「共通の歴史教科書」を評価…韓国外相(読売新聞) - goo ニュース
中国や韓国は、日本国に対して、自らの主観的な歴史観を押し付けようとしてきたことはよく知られています。ところで、もし、”共通の歴史教科書”なるものを作るとしたならば、それは、客観的な事実を記した世界史あるいはアジア史しかあり得ないのではないか、と思うのです。
一国の歴史を記述する場合、どの国も、自国の立場に立って記述しますし、自国の歴史観の延長線上において、共通の教科書を作ろうとすれば、相互に主観的な歴史観の押し付け合いとなります。教科書作成の過程で政治力学が働けば、特定の国の歴史観が”公認”の歴史となり、事実が歪められてしまいます。その一方で、世界史やアジア史を対象とするとなりますと、より客観的な記述に落ち着かざるを得なくなります。何故ならば、どの国も、人類の歴史の流れや国際体制の中で、自国と周辺諸国との関係を見つめなければならなくなるからです。この視点に立ては、中国は、常に被害者ではありませんし、韓国もまた、日韓併合のみならず、中国の冊封体制とも向き合わなければならなくなります。
しばしば、中国や韓国では、世界史が疎かにされている、と指摘されることがあります。この指摘は、自国の視点や特定のイデオロギーからしか歴史を見ない、という、事実に対する不誠実な両国の態度への非難でもあります。共通の歴史教科書造りは、各国の歴史観の衝突によって頓挫するかもしれませんが、あるいは、中国や韓国が事実としての歴史に目覚めるチャンスとなるかもしれません。
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中国や韓国は、日本国に対して、自らの主観的な歴史観を押し付けようとしてきたことはよく知られています。ところで、もし、”共通の歴史教科書”なるものを作るとしたならば、それは、客観的な事実を記した世界史あるいはアジア史しかあり得ないのではないか、と思うのです。
一国の歴史を記述する場合、どの国も、自国の立場に立って記述しますし、自国の歴史観の延長線上において、共通の教科書を作ろうとすれば、相互に主観的な歴史観の押し付け合いとなります。教科書作成の過程で政治力学が働けば、特定の国の歴史観が”公認”の歴史となり、事実が歪められてしまいます。その一方で、世界史やアジア史を対象とするとなりますと、より客観的な記述に落ち着かざるを得なくなります。何故ならば、どの国も、人類の歴史の流れや国際体制の中で、自国と周辺諸国との関係を見つめなければならなくなるからです。この視点に立ては、中国は、常に被害者ではありませんし、韓国もまた、日韓併合のみならず、中国の冊封体制とも向き合わなければならなくなります。
しばしば、中国や韓国では、世界史が疎かにされている、と指摘されることがあります。この指摘は、自国の視点や特定のイデオロギーからしか歴史を見ない、という、事実に対する不誠実な両国の態度への非難でもあります。共通の歴史教科書造りは、各国の歴史観の衝突によって頓挫するかもしれませんが、あるいは、中国や韓国が事実としての歴史に目覚めるチャンスとなるかもしれません。
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