店を知らないので、私の夢想でしかないのだが、物を媒介にして人と人とが繋がり合う、しかも、現実に面と向かう機会を得る場、というところが肝心だ。新しいことというのは、人と人とのある程度濃密な関係のなかからしか生れないものではないかと思っている。
大まかな店のイメージとしては以下のようなものを考えている。
取り扱い商品:
・原則として手仕事の製品
・安物は扱わない
・店舗はギャラリーとして使うこともあるので、移動が容易な大きさや重さのもの
対象顧客層:
・独自の視点を持ち、且つ、他人の視点も尊重できる人
店舗の立地:
・不便でないが、コストもかからない場所
・こんなところにこんな店が、という意外性のある場所
会員制:
・任意だが会費を徴収し、会報を発行する
・会費は年間1,200円程度に抑えて敷居は低くする
・しかし誰でも受け容れるというわけではない
・会報は月刊 広告を取れるくらいの内容を目指す
その他:
・ウエッブサイトは用意するが、ネット販売はやらない
・実物を見ないで買おうと思うような発想の客を排除することと、生身の人間どうしの付き合いを基本にするため
今は漠然としたイメージだけで、実現のために必要な資金もコネも何も無いが、なんとか実現させてみたいものだ。