帰宅途上、自宅目前の公園の滑り台で若い男女が愛を語り合っていた、ように見えた。夜の公園で若い男女が逢瀬を楽しむというのは当たり前の風景である。今日はなんだか新鮮な風景に感じられたが、新鮮に感じられるようでは困るのである。今はそもそも若い人が少なくなっているので、そういう当たり前だった風景が失われつつある。この団地に引っ越して来て、それまで暮らした巣鴨地蔵通りとの大きな違いは若者密度だ。よく古い団地が丸ごと過疎化している事例が取沙汰されて高齢化の危機を喧伝する向きもある。今暮らしている団地は昭和40年代前半に入居が始まったものだが、子供の姿を見かけることが多い。自宅前の公園にしても昼間は近所の幼稚園児が先生に引率されて遊びにきているし、休日はもう少し年齢が上の子供たちが遊んでいる。団地内の商店街は一部を除いてクリニックになってしまい商店街としての賑わいは今ひとつだが、カフェマニアの間では知られたカフェがあって遠方から探訪に来る若者がいる。もちろん日本全体が高齢化の潮流のなかにあるので、その影響も当然に受けているはずだ。それでも巣鴨に比べたら別世界だ。なんといっても巣鴨がある東京都豊島区は5月に日本創世会議が発表した消滅可能性都市に東京で唯一ランクインしている。
ちなみにこの「消滅可能性都市」というのは20歳から39歳の女性の人口が2010年に対して2040年に50%以上減少することが見込まれる都市のことである。人口の将来推定の方法は常識的と言ってもいいほどに決まった方法があるので説明は割愛するが、よほど突飛なことでもない限り、この推定値を下回る確率が高いと見ていいだろう。それによると豊島区は-50.8%、私が今暮らしているところは-24.9%、私の実家があるところは-15.2%、妻の実家があるところは-51.3%だ。日本全体では-36.4%だが、市区町村別で見れば減少率を見る以前に当該人口が100人に満たないところが169あり、うち一桁の自治体が2だ。人口の減少を危惧する状況ではもはやなく、ほぼ確実に消滅する自治体である。本調査の対象となる市区町村は1,800あるので約9%にあたる。
昨今、排外的な風潮が以前よりも強まっている印象があるが、消えようというロウソクの炎が最後に明るくなる瞬間に似ているような気がする。弱い犬ほどよく吠えるとも言う。食われるつもりなら闇雲に虚勢を張っていればいいだろうが、もう少し考えるということをしないとこの国の存続はおぼつかない。