万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”法の支配”の対極は安保法案違憲論者では?

2015年06月12日 09時18分05秒 | 日本政治
【論戦 安保法制】衆院憲法審で自・民幹部が直接対決 高村氏vs枝野氏
昨日、衆議院の憲法審査会において、民主党の枝野議員が”専門家の指摘を無視して都合よく否定する姿勢は法の支配とは対極そのものだ”と述べて、安保法案に反対したと報じられております。しかしながら、法の支配の意義に鑑みますと、安保法案違憲論者の方が、法の支配の対極に位置するのではないかと思うのです。

 法の支配の本質的な意義とは、全員に適用される一般的な法の下で、個々の基本的な権利や自由が等しく守られることにあります。中国やロシアが、法の支配に反するとして批判を受けるのも、国際社会の一員として遵守すべき法的拘束から自らを解き放つ一方で、他国の権利を侵害しているからです。つまり、国際社会における法の支配とは、主権国家の権利と自由を相互に保障するためにこそあり、それ故に、全ての国家には、等しく法を順守する義務が生じるのです。ところが、安保法案違憲論者は、本来の意義とは全く逆に、日本国の基本権の制限に対してこの原則を当て嵌めようとしております。個別的自衛権も集団的自衛権も、主権国家の正当防衛権ですので、主権国家の基本権に含まれます(個人レベルで言えば自らの人格、生命、身体…に対する基本的権利…)。国際社会において、法の支配が、特定の国だけに、国家の存亡に関わる死活的な権利である正当防衛権に対して制限を加えることを是認するはずもありません。正当防衛が認められない存在を認めることは、奴隷制を認めるに等しいのですから。国家の防衛や安全保障といった対外的な行動について、国内法のレベルで”法の支配”を持ち出すことは場違いなのです。

 法の支配の意義に鑑みれば、国家の主権に制限や義務を課すとすれば、それは、全ての国の基本的な権利と自由の保障、即ち、公平な国際秩序と平和の維持を目的とした一般的な国際法に基づくべきです。イタリア憲法にも戦争に対する制約が付されていますが、”他国と等しい条件の下で、各国の間に平和と正義を確保する制度に必要な主権の制限に同意する(イタリア憲法第11条)”と明記されています。先日の記事でも記しましたが、日本国憲法第9条の文面は曖昧であるが故に解釈の幅が広いのですから、国際法の行動規範に合わせて解釈すべきではないかと思うのです。

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コメント (2)
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