万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

偽旗作戦を考える-法規制が必要では?

2019年03月19日 12時48分14秒 | 国際政治
最近、ネット上等で偽旗作戦(False flag)なる見慣れない用語を目にすることが多くなりました。真面目でナイーブな国民性のためか、日本国内ではどこか陰謀めいた言葉として‘日陰者’のように扱われがちですが、同作戦は、有事平時を問わずに軍事目的で実践されてきた戦術の一つでした。過去の歴史を紐解きますと偽旗作戦の事例は多々あり、例えば、1939年9月1日のナチス・ドイツ軍によるポーランド侵攻に先立つ8月31日に起きたグライヴィッツ事件は、ドイツ側がポーランドに対して‘自衛権’を発動するために仕組まれたポーランド系住民を装った親衛隊謀略部隊による自作自演の襲撃事件でした。

 第二次世界大戦の引き金となった同事件一つ見ても、開戦にまで持ち込む偽旗作戦の威力とヒトラーの謀略志向のほどが理解されるのですが、関心の薄い日本国もまたこの作戦とは無縁ではありません。実のところ、マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、蒙古襲来に際して日本国の朝廷がモンゴル軍残留兵の偽旗作戦に騙されて首都を占領されてしまったとする伝聞記事が掲載されています。同書は‘黄金の国ジパング’の存在をヨーロッパに伝えたことで知られていますが、史実とは異なるにせよ、日本国が偽旗作戦の舞台とされたことにこそ、注目すべきかもしれません。また、満州事変の発端となった盧溝橋事件や柳条湖事件の真相の究明が手間取るのも、同事件に際して偽旗作戦が使われているからです(ちなみに、盧溝橋事件の「盧溝橋」は、「マルコ・ポーロ橋」の意)。

 今日では、敵国や他国の国旗を掲げて戦ったり、敵国や他国の軍服を着て戦闘に臨むような行為は戦争法を以って禁じられております。しかしながら、この偽旗作戦、軍事以外の分野では未だに実践的な戦術として使用されているようにも思えます。経済分野では、偽旗作戦を使いますと詐欺罪に問われたり、海賊版や偽ブランド商品を販売したとして商法上の違反行為として罰せられますが、特に政治の分野では要注意です。

 例えば、2016年にヘイトスピーチ規制法案が成立しましたが、その際、「在日特権を許さない市民の会」なる団体が過激な排外主義を掲げて登場し、大規模なデモ等を繰り広げています。保守層を中心に相当数の支持者を獲得しながらも、法案が成立した途端に活動が急速に沈静化しているのもどこか不自然な感を否めません。また、海外で発生した事件につきましても、偽旗作戦の疑いが濃いものも多く、特に、無差別大量殺人を伴うテロといった大事件の発生後に、当局の規制が国民の自由の範囲を狭める形で強化される場合には、偽旗作戦が仕組まれた可能性が脳裏を過るのです。

特定の政治勢力が、自らが望む方向に規制を強化するためには、それを正当化するための根拠が必要となります。誰もが心を痛めるような残虐な事件の発生は、国民から強い反対や抵抗を受けることなく規制を強化し得る絶好の機会ともなるのです。もちろん、全ての事件が偽旗作戦であるとは限らないのですが、偽旗作戦が絶大な効果を発揮してきた歴史がある以上、否が応でも懐疑的にならざるを得ないのです。しかも、必ずしも、“国民思い”という観点からの発案ではなく、逆に国民への管理・監視の強化といった観点からの発案である場合も多いのです。

それでは、日本国民を含めて人類は、この世の地獄に落とされかねない偽旗作戦の脅威を免れることはできるのでしょうか。偽旗作戦とはもとより秘密工作作戦ですので証拠を掴むことは難しいのですが、少なくとも、政治活動において偽旗作戦を禁じる法律が存在しない現状は、立法措置を以って改善されるべきです。軍事分野でも経済分野でも同作戦は禁止事項なのですから、政治にあっても、無辜の一般国民を騙し討ちするような手法は、当然に人類の道徳・倫理に照らして法を以って禁止すべきことです。政府が真に取り組むべきは、国民の言論の自由や正当防衛の権利等の制限ではなく、秘密裏に国民を騙す悪質な行為なのではないでしょうか。

古来、戦場にあって正々堂々と自らの名を名乗って戦いに臨み、平和な時代にあっても武士道を育んだ国であればこそ、日本国は偽旗作戦を現実の問題として捉え、政府も国民も、政治的偽旗作戦にはより厳しく対応すべきなのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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