万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

香港区議選民主派の圧勝-否定される‘人民民主主義’

2019年11月25日 16時06分01秒 | 国際政治
 今月24日に実施された香の港区議会議員選挙で、事前の予想通り、民主派が勝利を収める結果となりました。これまで3割程度の議席数に過ぎなかったところ、今般の選挙では452議席のうち380議席を越える議席を獲得し、議会の80%を占めるまでに躍進しています。圧勝と言っても過言ではないのです。そして、香港市民の民意の表出は、対中抗議活動を後押しすると共に、共産党一党独裁の正当性にも疑問を投げかけることになりましょう。

 共産主義には、民主主義に関する奇妙な主張があります。それは‘人民民主主義’と呼ばれており、近代思想にあっては、人民主権の文脈で一般意思を唱えたルソーの思想にまで遡るとされています。主権者である人民は不可分であって、その総体の意思である一般意思は、‘常に正しく、常に公の利益を目指す’という…。この考え方は、共産主義にあっては、三段論法的に共産党一党独裁を正当化してしまいます。主権者は人民⇒人民はプロレタリアートによって代表される⇒プロレタリアートは共産党であるから共産党が主権者という論法なのです。この論法を用いれば、‘人民民主主義’は、共産党一党独裁体制を正当化すると同時に、人民の代表として‘民主主義’をも主張し得る‘便利な言葉’となるのです。

 世襲独裁王朝国家である北朝鮮の正式国名が、朝鮮民主主義人民共和国であり、民主主義を冠していることに誰もが首を傾げますが、これも、共産主義の詐術的な論法に因ります。共産主義では、党であれ、党の指導者であれ、人民の名を語った独裁が成立してしまうのです。そして、党や独裁者の個人的な考えに過ぎないにも拘わらず、‘人民’は、自国の体制を支持しており、現状の統治に満足していると決めつけるのです。‘朕は国家なり’と豪語したルイ14世よろしく‘人民の意思は、独裁者の意思なり’なのですから。

 共産主義が描いてきた人民=独裁者の構図は、普通選挙と云う国民が自らの政治的意思や選択を表す機会となる民主的制度が存在しない状態であれば、暴力と恐怖を背景に国民に押し付けることができます。誰も、国民の真意を知ることができませんし、それが公になる機会もないからです。否、共産党が民主的選挙を毛嫌いする理由とは、まさにこの点にあります。共産党は、自由で公平な選挙が実施されれば、共産党一党独裁体制が崩壊してしまうことを十分に承知しているのです。仮に、共産党一党独裁体制が人類史上最高レベルの国家体制であり、人民も本心からこの体制の維持を望んでいるとする揺るぎない自信があれば、堂々と民主的選挙を実施することでしょう。因みに、誕生間もないソ連邦では、自らの党の敗北を予感した共産党は、曲がりなりにも国民に約束していた民主的選挙を決して実施しなかったそうです。

 かくして共産主義体制の国家には民主的選挙が存在しないのですが、香港での区議会選挙の実施は、見事なまでにこの共産主義の欺瞞を暴いているとも言えましょう。何故ならば、香港行政府が「一国二制度」を形骸化し、共産党一党独裁の軍門に降る中で、同選挙は、‘人民の声’を直接に問うたからです。いわば、同選挙は、共産主義体制にあって実施された民主的選挙ということになりましょう。そして、その結果、香港市民は、自由意思で投じた自らの一票を以って一党独裁体制を拒絶し、北京政府の統治に「No」を突き付けたのです。

 香港での選挙結果は、北京政府のみならず、中国本土の一般の人々にも少なからぬショックを与えたかもしれません。人民=共産党と云う一党独裁を正当化してきた構図は崩れ、‘人民’は、民主主義体制を選んだのですから。選択肢が多数あれば、敢えて権力や富を独占し、かつ、国民監視を徹底する共産党政権を選ぶ理由もなく、当然といえば当然の結果なのですが、香港での民主的選挙における民主派の勝利は、抗議デモ以上に中国の現体制をその根底から揺さぶるかもしれません。人々を騙し続けてきた‘人民民主主義’の論法は、今やその終焉を迎えつつあるようにも思えるのです。

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