万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「マグナ・カルタ」と憲法第9条-”戦争放棄”ではなく政府の”義務放棄”では?

2015年06月16日 17時06分42秒 | 日本政治
安倍政権は「独裁の始まり」=小林、長谷部氏が痛烈批判
 「マグナ・カルタ」の制定から800年を迎えた今月15日、イギリスでは、ラニミードで記念式典などが開かれたそうです。当憲章は、先日、安保法制をめぐって言及された立憲主義や法支配の起源とも称されております。本日は、800周年を記念して、「マグナ・カルタ」から日本国憲法第9条を読み解いてみたいと思います。

 「マグナ・カルタ」の基本的な性格は封建契約であり、契約の内容とは、君主が、外敵から攻撃から自国の安全を護り、以て臣下の所領を安堵する代わりに、臣下の側も、君主権を認めると共に、いざ戦争となれば、君主の下に馳せ参じて軍務を果たすというものです。いわば、両者の間には、ギブ・アンド・テイクの関係が成立しており、双方に権利と義務が定められています。中世にあっては、今日のように国際法もなければ、国際組織も存在しておりませんので、封建体制は、いわば、広域的に張り巡らされたパーソナルな集団的安全保障体制であったとも言えます。ところが、封建契約の内容が曖昧ですと、君主の側は承認された君主権を私物化して、際限なく臣下に対して義務を課し、権利を侵害することになりかねません。実際に、ジョン失地王が「マグナ・カルタ」に署名することになった原因は、目に余る君主権の濫用にありました。こうして経緯を経て制定された「マグナ・カルタ」では、君主権力に対する抑制が明文化されたのですが、ここで注目すべき点は、君主は、臣下の権利と自由を認める一方で、以前として安全保障上の義務を負っていることです。否、仮に、君主が、安全保障上の義務を放棄したとしたら、臣下達は、即、反乱を起こしたことでしょう。封建契約に違反したとして…。

 時代と共に国家の仕組みが変わろうとも、今も昔も、政府の基本的な役割、言い換えますと、国民に対する政府の義務の一つが、国家の安全を護ることにあることには変わりはありません。この点に鑑みますと、日本国の憲法第9条は、”戦争”を放棄したのではなく、政府の”義務”を放棄しているのではないかと思うのです。時代は中国の軍事的な台頭により、無法状態であった前近代に類似してきていることを考えますと、政府の”義務放棄”は、あまりにも危険なのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする