昨日、目黒区美術館で小堀宗慶展を観てきた。そこで久しぶりに馬蝗絆を観たのだが、以前よりも大きく感じられた。最初に見た頃は、まだ陶芸を始める遥か以前だったので、あまり深く考えなかったが、改めて眺めてみると、青磁の美しさは以前も今も印象深く感じるが、見込の大ぶり感が際立っていることに眼が行く。良い茶碗とは実際の大きさよりも内側が大きく感じられる、と言われるのだが、まさにその通りなのである。ただ、鎹を蝗に見立てるというのは、さすがに無理があるように思う。割れた茶碗を金継などで補修したり、意図的に割って金継をするというようなものもあるが、皹は皹であるに違いなく、そうした補修跡を気にしながら使う窮屈さをどのように捉えたらよいのか、今のところは考えあぐねてしまう。もう少し茶のことを学んで、考え方に変化が出てくれば、違った感じ方ができるのかもしれない。ただ、鎹はさておき、馬蝗絆の茶碗としての形であるとか、佇まいといったものの素晴らしさは、以前に見たときよりも今のほうが強く感じるのは確かである。
馬蝗絆の隣に喜左衛門。これは日本民藝館で観た朝鮮陶器の系列と言えると思う。やはり造形が素晴らしいが、細部の詰めに甘いところがあり、そこに却って心を惹きつけるものがある。縁に何箇所か欠けの補修跡があるが、今となってはそれも景色のうちである。造形の完成度として完璧と言える馬蝗絆の対極にあるものと見ることもできるだろう。対極といっても不完全ということではなく、微妙な揺れのようなものを含んでいるということだ。色も渋くてよい。最初からこの色だったのではなく、年月を重ねて現在の姿に至ったのだが、こうした終わりの無い変化もやきものの面白いところである。
たいがい美術館を訪れる時は、直前に腹ごしらえをする。そのほうが落ち着いて観ることができるからだ。昨日は権之助坂にある「東京うどん」というところで店名の「東京うどん」を頂いた。少し黒ずんだ蕎麦のような色の麺だが、この色は小麦のフスマの所為との説明書が店内の壁に書いてあった。なんとなく懐かしい味のする麺だと思ったら、子供の頃に祖母が作ってくれたうどんがこんな感じだったことを思い出した。何故だか知らないが、40代も後半に入ってから、子供の頃に慣れ親しんだ味が折りに触れて思い出されるようになった。蒸パンとか手打ち蕎麦とか、作ってもらって食べていた頃は、それが特別美味しいとも思わなかった。それが今頃になって食べてみたくなるのである。その祖母が亡くなったのはいつのことだったろうか。私が大学を出て留学をするまでの間だったから、23年前頃のことだったはずだ。私も死期が迫っていて、記憶が自然とフラッシュバックしているのだろうか。
馬蝗絆の隣に喜左衛門。これは日本民藝館で観た朝鮮陶器の系列と言えると思う。やはり造形が素晴らしいが、細部の詰めに甘いところがあり、そこに却って心を惹きつけるものがある。縁に何箇所か欠けの補修跡があるが、今となってはそれも景色のうちである。造形の完成度として完璧と言える馬蝗絆の対極にあるものと見ることもできるだろう。対極といっても不完全ということではなく、微妙な揺れのようなものを含んでいるということだ。色も渋くてよい。最初からこの色だったのではなく、年月を重ねて現在の姿に至ったのだが、こうした終わりの無い変化もやきものの面白いところである。
たいがい美術館を訪れる時は、直前に腹ごしらえをする。そのほうが落ち着いて観ることができるからだ。昨日は権之助坂にある「東京うどん」というところで店名の「東京うどん」を頂いた。少し黒ずんだ蕎麦のような色の麺だが、この色は小麦のフスマの所為との説明書が店内の壁に書いてあった。なんとなく懐かしい味のする麺だと思ったら、子供の頃に祖母が作ってくれたうどんがこんな感じだったことを思い出した。何故だか知らないが、40代も後半に入ってから、子供の頃に慣れ親しんだ味が折りに触れて思い出されるようになった。蒸パンとか手打ち蕎麦とか、作ってもらって食べていた頃は、それが特別美味しいとも思わなかった。それが今頃になって食べてみたくなるのである。その祖母が亡くなったのはいつのことだったろうか。私が大学を出て留学をするまでの間だったから、23年前頃のことだったはずだ。私も死期が迫っていて、記憶が自然とフラッシュバックしているのだろうか。