久しぶりに大学時代の友人と会った。最後に会ったのがいつなのか記憶にないほど久しぶりの再会である。大学の最寄り駅の改札で待ち合わせたが、お互いに相手のことがすぐに認識できた。不思議なことに、まるで毎日顔をあわせているかの如くに会話が続く。似たような経験はたまにある。
思うに、相手との距離というのは言語の問題ではないか。活動する分野が違っていても、かつて同じ話題で議論したような相手なら、発想のロジックを想像することができる。
社会には共通言語で結ばれた小集団が多数存在する。誰もが、複数の小集団に所属しながら日々を送っている。この言語を共有する相手と過ごす時は心地よさがあり、そうでないときは居心地が悪い。人と知り合い、関係を深めていく過程は、共通言語を探るプロセスと言えるだろう。共有するロジックがなければ、恐らく永遠にわかり合えないであろう。
このことは、身近が人々との関係から、国家間の関係に至るまで、あてはまるような気がする。
思うに、相手との距離というのは言語の問題ではないか。活動する分野が違っていても、かつて同じ話題で議論したような相手なら、発想のロジックを想像することができる。
社会には共通言語で結ばれた小集団が多数存在する。誰もが、複数の小集団に所属しながら日々を送っている。この言語を共有する相手と過ごす時は心地よさがあり、そうでないときは居心地が悪い。人と知り合い、関係を深めていく過程は、共通言語を探るプロセスと言えるだろう。共有するロジックがなければ、恐らく永遠にわかり合えないであろう。
このことは、身近が人々との関係から、国家間の関係に至るまで、あてはまるような気がする。