万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

皇族と平等-身分から公職へ

2019年11月12日 15時08分04秒 | 日本政治
 新天皇の即位を機にして、女性天皇の即位や女系天皇の容認、さらには女性宮家の創設案も再浮上しているようです。これらの問題は、主として性差別の解消に焦点を当てた議論なのですが、皇族をめぐっては、性差別のみならず様々な差別が絡んでいます。長子とそれ以外の子供達との間の差別に加え、実のところ、身分差別の問題も軽視はできないように思えます。

 天皇とは、今日の日本国憲法下において唯一特定の個人に対して公的に認められている特別の地位です。憲法では‘統合の象徴’の役割、並びに、立憲君主制の形式を残す国事行為が定められていますが、皇室典範等の法律によりその家族や分家(宮家)を含めて世襲的な特権身分として認識されています。つまり、前近代における大半の国家がそうあったように、天皇にあっても機能と身分が一体化しており、それは世襲として特定の一族によって世襲されているのです。

 さて、何故、ここで皇族の身分のお話が重要なのかと申しますと、性差別の問題は、身分と密接に関わっているからです。例えば、天皇位に女性が付くことができないのは女性差別であるとする批判がある一方で、女性は、婚姻によって皇族になれるから男性差別であるとする反論もあります。この‘水掛け論’は、どの身分の視点から見るかによる違いであり、皇族の女性達の視点から見れば、皇位継承が男系男子に限定されている現行の制度は女性差別ですが、女性皇族と婚姻しても皇族にはなれない一般国民の男性からすれば、生まれによって越えられない壁のある男性差別となるのです。つまり、皇族を含めた国民は、この問題について視点を同じくして論じているわけではないのです。

 身分制度が存在した時代や地域では、こうした問題は一般市民の日常的な問題でもありました。このため、大抵の場合、市民法によって身分の異動が定められており、例えば、ローマの市民法では、奴隷身分の男性であっても、市民身分の女性と婚姻すれば市民権を得ることができたとされます(古来、イタリアでは‘男子力’が重要であったのかもしれない…)。また、国によっては、その逆に、貴族以外の配偶者を持つことによって貴族身分を離れる場合もありました。

このように、身分法とは、実に多様性があります。多種多様な身分法における婚姻の形態を分類しますと、まずは一夫一婦制に限定しても、(1)同一身分間での婚姻しか認めない(2)異なる身分間の婚姻をみとめる、の二つに大きく分かれます。そして後者の場合には、「A.両者とも元の身分を保持する」、「B.どちらかの身分に合わせる」に分かれ、さらにB.の場合にも、男女間の身分差の扱いによって違いが生じます。大まかには上昇と下降に分かれ、上昇するケースは、a.男性の身分が高い場合、配偶者の身分も上昇する(今日の皇族男性)、b.女性の身分が高い場合、男性の配偶者の身分も上昇する(ローマの市民法)であり、下降のケースは、d.男性の身分が低い場合、配偶者の身分は降下する(今日の皇族女性)、e.女性の身分が低い場合、男性の身分も降下する、となります。これらの形態が混在する身分法もありましたし、イスラム社会のように一夫多妻制ではさらに複雑になります。かつ、子の身分を加えればさらに多様性が増すのです。 

近代以降、身分制は平等原則の前に姿を殆ど消しており、その復活を主張する人も極稀となりました。誰にとりましても、身分によって自らが遜らなければならない状態は心地よいものではなく、かつ、社会全体にとりましても、上位の身分のものに阿る者ばかりが増えて活力を失いかねないリスクがあるからです。皇族とは身分制が法的に今日に残る唯一の場なのですが、それでは、平等原則を徹底しようとする場合、上記の形態の内でどれが最もその原則を実現するのでしょうか。実のところ、どれをとりましても、何らかの問題が生じてしまいます。全てのケースについて検討しますと長くなりますので、目下、皇女と婚姻した男性に皇族身分を認めるという案について考えてみることにします。

同改革案は、一般男性にも皇族になる道を開くのですから、一見、極めて平等のように思えます。しかしながら、性差に関係なく平等に降下する、即ち、皇族男子も配偶者に合わせて降下させるという平等化の選択肢もあるのですから、先ず以って、何故、上昇させる必要性があるのか、その理由を見出す必要が生じます。また、同改革では、女性天皇も女性宮家も可能となるのですが、性差なく一般の国民も皇族の身分を獲得できるわけですから、数世代を経れば殆ど一般国民の血脈と変わらなくなります。今日でさえ皇統には強い疑義が生じていますが、Y染色体論に基づく万世一系の主張も通用しなくなるのは言うまでもありません。さらに男女平等を突き詰めようとすれば、天皇と皇后、並びに、女性天皇とその夫君との同格化も主張され、仮に両者が同格となれば、誰でも天皇になれる時代が到来するのです。加えて、家と家との同格が求められれば、天皇家とその配偶者の家とを同等に扱わなければならないとする要求も上がってきましょう。

かくして訳の分からない状況となるのですが、平等化を徹底しますと、最も基本的な問題である身分による差別に行き着いてしまうように思えます。すなわち、結局は、‘世襲的による法的身分’と云うものを止めない限り、国民間の平等は実現しないという厳粛なる事実に突き当たってしまうのです。この段に至りますと、日本国民は、無意味となった皇族と云う身分を残すのか、それとも、別の道を選択するのか、という重大な岐路に立たされることとなりましょう。こうした問題の解決方法については様々な意見があり、完全廃止論もあるのでしょう。しかし、ここは、天皇と云う地位のみを日本国の伝統的文化継承者にして祭祀職として残し、皇族と云う身分制を廃止するのも一案なのではないでしょうか。

このように考えますと、天皇位については、祭祀職に相応しい候補者のなかから選ぶなど、制度改革を通しての身分から公職への流れこそ、現代と云う時代には相応しいように思えるのです。

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コメント (4)
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