熊本熊的日常

日常生活についての雑記

街並み考

2010年03月07日 | Weblog
先日購入したDVD「A Hard Day’s Night」を観た。勿論、観るのは今回が初めてではないのだが、今まで手許に無かったので、廉価版が発売されたのを機に予約しておいたのである。本編のほうについては今更何も言うことはないのだが、特典映像についていた「Location」というのが短いけれど興味深かった。作品の撮影に使われた場所をいくつか現在の様子と対比させながら紹介しているものだ。それを観ると街並みが撮影当時から40年以上の時を経ているのに、あまり変っていないことに驚かされる。

ロンドンも東京も先の大戦で焼け野原となったのは同じである。それが、街並みという点においては、ロンドンが古くからの景観を残したまま復興したのに対し、東京は激しく変貌し続けている。勿論、ロンドンだって変化は続けているが、その程度が東京とは大きく異なるということだ。

おそらく、生活様式というものに対する人々の意識の違いが街並みという物理的なものに反映されているのだろう。自分自身の経験に即した標準というものを持ち、自分自身の生活というものがあれば、そこに自ずと落ち着きどころのよい生活様式というものが成り立つはずだ。おそらく、欧州の場合は島国のイギリスでさえ、国境の変化を繰り返し、他民族と対峙しながら歴史や文化が形成されてきたので、否が応にも自意識が高くならざるを無かっただろう。それが結果として、自己の標準というものを意識させることになったのではないかと思う。対して日本は、19世紀中盤まで異民族との交渉の歴史が殆どない。古文書を読めば、そこに主語が無いのが当たり前であるような思考が垣間見える。それが高々100年やそこらで今日のような姿になったのだから、標準だのなんだのと鯱張ったことを言ってはいられなかったであろう。

激しく移り変わる風景のなかで暮らすことが良いとか悪いとかいうのではない。景観というものへの意識の違いの背景に何があるのかということを考えなければ、文化とか歴史というようなことを理解することはできないだろうし、自分自身を知ることもできないのではないだろうかと思うだけである。

「人の砂漠」

2010年03月06日 | Weblog
「屑の世界」「鏡の調書」「おばあさんが死んだ」「棄てられた女たちのユートピア」というそれぞれ独立した4作品から成る。どの話も実話なのだそうだが、それぞれ社会から排除された人々を描いている。排除の基準は、当然ながら明確なものではない。およそ世の中に四択から選択するとか、○×で区別することができることなど無い。ただ便宜上そのような単純化を図って、物事の当座の流れを良くしているだけにすぎないのだが、習慣とは恐ろしいもので、物事には全て白黒つくものと頭から信じて疑わない畜生未満の知性しかない輩が少なくないのも事実だろう。

映画として見れば、どの話も事実であることが信じられないようなことであるかもしれない。「屑の世界」の「屑」とは何を指しているのか。作品はこの点について雄弁とは言いがたいのだが、個人的にはこの点が気になった。自分では毎日あらゆる種類の廃棄物を生成しながら、それらの処理を担う人々を敵視したり蔑視したりする。例えば年末年始にゴミの収集がわずか数回ほど休止するだけで、家の中にゴミをもてあまして心地悪い気分になる。本当なら、そこでゴミ収集という事業にどれほど自分の生活が依存しているかを認識して、それに協力するくらいの姿勢を持って然るべきだろう。勿論、意識の高い人々も少なくないだろうが、分別もろくにできず、捨てるべき場所の認識すらできない半ば痴呆のような人々もいて、各地で問題になっているのは周知のことである。捨てられた廃棄物はもちろん屑だが、無作法に捨てる人間は屑以上に始末に困るのではないか。

「鏡の調書」の「鏡」に映っているのは何だろうか。詐欺というのは犯罪だが、騙されるほうに果たして問題が無いケースばかりなのだろうか。確かに、社会は信用で成り立っている。その象徴が通貨だろう。紙幣はそれ自体ただの紙である。本物であろうが贋物であろうが、紙は紙だ。かつては兌換紙幣といって、国庫にある金の量に応じて発行されていたが、今はその裏づけとなる物理的存在は何も無い。ただひたすらに国家に対する信用だけが裏づけだ。例え巨額の負債を抱えていようとも、その負債に返済のあてが無かろうとも、誰もその価値を疑うことはない。不思議なことだが、その幻想の権化のようなものを使って、我々はありとあらゆるものを価格で表現しようとする。幻想のなかを浮遊しているから、夢と現の区別がつかず、間抜けな儲け話を信じて大枚をはたいてみたくなるのだろう。

「おばあさんが死んだ」での死の描かれ方が興味深い。死をテーマに据えた作品は多い。「おくりびと」のなかで腐乱死体となって発見された独居老人や、行旅死亡人となった主人公の父親が描かれていたりするが、映像作品の多くでは、当然のように、たとえ身寄りのない人の死であっても、それを暖かく見送る人々がいるものとして描いている。しかし、本作のように、死が厄介なものとして扱われることも、現実には少なくないだろう。少しばかり協調性に欠けたところのある主人公が、病気で息子を失い、その息子を死を認めることができずに、結果として、息子のミイラ化した死体とともに暮らし、ついに自らも餓死するに至る。作品のなかでは、主人公の性格あるいは精神に問題があって、それが彼女と息子を追い詰めてしまうことになっているかのように描かれている。しかし、周囲と常識的な関係を持ちながら日常生活を営んでいる人でも、孤独死してしまうことはかなり一般的な現象になりつつあるのではないだろうか。かくいう私も天涯孤独の身である。今は親もいれば子もいるが、どちらも同居しているわけではないし、おそらく親はそう遠くない将来にいなくなるだろうし、子供との関係もどうなるかわからない。誰にも看取られずに死ぬ確率はかなり高い。それで、そうなったときにできるだけ私の死にかかわる人に手間をかけぬよう、いろいろなことを少しずつ整理し始めている。いざ始めてみると、めんどくさくて容易に捗らない。完成形としてイメージしているのは、一冊のそれほど厚くないファイルにマニュアル化してまとめ、自分の手許に置いておき、写しも作ってそれを取り敢えず子供に渡しておくつもりでいる。

「棄てられた女たちのユートピア」もある意味では死を扱っていることになるのかもしれない。死というのは物理的に生命活動を停止した状態を指すのが一般的だろうが、生命活動が活発でも社会とのつながりを失ってしまうという意味で死同然の状態にある、というのも死ではないだろうか。主人公が警察のおせっかいで入所している施設ではなく、実家に連れ戻される場面がある。そこで警察官がインターホンに「娘さんを連れてきました」と告げると返ってきた返事は「娘は死にました」である。生きているとはどういうことなのか、死とは何か、というようなことを考える契機にもなる作品だと思う。

これらの作品を観て、原作本を読もうという気にはならなかった。70年代も今も人の社会というのはそれほど変るものではないだろうが、当時に比べて平均的な生活水準が向上した分、人の精神が脆弱になっているような気もする。そういう点で、本作でとりあげられたような現場は以前よりも悲惨の度合いが濃くなっているような気がしないでもない。いずれにしても、見応えのある真面目な作品だった。

さくらさく

2010年03月05日 | Weblog
昨日の帰りにタクシーの運転手さんと話をしていて、丸紅の角の桜が満開だということを聞いた。私は車がその角を曲がったとき、丸紅とは反対側を眺めていたので気付かなかった。まだ3月になったばかりで桜のことなど意識になかったので、妙にその桜が気になり、今日の出勤前に遠回りをして眺めてきた。

午前中に家を出て、新宿の映画館で「人の砂漠」という映画を観てきた。映画のことは明日、このブログに書くつもりでいる。映画の後、新宿駅のルミネにあるつばめグリルでグラタンを食べ、中央線で神田に出て竹むらで粟善哉をいただき、腹が膨れたところで、歩いて丸紅まで行く。

世の中は、やれコスト削減だ、やれ競争だと、物事が薄っぺらいほうへ薄っぺらいほうへと、それこそ狂騒のように向かっているように感じられ、情けない気分になることがある。そういう毎日だからこそなのかもしれないが、近頃は、精魂込めた手仕事に触れると砂漠でオアシスを見つけたような嬉しさを覚える。竹むらの善哉などは、まさにそういう仕事だと思う。

神田から大手町にかけては小さなビルが軒を連ねているなかで、ところどころに昔ながらの古い木造家屋や建物丸ごと骨董のような味わいのあるビルが散在していて、面白い風景が広がっている。そんな裏通りを、阿弥陀籤を辿るように歩いて堀を越え、如水会館の裏手から丸紅へと回ると、建物の裏手に1本、そして昨日の会話に登場した角に1本、桜が咲いていた。

どのような種類なのか知らないが、ソメイヨシノに比べると、かなりピンクの勝った花で、昨夜の雨で少し散ってはいたが、見事な咲きっぷりである。西に傾いた陽に照らされて、そのしっかりとしたピンクが力強く感じられる。日々いろいろなことが起こり、自分の生活も不安の種には事欠かないが、そんなこととは無関係に季節が巡り、今年もこうして花を拝む時期になったのだと思うと、なんとはなしに刹那の安堵を覚えて、心安らぐ。

百聞は一見にしかず

2010年03月02日 | Weblog
陶芸教室で、先生が茶碗を挽くところを拝見する機会に恵まれた。私が悪戦苦闘しているところを見るに見かねたのだろう。個別具体的な指導を交え、2つ挽いていただいた。自分がさっきまで扱いあぐねていた土塊が、先生の手にかかると手品のように、あっという間に茶碗の形になる。陶芸家なのだから当然といえば身も蓋も無いが、同じものが扱う人によって全く異なる姿になるというのは土塊に限ったことではない。

結局、そのふたつのお手本を意識しながら、結果としては、そのお手本とは似ても似つかぬ器をひとつ挽き、いくつか失敗を重ねた後、蕎麦猪口のような小さな器をひとつ挽き、時間切れとなった。

轆轤は土が少なくなると扱いが少し難しくなる。時に土塊を据えるときに意図せずに空気の層を含んだままになっていることもあり、その空洞が土塊の据わりを悪くする。そうなると対象形として回転できなくなるので形が定まらない。土塊がある程度の大きさなら問題にならなかったことが、土を消費して土塊が小さくなったところで牙をむくのである。いわば、最初から抱えていて、先延ばしにしていた問題が、ある局面に至るに及んで露呈するということで、これも陶芸に限ったことではない。

土塊のなかの空洞については、土練りの段階で空洞ができないように注意を払って土を纏めることで回避できる。準備を入念にすることで、その後の工程の難易度が著しく低下するのである。これまた普遍的なことである。

我々が生きる場というのは不確実なものだが、振り返ってみれば、ある程度は原理原則的なことが感じられなくも無い。そうした漠然としたものをいくつも重ね合わせることで個人の人生観や社会の倫理観のようなものが形成されているのだろう。そうした「観」が普段の何気ない個別具体的行動のなかにそれとはわからぬような姿で表現されている。そんなことを轆轤を挽きながら、ふと考えた。

それにしても、先生が茶碗を挽くのはあっという間だった。実際に物事が展開する場面を観察するというのは、ある種の衝撃を伴って知覚されるものだ。そこに本業と余業との間の越えがたい障壁を見るのだが、その壁をどのようにして乗り越えるかという欲というか好奇心のようなものも同時に頭をもたげる。どのようなことであれ、物事の実行には技術が必要だが、技術を身につけるには要となる基本動作を習得するしかないのだろう。それにはその基本動作を反復して練習し、自分の身体の細部にまで動きとその感覚を記憶させることが必要だ。さて、これからどこまで行けるものやら。