万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ノーベル平和賞―戦争と平和のトートロジー

2009年10月10日 15時48分21秒 | 国際政治
ノーベル平和賞 オバマ大統領、重い十字架背負う 「理想」「国益」両立なるか(産経新聞) - goo ニュース
 もしも、平和を実現するためにやむを得ず武力行使を行う場合、この行為は、正義に適うのか。オバマ大統領のノーベル平和賞の報に接し、ふと頭に浮かんだのが、この古くて新しい戦争と平和のトートロジーです。

 オバマ大統領のノーベル平和賞の授賞理由は、核廃絶を訴え、対話による核問題解決の道を開いたということのようです。それには、あくまでも、”平和的な手段”が透けて見え、選考した側の基本的なスタンスが読み取れます。しかしながら、実際の国際社会にあって、密かに核を保有するに至った国が出現した場合、オバマ大統領は、どのような判断を下すのでしょうか。もし、”平和”を尊んで何もしないとなりますと、核廃絶の訴えは無意味となります。また、保有された核兵器は、周辺諸国に深刻な脅威を与えることになりましょう。その一方で、不正な核保有を防ぐために武力行使に踏み切りますと、”平和”というイメージからは遠ざかりますが、核兵器の廃絶という目的には適います。

 ”平和”の意味するところが、目的なのか、状況なのか、その定義が曖昧のままにしますと、ノーベル平和賞は、政治家の判断を曇らせ、国際社会をトートロジーに陥いらせることになります。”平和”が脅威の排除をも含むのならば、戦争、あるいは、武力行使もまた、平和への貢献として評価されることもあり得るのですから。
 
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コメント (6)
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