第二次世界大戦末期、急逝したルーズベルト大統領に替って急遽大統領の椅子に座ることとなったヘンリー・トルーマン。同氏は、とある身の毛もよだつ発言の主としても知られていたようなのです。その内容があまりにも深刻なため、氏の問題発言の全文を以下にご紹介します。
「猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らの多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が、主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は長寿させなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも、生かし続けるのだ。これによって、我々は、収穫を得続けるだろう。これは、戦勝国の権限でもある。」
日本人がこの一文を読めば、誰もがトルーマン大統領に対する怒りがふつふつと込み上げてくるはずです。そもそも、日本国が受け入れたポツダム宣言の第十項では、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも…」と明記した上で、戦争犯罪人の処罰を要求すると共に、民主化、言論・宗教の自由、並びに、基本的人権の尊重の確立を求めています。降伏条件において日本国は、連合国による自国民の家畜化を認めていませんし、‘主人’への貢献義務を受け入れていません。サンフランシスコ講和条約を以って敗戦国の地位からも脱しています。また、何よりも、植民地主義を否定したように、国際法は、戦勝国による敗戦国の民の家畜化など認めていないです。
本心からトルーマン大統領が、敗戦国民の家畜化を戦勝国の当然の権限であると考えていたとしますと、空恐ろしい限りです。紳士然としていながら同大統領こそ、国際法を平然と破る犯罪者メンタリティーの持ち主であり、サイコパスさえ疑われます。一個人が主観的に自らの‘権限’であると主張しても、客観的な法的根拠がない限り、それは、身勝手な‘たわごと’となります。公的な合意(立法化)がない限り、一方的な‘権限’の主張は傲慢な一個人による利己的な要求に過ぎず、それを実行し、かつ、他者の権利を侵害する場合には、犯罪となるのですから(国際法は、国家レベルにおいて全ての国民に対して平等の権利を保障しているし、個人レベルでも奴隷化を禁じている…)。同発言では、‘主人’は、‘猿’を家畜、即ち、動物と見なしていますが、精神性を基準に判断しますと、‘主人’こそ野獣であり、これでは、野獣による人類支配となりましょう(‘主人’は自らが野獣であることに気が付いていないのでは…)。
このように考えますと、トルーマン発言は犯罪宣言に等しいのですが、頭を冷やして同文を読み直してみますと、日本人に限らず、全ての人類を取り巻いている現代という時代状況と、何故か、オーバーラップしてきます。そして、同文には、人類家畜化の危機に関する幾つかのヒントも隠されているように思えます。
まず初めに考えるべきは、この発言はフェイクなのか、ということです。かつて、ユダヤの長老が書いたとされる『シオンの議定書』と称される作者不明のプロトコールがヨーロッパ全域に広がり、ドイツにおいて反ユダヤ主義を助長すると共に、ナチス・ドイツの誕生を援けたとされます。‘トルーマン発言’と『シオンの議定書』とは、狡猾、かつ、サタニックな人類家畜化の手法を記した点において共通しています(両者の原典となる古くから伝わる‘教典’が存在しているのかもしれない…)。今日では、『シオンの議定書』は偽書として扱われていますが、その内容を読みますと、むしろ現実の歴史の展開をよく説明しており、背筋が寒くなります。一般的な常識人では思いも付かない邪悪な発想が偽書説の信憑性を高めているに過ぎず、その内容自体には、無視できない‘何か’があるのです。つまり、これらの文章は、何者かが邪悪な手段で人類の家畜化を企んでいるという‘事実’を示している可能性が高いのです。
同発言が‘事実’であるとしても、その発言の主が、トルーマン大統領であるとは限りません。次に考えるべきは、真の発言者は誰かの問題です。『シオンの議定書』も作者不明なのですが、綴られている内容から判断しますと、20世紀初頭に作成されたものと考えられます。‘トルーマン発言’も‘戦勝国’との表現から第二次世界大戦終結間もない時期のものと推測されるのですが、ここで注目すべきは、‘我々’という表現です。同氏が大統領の立場から‘我々’と述べているとしますと、それは、連合国、あるいは、全てのアメリカ人と言うことになるのですが、キリスト教徒が人口の大半を占め、優しさと善良さを備えた人々が多い米欧の人々がトルーマン大統領の考え方を共有していたとは思えません。となりますと、発言の主は、トルーマン自身ではなくとも、極少数の邪悪な思想を秘かに共有する組織のトップ、あるいは、その一員であるのかもしれません。
第三点として‘猿’の表現を取り上げて見ますと、一般的には‘猿’は日本人と解されているものの、これをそのまま人類に置き換えますと、『シオンの議定書』と同様に、‘トルーマン発言’は今日の時代状況を見事なまでに説明しています。IT等の先端テクノロジーの発展によってもたらされた‘多少の贅沢さと便利さ’は、今や、人類に対して利便性と引き換えにプライバシーの消滅と全人格的なコントロールを意味する監視社会の受け入れを要求しておりますし、マスコミは、日々、人々の関心が3Sに向けられるように誘導しています。汚染された大気、食品添加物、農薬、ジャンクフード等が人々の健康を蝕んでいる現状も、‘トルーマン発言’の通りなのです(その一方で、人類の平均的な寿命は延びている…)。
以上に‘トルーマン発言’について述べてきましたが、同発言は、フェイクの一種として聞き流してもよいのでしょうか。あるいは、現実と同発言との同調性は、些か心配性の筆者の思い過ごしに過ぎないのでしょうか。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
「猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らの多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が、主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は長寿させなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも、生かし続けるのだ。これによって、我々は、収穫を得続けるだろう。これは、戦勝国の権限でもある。」
日本人がこの一文を読めば、誰もがトルーマン大統領に対する怒りがふつふつと込み上げてくるはずです。そもそも、日本国が受け入れたポツダム宣言の第十項では、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも…」と明記した上で、戦争犯罪人の処罰を要求すると共に、民主化、言論・宗教の自由、並びに、基本的人権の尊重の確立を求めています。降伏条件において日本国は、連合国による自国民の家畜化を認めていませんし、‘主人’への貢献義務を受け入れていません。サンフランシスコ講和条約を以って敗戦国の地位からも脱しています。また、何よりも、植民地主義を否定したように、国際法は、戦勝国による敗戦国の民の家畜化など認めていないです。
本心からトルーマン大統領が、敗戦国民の家畜化を戦勝国の当然の権限であると考えていたとしますと、空恐ろしい限りです。紳士然としていながら同大統領こそ、国際法を平然と破る犯罪者メンタリティーの持ち主であり、サイコパスさえ疑われます。一個人が主観的に自らの‘権限’であると主張しても、客観的な法的根拠がない限り、それは、身勝手な‘たわごと’となります。公的な合意(立法化)がない限り、一方的な‘権限’の主張は傲慢な一個人による利己的な要求に過ぎず、それを実行し、かつ、他者の権利を侵害する場合には、犯罪となるのですから(国際法は、国家レベルにおいて全ての国民に対して平等の権利を保障しているし、個人レベルでも奴隷化を禁じている…)。同発言では、‘主人’は、‘猿’を家畜、即ち、動物と見なしていますが、精神性を基準に判断しますと、‘主人’こそ野獣であり、これでは、野獣による人類支配となりましょう(‘主人’は自らが野獣であることに気が付いていないのでは…)。
このように考えますと、トルーマン発言は犯罪宣言に等しいのですが、頭を冷やして同文を読み直してみますと、日本人に限らず、全ての人類を取り巻いている現代という時代状況と、何故か、オーバーラップしてきます。そして、同文には、人類家畜化の危機に関する幾つかのヒントも隠されているように思えます。
まず初めに考えるべきは、この発言はフェイクなのか、ということです。かつて、ユダヤの長老が書いたとされる『シオンの議定書』と称される作者不明のプロトコールがヨーロッパ全域に広がり、ドイツにおいて反ユダヤ主義を助長すると共に、ナチス・ドイツの誕生を援けたとされます。‘トルーマン発言’と『シオンの議定書』とは、狡猾、かつ、サタニックな人類家畜化の手法を記した点において共通しています(両者の原典となる古くから伝わる‘教典’が存在しているのかもしれない…)。今日では、『シオンの議定書』は偽書として扱われていますが、その内容を読みますと、むしろ現実の歴史の展開をよく説明しており、背筋が寒くなります。一般的な常識人では思いも付かない邪悪な発想が偽書説の信憑性を高めているに過ぎず、その内容自体には、無視できない‘何か’があるのです。つまり、これらの文章は、何者かが邪悪な手段で人類の家畜化を企んでいるという‘事実’を示している可能性が高いのです。
同発言が‘事実’であるとしても、その発言の主が、トルーマン大統領であるとは限りません。次に考えるべきは、真の発言者は誰かの問題です。『シオンの議定書』も作者不明なのですが、綴られている内容から判断しますと、20世紀初頭に作成されたものと考えられます。‘トルーマン発言’も‘戦勝国’との表現から第二次世界大戦終結間もない時期のものと推測されるのですが、ここで注目すべきは、‘我々’という表現です。同氏が大統領の立場から‘我々’と述べているとしますと、それは、連合国、あるいは、全てのアメリカ人と言うことになるのですが、キリスト教徒が人口の大半を占め、優しさと善良さを備えた人々が多い米欧の人々がトルーマン大統領の考え方を共有していたとは思えません。となりますと、発言の主は、トルーマン自身ではなくとも、極少数の邪悪な思想を秘かに共有する組織のトップ、あるいは、その一員であるのかもしれません。
第三点として‘猿’の表現を取り上げて見ますと、一般的には‘猿’は日本人と解されているものの、これをそのまま人類に置き換えますと、『シオンの議定書』と同様に、‘トルーマン発言’は今日の時代状況を見事なまでに説明しています。IT等の先端テクノロジーの発展によってもたらされた‘多少の贅沢さと便利さ’は、今や、人類に対して利便性と引き換えにプライバシーの消滅と全人格的なコントロールを意味する監視社会の受け入れを要求しておりますし、マスコミは、日々、人々の関心が3Sに向けられるように誘導しています。汚染された大気、食品添加物、農薬、ジャンクフード等が人々の健康を蝕んでいる現状も、‘トルーマン発言’の通りなのです(その一方で、人類の平均的な寿命は延びている…)。
以上に‘トルーマン発言’について述べてきましたが、同発言は、フェイクの一種として聞き流してもよいのでしょうか。あるいは、現実と同発言との同調性は、些か心配性の筆者の思い過ごしに過ぎないのでしょうか。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
![にほんブログ村 政治ブログへ](https://b.blogmura.com/politics/88_31.gif)