万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

脱原発は政治判断には馴染まない

2011年06月27日 15時48分01秒 | 日本政治
自民福島県連、方針大転換「原発推進しない」(読売新聞) - goo ニュース
 福島第一原発の事故以降、内外において脱原発・反原発の声が強まったせいか、政治家や市民団体の一部は、脱原発を政治イシューとして国民に判断を迫ろうとしているようです。しかしながら、この問題、政治判断には馴染まないと思うのです。

 福島第一原発で事故を起こした原子炉は何れも旧式であり、1号機から4号機まで、全て70年代に運転を開始していますので、既に30年以上が経過しています。大規模な発電施設は、短期間で新式に建て替えることはできませんので、旧式の設備を長期にわたって使用しなければならない、という欠点があります(この点は、発電効率の低い段階で太陽光発電を普及させる問題点でもある・・・)。つまり、脱原発の問いかけは、30年から40年も前の技術が引き起こした事故に基づいて、現在の国民が、原子力の将来について判断することになるのです。今日では、冷却装置を喪失しても、自然に冷温状態に至る技術も開発されているとのことですし、30年間において、安全技術は長足の進歩を遂げています。そうして、こうした原子力の技術的な発展は、今なお続いているのです。

 原子力が技術と密接に結びついているとしますと、そもそも政治判断は極めて難しく、国民全員が、半ば原子力や災害の専門家とならなければ、適切な判断はできません(技術的な判断なので・・・)。現状の技術レベルから予測しても、将来において、ブレークスルーとなるような技術革新があるかもしれないのですから、判断すること自体が間違っているかもしれないのです。世論を煽るような脱原発の政治イシュー化は、むしろ、将来の選択肢を狭め、自国を自らの手で衰退に追い込むことになるのではないかと心配になるのです。

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コメント (2)
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