熊本熊的日常

日常生活についての雑記

言いたくないが

2010年07月24日 | Weblog
「言いたくないが」と前置きをしてから愚痴や説教を垂れる人がいる。言いたくないなら言わなきゃよさそうなものだが、結局滔々と話が続くのだから本当は言いたいのだろう。わざわざ「言いたくない」と言ってまで何事を語り始めるのかと思って聞いていると、大概は情緒的で論理の破綻した話である。自意識過剰なのか、思考力に重大な欠陥があるのか、いずれにしてもろくなものではない。

しかし、間違ってもその相手に向かって「ろくなものではない」などと言ってはいけない。このような困った状況を最短時間で乗り切るには、しおらしく愚痴や説教が終わるのを待つことである。ただ待つのではない。聞いている、御説御尤である、という同意の姿勢を明確に示すことが必要だ。人は社会性の強い生き物なので、孤独に陥ることを嫌う傾向が強い。自分に寄り添う誰かがいる、という認識を持たせることが相手の不満を緩和する最善の策である。同意しているかいないかということは問題ではない。どうせ深い考えがあるわけではないのだし、不満が噴出するのは一時のことである。

一時といえば、5分10分も一時だが、人の人生丸ごとにしたところで一時のようなものだろう。不満は自分で解決しようとしなければ永遠に解決できない。不満の原因を他者に求めている限り希望は無い。そんなことにも気付かないのは気の毒なことである。言葉のかけようもない。結局、ただ聞いているよりほかに仕方がない。