万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカは北朝鮮の暴力主義に対抗できるのか?

2013年12月16日 15時06分20秒 | アフリカ
張氏処刑までの数カ月、数多くの死刑執行 米国務長官「不安定さの証だ」(産経新聞) - goo ニュース
 中国大陸や朝鮮半島には、1910年の併合によって日本政府が廃止するまで、世にも恐ろしい残酷な刑罰が存在していました。北朝鮮は、伝統的な刑罰の残虐さに加えて共産主義由来の弾圧・粛清体質をも受け継いでいるのですから、反逆者のレッテルを張られた張氏処刑の光景もまた、正視に絶えない凄惨なものであったそうです。

 アメリカのケリー国務長官は、この事件に関連して北朝鮮の金正恩政権の不安定さを指摘すると共に、北朝鮮の核兵器の保有も許さないと、厳しい口調で批判しています。これまで、オバマ大統領やケリー国務長官をはじめ、アメリカ民主党のリベラル派の人々は、北朝鮮を”話せばわかる相手”として扱ってきました。その思想的な背景には、近代以降の理性崇拝があり、全ての人間には天より授けられた理性が備わっており、理性ある限り、理を尽くして説明すれば、人種、民族、宗教…の違いこそあれ、あらゆる人は、それを理解すると信じていたのです。しかしながら、”理性崇拝”は、力を信じる者に対しては無力となります。言葉によって説得するよりも、物理的な力を用いる方が確実に相手を強制できるのですから…。近現代国家の基礎となる民主主義、基本的な自由と権利の相互尊重、法の支配…といった近代以降の価値は、全て人間の理性の働きに依拠しています。一方、力を信奉する者達が造る国では、理性の衣を纏ったイデオロギーもまた自己正当化の道具に過ぎず、暴力こそが支配の手段となります。北朝鮮のみならず、中国や韓国…にも、御しがたい暴力主義を見出すことができます。

 リベラルな人々は、人間性を信じるが故に暴力主義に対しても寛容です。暴力主義もまた、多様な思想の一つに過ぎず、普遍的な理性によって矯正可能と考えるからです。しかしながら、暴力主義者は、理性の矯正が及ばないところに安住しているのですから(むしろ、理性が及ぶと体制が崩壊する…)、対話と説得を基調とするアプローチには無理があります。力しか信じない者の暴力主義にどのように対処するのか。実のところ、近代以降、普遍性を以って人類に広がった諸価値は、暴力主義の台頭によって挑戦を受けています。少なくとも、”話し合い”という美名の下で、暴力主義を理性で抑え込もうとする方法は限界にきているのではないでしょうか。

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コメント (6)
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