万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米軍負担軽減の究極策‘核の解禁’では?

2019年11月18日 14時01分13秒 | 国際政治
 トランプ政権の下で、米軍の駐留経費削減を進めるアメリカ。後日否定されたとはいえ、日本国も、‘思いやり予算’を現状の4.5倍に増額するよう要求を受けたとの報道もありました。防衛コストを駐留国側に求める方針はトランプ大統領の選挙戦以来の持論であり、その背景には、巨額の財政赤字と米国民の不満があることは想像に難くありません。

 第二次世界大戦後、アメリカは、日本国を含む世界各地に駐留基地を設け、米軍を世界規模で展開してきました。軍隊の維持や戦争には、古来、膨大な費用を要してきましたので、先端兵器をも開発してきたアメリカの財政負担もその限界を超えているのかもしれません。加えて中国の軍事的台頭と兵器の近代化も著しく、今や一国で全ての同盟国を防衛し、かつ、国際法秩序を支えるには無理が来ているのでしょう。

ここに、‘アメリカの財政負担をなくすと共に、全ての諸国の安全も守られる’、という両立困難な問題が設定されるのですが、アメリカの負担軽減と全国家の安全保障という二つの条件を同時に満たす解は存在しているのでしょうか。この難しい問いに対して、憲法第9条の精神を以って絶対的な平和主義を唱える人々は、核兵器のみならず全ての軍隊並びに兵器の完全廃絶を訴えることでしょう。しかしながら、軍事力を以って他国を威嚇し、脅迫しようとする国が存在する今日の世界情勢を見ますと、この解は非現実的であると言わざるを得ません。現実には、人類は全面禁止や全廃を目指したばかりに何度となく酷い目に遭っているからです。

 その最たるものが、NPT体制です。同条約では、明示的な条文は欠けているものの、国連安保理の常任理事国といった‘世界の警察官’の任務を託された諸国のみに核保有を認める一方で、他の全ての諸国に対しては核の保有を禁じています。禁止理由は、同兵器が非人道的であると共に人類を滅亡させかねない破壊力を有するからに他なりません。この理由は、近年、その成立を見た核兵器禁止条約とも共通していますが、今般、北朝鮮やイランが国際的な制裁を受けている理由もまさにこの‘禁破り’にあります。そして、他の諸国が開発・保有禁止義務を誠実に履行している中、極少数の国が大量破壊兵器を保有する状態が、如何に他の諸国、並びに、国際社会にとりまして脅威であるのか、ということをもこれらのケースは如実に語っているのです。

 ここで考えるべきは、力、あるいは、その一種である軍事力の効果です。軍事力には、有事の攻撃力と平時の抑止力という二面性があります。核兵器の廃絶を目指す方向性は前者の危険性への対応であり、危険な兵器がなくなれば平和が自ずと訪れるという楽観的な発想に基づいています。しかしながら、攻撃力の放棄が抑止力の同時放棄を意味するならば、攻撃面だけを考慮した全面放棄の判断には慎重にならざるを得ません。北朝鮮やイランといった狂信的な国家が核兵器を保有してしまう事態とは、丸腰の一般の人々の中にあって、犯罪者のみが殺傷兵器を持つことを意味するからです。警察が職務を放棄し、かつ、犯罪者のみが銃を保有している状況下では、一般の人々の生命、身体、財産が危うくなり、銃による脅迫によって犯罪者に支配される世界が出現します。力の二面性は、アメリカにおいて銃規制が遅々として進まない理由でもありますが、憲法に第9条の条文を持つ日本国でも、一国のみの軍隊放棄が世界平和の実現には無力であることを理解する国民は少なくありません。つまり、核兵器の全面禁止という対応は、それが少数の狂暴で狡猾な者によって破られた時、全ての国々に核兵器の保有が容認されている状態よりもさらに危険度が増してしまうのです。

 こうした善なる目的を悪が利用するという善悪逆転のパラドクスを直視すれば、今日の核兵器の全面禁止は、理想ではあっても、必ずしも唯一の‘正解’とは言えないように思えます。現状では、米朝間における核・ミサイル放棄に向けた交渉は行き詰まりを見せており、北朝鮮がアメリカの要求するCVID方式による核兵器に応じるとも思えません。北朝鮮やイランによる核保有が時間の問題であり、かつ、中ロといった核保有国が核による先制攻撃をも軍事オプションに加えているとしますと、むしろ、全ての諸国が核の抑止力を備えた方が、遥かに安全性が高まるとする意見も説得力を帯びてくるのです。

それでは、全面禁止ではなく全面解禁に180度方向転換するとしますと、それは、第一の要件であるアメリカの負担軽減をも満たすのでしょうか。実のところ、アメリカが自らの軍事力を以って国際秩序を維持するよりも、各国が核武装した方が低コストであることは疑いようもありません。皮肉なことに、核兵器、並びに、その運搬手段である長距離ミサイルを開発すれば、たとえ経済的には豊かではない国であったとしても、軍事大国と対等に交渉し、核攻撃を回避し得ることを、北朝鮮が証明してしまったからです。つまり、核保有が解禁されれば、核技術そのものは然程に高度ではありませんので、アメリカが‘世界の警察官’の役割を放棄したとしても、同盟国を始め各国に対して特別に財政的な支援なくして各国の核武装はコスト的に可能であり、かつ、アメリカも、他国を防衛するための経費を大幅に削減できるのです。

仮に、実行可能、かつ、合理的な結論として、核の解禁が最も現実的な解であったとしますと、アメリカは、これをどのように判断するのでしょうか。唯一の被爆国である日本国も含め、国際社会では、ノーベル平和賞の受賞者が示すように核保有=悪と云う構図が定着しております。しかしながら、それは、他の選択肢を一切排除する思考停止を意味しているのかもしれず、中ロが配備している膨大な数に上る核ミサイルのみならず、北朝鮮の短・中距離核兵器による脅威に晒されている日本国としても、核武装の抑止力を考えれば悪い選択肢ではないはずです。

核の解禁と申しますと、ショッキングな響きがあるのですが、倫理や道徳に照らしても、必ずしも絶対に間違っているとは言い切れないようにも思えます。まずは議論の俎上に上げてみるべきとも思うのですが、皆さまがたは、どのようにお考えでしょうか。

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コメント (2)
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