万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国賓は‘天皇陛下のお客様’なのか?

2019年11月07日 13時20分16秒 | 日本政治
 ネット上のニュース記事を読んでおりましたところ、見慣れない表現が目に留まりました。それは、国賓は‘天皇陛下のお客様’というものです(フジテレビ平井文夫上席解説委員)。今まで国賓に対してこうした言い方がされているのを見たことがなく、どこか違和感があったからです。

 令和への改元以来、即位したばかりの新天皇の権威を高めるためなのか、政府やマスメディアなどの対応には、何気ないところで全体主義的な手法が混ぜ込まれているように思えます。天皇を日本国の‘主’と見なす、‘天皇陛下のお客様’という発言もその一環なのかもしれません。さりげなく表現や扱いを同調圧力が働く方向に操作したり、虚飾を施す方法は、マスメディアが世論を誘導する際に用いるステマ的な常套手段でもあります。記事そのものは、横柄、かつ、覇権主義的な中国のトップを、多額の公費を費やし、況してや‘天皇陛下のお客様’として国賓待遇で招くべきではない、という反中的なスタンスで書かれているのですが、同表現には、日本国は天皇のものであるとする、独裁体制擁護に近い家産国家観が潜んでいるようにも思えます。

 そもそも家産国家観とは、国家を、王家といった特定の家族の所有財産と見なす前近代的な考え方です。同国家観は、古今東西を問わず世界各地に散見され、ヨーロッパ中世の封建国家もその典型例です。国家を一つの家族に見立てる家族主義であれば利点もあるのですが、家産国家では、封建君主は、自らの財産でもある領地や領民を剣を以って護る一方で、これらを私的な財産として好きなように処分することができました(‘家’の概念には使用人等も含まれており、国民は‘家族の一員’というよりも使用人に近い…)。そして、外部に対しては、‘家長’として他国の君主とも交際したのです。例えば、現代の家産国家であるサウジアラビアでは、目下、最高実力者となったムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の下で国営石油会社サウジアラコムの民営化が進められていますが、中国の国有企業が同社の株主取得に向けて協議中との情報が流れています。家産国家では、天然資源に関する権利も国家の‘主’である王家に独占されているのです。‘天皇陛下のお客様’の発想も、まさにこの前近代的な国家観がその源にあるのかもしれません。

しかしながら、江戸時代までは藩主の治める藩を一国と見なす封建的な家産国家観が幕藩体制等を支えていたとしても、少なくとも天皇については、世俗の‘家長’よりも、国家と国民のために天神地祇に祈るという聖なる領域における役割の方が遥かに国民に馴染んでいたように思えます。天皇を国父に、皇后を国母に擬える皇室像は、むしろ、天皇が世俗の世界に降りてきた明治以降に国民に広められた家族主義的なイメージであるのかもしれません。戦後は、日本国憲法が、象徴という表現を以って位置づけたため、天皇の役割そのもの曖昧模糊になってしまったのですが、何れにしても、何れの時代の天皇像との間にも‘ずれ’があるのが、‘天皇陛下のお客様’という表現が与える違和感の原因なのでしょう。

そして、この表現がさらに深刻となるのは、日本国憲法に定め、今日の日本国民が共有している国民主権の原則や民主主義の価値観との間に齟齬がある点です。同原則や価値に従えば、国家のお客様を招くのは、主権者である国民です。世論調査によれば国民の8割以上が中国を否定的に評価していますので、この時期に日本国民が中国のトップの国賓として招待を望むはずもありません。また、仮に、外国の賓客の訪日に際して天皇の役割があるとすれば、それはおもてなし、すなわち、接待の役割ですが、晩餐会主催でさえ、明治以来の慣例に過ぎないかもしれないのです。(憲法第7条に定める接受の対象は外国の大使や公使であり、厳密に憲法を解釈すれば国事行為であるかどうかも疑わしい…)つまり、国賓を天皇が招く賓客とする見方は国民主権の時代に相応しいはずもなく、この発想は、国家の‘主’が上から国民を束ねるもう一つの現代の家産国家である北朝鮮を思い起こさせます。あるいは、一党独裁制の下で独裁権力を手に入れた国家主席が‘習おじさん’として君臨している中国こそが、世界最大の現代の家産国家なのかもしれません。

細かいことに煩いようにも感じられるかもしれませんが、‘天皇陛下のお客様’という表現にことさら敏感に反応してしまうのは、昨今、現在の皇室を擁護し、パーソナルカルト化を是認する人々の中には、前近代的な家産国家観が染みついている人々が多いように思えるからです。それは、一般的な日本国民の考え方とは異質であり、日本国の歴史に根差しているわけでもありません。否、日本国の全体主義化を志向している勢力が水面下にあって蠢いている証であるかもしれないのです。皇室については、外部勢力による傀儡化、あるいは、政治利用のリスクがあるのですから、わずかな空気の変化にも注意を払うべきように思えます。そして、習主席が国賓として来日した際に開かれる晩餐会において(反対意見も強いので、実現するかどうかは分からない…)、新天皇がどのように日中関係を語るのか、今から憂慮されるところなのです。

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コメント (8)
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