先日、小菅の東京拘置所から釈放されたカルロス・ゴーン容疑者は、一作業員に変装したことらサスペンス映画の一シーンを思わせる釈放劇となりました。同容疑者の容貌がMr.ビーン氏に似ていることもあって、それ程には違和感がないところがむしろ怖いのですが、ここで一つの素朴な疑問が湧いてきます。それは、拘置所からの保釈に際して、保釈者が他者を欺くために変装することは許されるのか、という問題です。
同容疑者を主人公とした‘変装大作戦’については、弁護団の一員である高野隆弁護士が発案し、自らシナリオを書いたと‘自供’しております。真相は藪の中なのですが、ゴーン容疑者が乗り込んだ軽ワゴン車には実在の会社名が描かれており、作業服やキャップ等その他も、舞台用の小道具ではなく、実在の会社法人において制服として使用されていた物ばかりが集められていますので、一般の人が見れば、‘本物の作業員’と認識するレベルの変装なのです。そして、人々に、その実在性を誤認させる変装は、よくよく考えても見ますと、‘詐欺’や‘成り済まし’といった罪に当たる可能性がないわけではありません。
刑法典を読みますと、詐欺罪が成立するためには財物の被害が発生している必要がありますので、刑法上の詐欺罪には当たらないのでしょうが(発案者が弁護士であれば当然…)、少なくとも道義上の罪は問われて然るべきのように思えます。そもそも、他者を騙す行為は、古今東西を問わず普遍的に罪なことですし、況してや拘置所からの保釈という、刑事訴訟法上の公的な行為に際して行われたのですから、その罪はさらに重いはずです。何故、東京拘置所の職員の方々が、同署を舞台としたゴーン容疑者、並びに、弁護士事務所のメンバーによる変装大作戦を黙認したか不思議でなりません。その目的が、マスメディアに同容疑者の住居を知られないためであれ、家族や近隣の人々に迷惑をかけないためであれ、変装という手段は一般の社会常識からはかけ離れており、それ故に、同容疑者の保釈には劇場的な雰囲気が漂うのです。
現実世界と仮想世界との境界線の融解は、ゴーン容疑者の保釈に限ったことではないようです。例えば、北朝鮮の金正恩委員長は、昨年の第1回米朝首脳会談での初顔合わせにおいて、トランプ大統領に対して‘まるでSFの世界のようですね’と語りかけ、今般の第2回米朝首脳会談にあっても、決裂したとはいえ、‘映画の一シーンのようですね(確かこのような表現…)’と、再び同じような表現を用いていました。また、ウクライナの大統領選挙において、現職のポロシェンコ大統領を押さえて支持率トップの座を得ているは、コメディアン出身のボロディミール・ゼレンスキー氏です(ゼレンンスキー氏19.0%、ティモシェンコ氏、18.2%、ポロシェンコ氏15.1%)。氏は、2016年に放送された連続ドラマで大統領役を演じており、「これは映画でなく現実で、国家と国民を助けたい」と述べているものの、ここにも現実世界と仮想世界との境が揺らいでいるのです。
全世界的な規模で観察されている現実の劇場化は、単なる偶然の一致なのでしょうか。金融の分野における仮想通貨やデジタルの世界を実体験させる仮想現実(VR)テクノロジーの登場も軌を一にしているとしますと、これらの現象の底流において共通する‘何か’があるように思えてなりません。そして、現実世界と仮想世界との融解が人々の思考を混乱させ、両者の判別を困難にする方向に導いているとしますと、それは、人類にとりまして極めて危険な兆候とも言えます。現実が仮想化によって操作可能な劇場化する一方で、現実世界で罪を問うべき犯罪や禍々しい出来事が起きても、その責任者には仮想世界という逃げ込む場所が用意されてしまうのですから。
まずはゴーン容疑者の変装といった詐術的手法を許さず、現実の世界に一般的な常識や良識を取り戻すことこそ、人類が魔の手に落ちることなく混沌への転落を回避する最初のステップとなるのではないかと思うのです。
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同容疑者を主人公とした‘変装大作戦’については、弁護団の一員である高野隆弁護士が発案し、自らシナリオを書いたと‘自供’しております。真相は藪の中なのですが、ゴーン容疑者が乗り込んだ軽ワゴン車には実在の会社名が描かれており、作業服やキャップ等その他も、舞台用の小道具ではなく、実在の会社法人において制服として使用されていた物ばかりが集められていますので、一般の人が見れば、‘本物の作業員’と認識するレベルの変装なのです。そして、人々に、その実在性を誤認させる変装は、よくよく考えても見ますと、‘詐欺’や‘成り済まし’といった罪に当たる可能性がないわけではありません。
刑法典を読みますと、詐欺罪が成立するためには財物の被害が発生している必要がありますので、刑法上の詐欺罪には当たらないのでしょうが(発案者が弁護士であれば当然…)、少なくとも道義上の罪は問われて然るべきのように思えます。そもそも、他者を騙す行為は、古今東西を問わず普遍的に罪なことですし、況してや拘置所からの保釈という、刑事訴訟法上の公的な行為に際して行われたのですから、その罪はさらに重いはずです。何故、東京拘置所の職員の方々が、同署を舞台としたゴーン容疑者、並びに、弁護士事務所のメンバーによる変装大作戦を黙認したか不思議でなりません。その目的が、マスメディアに同容疑者の住居を知られないためであれ、家族や近隣の人々に迷惑をかけないためであれ、変装という手段は一般の社会常識からはかけ離れており、それ故に、同容疑者の保釈には劇場的な雰囲気が漂うのです。
現実世界と仮想世界との境界線の融解は、ゴーン容疑者の保釈に限ったことではないようです。例えば、北朝鮮の金正恩委員長は、昨年の第1回米朝首脳会談での初顔合わせにおいて、トランプ大統領に対して‘まるでSFの世界のようですね’と語りかけ、今般の第2回米朝首脳会談にあっても、決裂したとはいえ、‘映画の一シーンのようですね(確かこのような表現…)’と、再び同じような表現を用いていました。また、ウクライナの大統領選挙において、現職のポロシェンコ大統領を押さえて支持率トップの座を得ているは、コメディアン出身のボロディミール・ゼレンスキー氏です(ゼレンンスキー氏19.0%、ティモシェンコ氏、18.2%、ポロシェンコ氏15.1%)。氏は、2016年に放送された連続ドラマで大統領役を演じており、「これは映画でなく現実で、国家と国民を助けたい」と述べているものの、ここにも現実世界と仮想世界との境が揺らいでいるのです。
全世界的な規模で観察されている現実の劇場化は、単なる偶然の一致なのでしょうか。金融の分野における仮想通貨やデジタルの世界を実体験させる仮想現実(VR)テクノロジーの登場も軌を一にしているとしますと、これらの現象の底流において共通する‘何か’があるように思えてなりません。そして、現実世界と仮想世界との融解が人々の思考を混乱させ、両者の判別を困難にする方向に導いているとしますと、それは、人類にとりまして極めて危険な兆候とも言えます。現実が仮想化によって操作可能な劇場化する一方で、現実世界で罪を問うべき犯罪や禍々しい出来事が起きても、その責任者には仮想世界という逃げ込む場所が用意されてしまうのですから。
まずはゴーン容疑者の変装といった詐術的手法を許さず、現実の世界に一般的な常識や良識を取り戻すことこそ、人類が魔の手に落ちることなく混沌への転落を回避する最初のステップとなるのではないかと思うのです。
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