万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

マニフェストは叩き台

2009年10月08日 16時03分27秒 | 日本政治
首相 普天間合意、容認も 政権公約「時間で変化」(産経新聞) - goo ニュース
 マニフェストを、政権成立後に変えることに対しては、”国民との約束を破った”とする非難の声もあるようです。しかしながら、以下の諸点から、マニフェストは、変えてもよいように思うのです。

(1)議会制民主主義に反する
 マニフェストを”国民との約束”と定義しますと、国会が不要になるという問題点があります。何故ならば、国会での審議・修正を経ずして、政権のマニフェストがそのまま政策となるからです。実際に、臨時国会が開かれる前に、民主党政権は、マニフェストを盾にして矢継ぎ早に政策を決定しているようです。これでは、日本国の国会は、社会・共産主義国のように、単なる承認機関になってしまいます。マニフェストの絶対化は、一見、約束を守る誠実な姿勢に見えるのですが、実のところ、議会制民主主義を定めた憲法に違反することになりかねないのです。

(2)事情の変化
 鳩山首相は、マニフェストは時間とともに変化すると述べたと伝わりますが、選挙の時点と政策を実施に決定する時点とでは、政治や経済の状況も違っていることは当然のことです。また、政権与党となることで、これまで把握していなかった現場の情報や個別の事情に触れることもあるかもしれません。

(3)野党の存在
 衆議院選挙では、自民党をはじめとした野党議員を選んだ国民も少なくありません。野党議員も国民の代表ですので、もし、与党のマニフェストを絶対化するとしますと、これらの国民の代表の声が、国政に届かなくなります。

(4)一括選択方式
 マニフェスト方式には、個別の政策を選べないという、一括選択の問題点もあります。

(5)党内力学
 党内におけるマニフェストの政策過程は、国民には見えません。党内力学が働いているとしますと、国民の利益が尊重されているのか、不安な面もあります。

 以上の諸点を考慮しますと、マニフェストは、与党が国会に提出する”叩き台”と捉えるのが妥当なのではないかと思われるのです。”叩き台”であれば、国会での野党との議論や事情の変化、あるいは、世論に合わせて修正したり、どうしても無理な場合には断念することもできます。政治が硬直化することもまた悲劇をもたらす原因なのですから、民主党政権には、柔軟性を備えていただきたいと思うのです。

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コメント (8)
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