年内にも交渉の妥結が期待されていたRCEP。今般、閣僚会議が開かれたものの、インドが対中貿易赤字を懸念して難色を示したことから、先行きに不透明感が漂うようになりました。メディア等の反応は交渉妥結の遅れを嘆く論調が強いのですが、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムに内在する問題点を考慮しますと、RCEPの頓挫は歓迎すべきなのかもしれません。
今日、多くの人々が自由貿易主義に全幅の信頼を寄せ、その推進こそが全世界を豊かにすると信じるようになったのは、第二次世界大戦後に成立した自由貿易体制の成功体験にあります。連合国諸国は、1941年8月に米英首脳が発表した大西洋憲章において、戦前の経済ブロック化への反省から既に戦後の自由貿易構想を示しており、戦争の終結を待たずしてアメリカで開催された連合国諸国による国際経済会議において具体案が合意され、ブレトンウッズ体制が成立しました。この時、貿易の多角化に伴う貿易決済を円滑にするための機関としてIMFの設立と共に、事実上、金との兌換性有する米ドルを国際基軸通貨とする固定相場制度が採用されたのです。
ブレトンウッズ体制と呼ばれた同体制の下で、戦争で疲弊した世界経済は急速に回復し、戦後復興も順調に進むこととなります。敗戦国であった日本国も同体制の恩恵を受けたことは言うまでもなく、自由貿易主義の信奉者の多くは戦後モデルが理想像として刻み込まれているのでしょう。しかしながら、戦後の自由貿易体制の実像を具に見つめてみますと、リカード流の比較優位による国際分業が上手に働いたわけではなく、同モデルがアメリカの‘自己犠牲的’な政策によって支えられてきたことに気付かされます。
どのような点において‘自己犠牲的’なのかと申しますと、アメリカが、米ドル高の相場を維持することで自国の市場を他の諸国に開放した点です(もちろん、米ドルが兌換紙幣であったこともありますが…)。乃ち、日独をはじめ戦後復興を成し遂げた諸国は、アメリカ市場と云う巨大な自国製品の輸出市場が存在したからこそ自国の産業を育て、経済成長を実現したと言っても過言ではありません。もちろん、米ドルレートの高値固定化により、アメリカの消費者も、安価な輸入製品に囲まれた生活を謳歌し、豊かなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを満喫できたのですから、‘自己犠牲的’という表現は相応しくないとする意見もありましょう。イソップ童話の『アリとキリギリス』に喩えるならば、キリギリスは自業自得とする冷たい見方もあることはあるのですが、産業力や輸出競争力の面からしますと、アメリカの製造業は衰退の道を辿った点は疑い得ません。長期的なスパンから見れば、自由貿易主義の最大の受益者であったはずの消費者も、失業や賃金の低下等に苦しめられることとなったのです。
この‘自己犠牲的’な基調は70年代にブレトンウッズ体制が崩壊して変動相場制に移行し、80年代以降にグローバリズムが本格化した後も変わらず、21世紀に入っての中国の経済大国としての台頭も対米輸出がその踏み台となりました。アメリカ市場なくして今日の中国はなく、ソ連邦が喉から手が出るほどに欲していた自由主義国の先端技術もグローバル化の波に乗ることで難なく手にすることができたのです。一方、アメリカでのトランプ政権の誕生は、‘自己犠牲的’な自由貿易主義、もしくは、グローバリズムの放棄、あるいは、その軌道修正に他なりません。言い換えますと、戦勝国として繁栄を極めた戦後のアメリカの寛大さに依存した自由貿易主義は限界を迎えたのであり、戦後のアメリカ中心の自由貿易主義のモデルは破綻をきたしているのです。
このように考えますと、戦後の自由貿易主義とは、人類史において例外的に生じた一極主義型のモデルであり、しかも、それは、中心国の自国通貨高と云う犠牲の下に成立した期間限定つきものに過ぎないように思えます。そして、同モデルの再来を期待してRCEP構想を進めるとしますと、期待と現実との間のギャップに呆然とさせられるかもしれません。中国が、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムを支える中心国として、戦後のアメリカのように自己犠牲を払うとは思えないからです。中国は、輸入を拡大させたアメリカとは逆に自国製品の輸出を促進させ(’輸入博’は囮?)、日本国を含めた他の加盟国にこそ犠牲を強いることでしょう。RCEPとは、中国の市場開放ではなく、中国のための加盟国諸国の市場開放となる公算が高いのです。この点、RCEPへの加盟による対中貿易赤字の拡大を懸念したインドの判断は、賢明と言えるかもしれません。メディアはしばしば‘固定概念’や‘常識’を疑い、発想の転換を求めますが、何故、自由貿易主義やグローバリズムを疑おうとしないのか、不思議でならないのです。
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今日、多くの人々が自由貿易主義に全幅の信頼を寄せ、その推進こそが全世界を豊かにすると信じるようになったのは、第二次世界大戦後に成立した自由貿易体制の成功体験にあります。連合国諸国は、1941年8月に米英首脳が発表した大西洋憲章において、戦前の経済ブロック化への反省から既に戦後の自由貿易構想を示しており、戦争の終結を待たずしてアメリカで開催された連合国諸国による国際経済会議において具体案が合意され、ブレトンウッズ体制が成立しました。この時、貿易の多角化に伴う貿易決済を円滑にするための機関としてIMFの設立と共に、事実上、金との兌換性有する米ドルを国際基軸通貨とする固定相場制度が採用されたのです。
ブレトンウッズ体制と呼ばれた同体制の下で、戦争で疲弊した世界経済は急速に回復し、戦後復興も順調に進むこととなります。敗戦国であった日本国も同体制の恩恵を受けたことは言うまでもなく、自由貿易主義の信奉者の多くは戦後モデルが理想像として刻み込まれているのでしょう。しかしながら、戦後の自由貿易体制の実像を具に見つめてみますと、リカード流の比較優位による国際分業が上手に働いたわけではなく、同モデルがアメリカの‘自己犠牲的’な政策によって支えられてきたことに気付かされます。
どのような点において‘自己犠牲的’なのかと申しますと、アメリカが、米ドル高の相場を維持することで自国の市場を他の諸国に開放した点です(もちろん、米ドルが兌換紙幣であったこともありますが…)。乃ち、日独をはじめ戦後復興を成し遂げた諸国は、アメリカ市場と云う巨大な自国製品の輸出市場が存在したからこそ自国の産業を育て、経済成長を実現したと言っても過言ではありません。もちろん、米ドルレートの高値固定化により、アメリカの消費者も、安価な輸入製品に囲まれた生活を謳歌し、豊かなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを満喫できたのですから、‘自己犠牲的’という表現は相応しくないとする意見もありましょう。イソップ童話の『アリとキリギリス』に喩えるならば、キリギリスは自業自得とする冷たい見方もあることはあるのですが、産業力や輸出競争力の面からしますと、アメリカの製造業は衰退の道を辿った点は疑い得ません。長期的なスパンから見れば、自由貿易主義の最大の受益者であったはずの消費者も、失業や賃金の低下等に苦しめられることとなったのです。
この‘自己犠牲的’な基調は70年代にブレトンウッズ体制が崩壊して変動相場制に移行し、80年代以降にグローバリズムが本格化した後も変わらず、21世紀に入っての中国の経済大国としての台頭も対米輸出がその踏み台となりました。アメリカ市場なくして今日の中国はなく、ソ連邦が喉から手が出るほどに欲していた自由主義国の先端技術もグローバル化の波に乗ることで難なく手にすることができたのです。一方、アメリカでのトランプ政権の誕生は、‘自己犠牲的’な自由貿易主義、もしくは、グローバリズムの放棄、あるいは、その軌道修正に他なりません。言い換えますと、戦勝国として繁栄を極めた戦後のアメリカの寛大さに依存した自由貿易主義は限界を迎えたのであり、戦後のアメリカ中心の自由貿易主義のモデルは破綻をきたしているのです。
このように考えますと、戦後の自由貿易主義とは、人類史において例外的に生じた一極主義型のモデルであり、しかも、それは、中心国の自国通貨高と云う犠牲の下に成立した期間限定つきものに過ぎないように思えます。そして、同モデルの再来を期待してRCEP構想を進めるとしますと、期待と現実との間のギャップに呆然とさせられるかもしれません。中国が、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムを支える中心国として、戦後のアメリカのように自己犠牲を払うとは思えないからです。中国は、輸入を拡大させたアメリカとは逆に自国製品の輸出を促進させ(’輸入博’は囮?)、日本国を含めた他の加盟国にこそ犠牲を強いることでしょう。RCEPとは、中国の市場開放ではなく、中国のための加盟国諸国の市場開放となる公算が高いのです。この点、RCEPへの加盟による対中貿易赤字の拡大を懸念したインドの判断は、賢明と言えるかもしれません。メディアはしばしば‘固定概念’や‘常識’を疑い、発想の転換を求めますが、何故、自由貿易主義やグローバリズムを疑おうとしないのか、不思議でならないのです。
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