万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ローマ教皇の‘核の全否定’の前提条件とは

2019年11月26日 13時10分55秒 | 国際政治
 歴代教皇の中で初のイエズス会出身者となるフランシスコ教皇は、11月23日の夕刻、搭乗機のタラップを降りて日本国の土を踏むこととなりました。日本国のキリスト教の布教は、イエズス会士であったフランシスコ・ザビエルに始まりますので、時を経て再びフランシスコという名を持つイエズス会士が日本国を訪れたのは、何とも奇妙なめぐりあわせのような気もいたします。

 フランシスコ教皇の訪日はアジア歴訪の一環であり、かつてキリスト教国であった西欧諸国におけるカトリック衰退の傾向を前にして、アジア諸国において新たな信者の獲得を目指した旅とされます。アジアでの布教であれば、まさしく宣教師フランシスコ・ザビエルと目的を共にすることとなるのですが、特に訪日に際して強く希望したのが、被爆地である広島と長崎への訪問であったそうです。翌24日には広島を訪れ、核兵器に関する重要な演説も行っています。

 同演説において注目を集めたのは、核兵器を‘絶対悪’とするカトリック、イエズス会、あるいはフランシスコ教皇の立場です。これまでの歴代教皇さえ踏み込まなかった核の抑止力さえ否定しており、その反核平和主義は徹底しています。一般市民の生命を一瞬のうちに奪ってしまう大量破壊兵器が道徳的に正しいはずもなく、一般論としては、核兵器は‘悪’とまでは言えましょう。この点については、人類の認識は凡そ一致しているのでしょうが、破壊と殺戮を以って他国の権利を奪い、争いを解決しようとする国が存在するという悲しい現実があります。悪魔が存在する場合(中国の暴力主義はサタニック…)、人類はどうすべきなのか、核兵器の絶対悪論は、この問題を問いかけています。

 ‘汝の敵を愛せ’と説き、‘誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい’と諭した.キリスト教の精神からすれば、たとえ核保有国に脅され、実際に核攻撃を受けたとしても、神を信じてこれを受難として甘受すべきということになるのかもしれません。しかしながら、これでは暴力を独占した悪魔の支配に人類を委ねることをも意味しますので、ここに絶対善であるはずの神がサタンの支配を認めるという矛盾が生じます。つまり、この設問は、神が悪魔に奉仕する構図となるため、永遠に決着の付かない神学論争ともなりかねないのです。フランシスコ教皇が同難問にどのように応えるのかは定かではありませんが、信心深い人でも全ての人が核の抑止力までをも否定する見解に賛意を示すのかと申しますとそうではなく、首を傾げる人々も少なくないはずです。神は易々と悪魔の支配を認める程愚かではないとして…。

 それでは、この問題、どのように考えるべきなのでしょうか。確かに、神の立場からすれば、人類の最終的な目的は全ての国や組織による核兵器の全面的な廃棄なのでしょう。しかしながら、その目的に至るまでには、適切なプロセスを要するはずです。そして、このプロセスにおいて最も重要な作業とは、暴力や脅迫を是とする悪魔的な思考の国を地球上から消し去ることではないかと思うのです。

 そもそも、イエス・キリストが人々に善性を育む教えを説いたのも、現実の世界が‘悪’に満ちていたからです。‘悪’とは、自己保存を本性とする人間性に起因するものであり、これが過剰となりますと、他者を犠牲にし、手段を選ばずして自らの生存や利益のみを求める人々も現れます。過剰な自己愛や‘欲’は、他者の自由や権利を損ない、社会を腐敗させるのです。キリストは、この人間性の悪しき面を見抜いた故に(この点は仏教とも共通する…)、敢えて逆の心の持ち方や行動を人々に薦めたのでしょう。乃ち、できる限り多くの人々に、自己に内在する自己保存の本性を行き過ぎとならないように抑え、自らの内なる‘悪’を制御するよう導きたかったのでしょう。キリストにとっての‘悪魔を消し去る作業’とは、人々に自己抑制と他者尊重の大切さを芽生えさせることではなかったのかと思うのです。

 このように考えますと、フランシスコ教皇は、先ず以って真の意味でのキリスト教精神の布教、即ち、‘悪魔を消し去る作業’に努めるべきであったのかもしれません。それは、近世の宣教師のように殉教を覚悟してでも、中国といった暴力主義の国の指導者、並びに、国民を改心させ、悔い改めさせることに他ならないのではないでしょうか。カトリックに改宗させると言うのではなく、‘利己心’や‘欲’の自己抑制がもたらす社会的効用に気付かせ、心の中から悪魔を追い出すことの方が重要なのです(もっとも、サイコパスの存在は知られているので、一定の限界がある…)。そしてそれは、自由で民主的な国家体制への移行の薦めかもしれません。

核の全廃は、この作業が済んでから実現すべきであり、その時に至って初めて全ての諸国を安全にすると共に、その恩恵が全ての人類に及ぶことでしょう。核兵器全廃の前提条件が暴力主義国家の消滅である以上、現状では、時期尚早なのではないかと思うのです。

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