熊本レポート

文字の裏に事件あり

甦る心と蘇生しない生き方

2019-02-04 | ブログ

 警察の独りが見返りを想定させられて不法な意図を以て部下、同僚の組織を動かした。後でその一片を監察は「伝統的な縦社会が抱えるリスク」と嘆いたが、それは指示、命令系統に基づく特有のシステムが生んだ「規律的な行動姿勢」などと評されるものではなく、それは個人的な判断能力に極めて劣るグループという実に単純な結果であった。
 事件の少ない社会での実務経験の乏しさが生んだ結果という意見もあるが、その良し悪しはともかく「鶏が先か卵が先なのか」という因果性の背景にも思われる。
 政治家事務所で個人秘書を務めているM氏に対して、彼が関わった長期的、かつ複数の「職員不正採用事件」について問い質すと、彼は「公設秘書でも公務員でもないし、何ら心配していない」と言って逃げた。彼の関係する議員も彼と同程度の見識にあるので、平穏無事が誰にもベターな地域では「取るに足らないテーマ」のようにも思えるのだが、「金を貰って(むしろ要求)職員の採用に加担した場合は不正採用の成立に繋がる不法行為」であって、これは少年でも知る犯罪。
 置かれた環境(慢性化)から他の政治家の私設秘書らとは少し異なり、証拠を突きつけられても「何も問題はない」と図太い応対だが、職員の採用に関して金が動いた(要求)となると贈収賄容疑は明らか。
 また、「不正採用事件」が、こうした私設秘書(M氏)の人脈を含む能力に限定され、それらが実行されたなどとは誰も判断するわけがなく、関係する議員の存在が実行させたと判断するのは当然。
 また不正採用する側にあっても、金の入口が存在していて、それには全く無関係と言い切れるだろうか
 こうしてストーリーを勝手に紹介するまでもなく、その責任所在はM氏を中心に本命へ拡がるわけだが、それを「公設でも公務員でもないから問題ない」と言い切るM氏は実に特異。
 一民間人が、警察に関わる独りを動かすとなると、そこには色々とリスクを抱えるわけだが、そのリスクでの代価が如何に大きいかは常識。その常識を推察するどころか、複雑怪奇な現代に何ら疑うこともない個人がグループ化し、組織を造り上げることになれば一方、不法行為に何の罪悪感どころか、無責任な生き方を通す者が増えてくるのも確かで、その子(秘書)は親(政治家)を見て生きている・・・。