万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国連事務総長の軽率な靖国参拝批判

2013年12月29日 15時42分23秒 | 国際政治
首相靖国参拝、北東アジアが苦悩…国連事務総長(読売新聞) - goo ニュース
 安倍首相による靖国神社参拝について、韓国出身の藩国連事務総長は、日本叩きのチャンスとばかりに批判声明を公表したそうです。この批判、国連からの発信というよりも、韓国の見解を代弁したと見た方がよいようです。

 ところで、首相の靖国参拝は、実のところ、人類に対する様々な問いかけを含んでいます。敗戦国は、戦時の政治的責任者を慰霊することは許されないのか、戦争犯罪や人道上の罪は、敗戦国のみに対して問われるのか、戦争の責任は、敗戦国が全面的に負うのか、如何なる国も、戦時に被害を受けた相手国の心情を慮り、慰霊は控えるべきなのか、そして、戦勝国や関係国は、史実を無視しても他国に”歴史認識”を永遠に押し付けることができるのか…など、論点を挙げれば数限りがありません。しかも、慰霊行為ともなりますと、その国の宗教や文化と密接に関わりますので、魂の問題にも踏み込むことになります。キリスト教では、許しの精神が説かれており、日本国でも死者を鞭打つことはしませんが、たとえ極悪人のレッテルを張られた人物であったとしても、死後の魂に対する扱い方は、その国の死生観や信仰心によって違いがあります。果たして、軍事裁判の有罪判決は、死を以って刑に服した人々の魂を弔うことを禁じる正当な理由となるのでしょうか。

 国連事務総長の批判は、被害者の心情への配慮を強調しておりますが、韓国とて、敗戦時には朝鮮半島や日本国内で多数の日本人を虐殺し、また、一昨日のブログ記事で指摘したように、ベトナム戦争では、無辜の村民を大量に虐殺しています(朝鮮戦争時には、自国民に対する大量虐殺事件を起こしている…)。戦争とは、双方が相手国に被害を加える行為ですので、被害性のみを取り上げますと、慰霊という行為は、如何なる国においても不可能となります。国連とは、普遍性を掲げる国際機関なのですから、出身国の立場から発言するのではなく、人類に内省を促すようなより根本的な問題を問うべきではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする