報道によりますと、目下、自民党内では、習近平国家主席の訪日中止要請を含む香港国家安全維持法への非難決議が模索されているものの、二階幹事長の強硬な反対に遭って足踏み状態にあるそうです。この一件は、既に各方面から指摘されていた通り、同幹事長が中国によって日本国内に密かに設けられた‘内政干渉ルート’であったことを示しているのですが、中国に媚びて日本国内から非難決議の一つも発せられないようでは、既に、日本国の独立性も危うい状況にあると言えましょう。
そして、とりわけ中国に対して警戒すべきは、中国共産党は、その本質において暴力主義である点です。中華人民共和国の成立は、プロレタリアートによる革命を説く共産主義理論を装いながらも、その実、国民党との内戦に勝利した人民解放軍による国家権力の武力奪取によってもたらされています(政党とは、本来、軍隊を持たず、政党間対決の場も平和的な選挙であるはず…)。平和的手段が存在しない状況下で民主主義体制の樹立を目指す民主化革命でもありませんので、暴力主義を体制内に残したままで中国という国は建国されているのです。このため、中国が自国の目的を達成するために訴える究極的な手段は、やはり‘暴力’となりましょう。
今般の香港における香港国家安全維持法の制定あっても、この中国の本性が如実に顕れております。香港の自治権を認めた「一国二制度」の下で香港市民による民主化運動を封じ込めることは困難と見た北京政府は、結局は、香港市民に対して‘命’と‘民主主義’との選択を迫ることとなりました(他者の命や身体は暴力なくして奪うことはできない…)。同法の制定を受けて民主化運動からの離脱を表明した学生リーダーの周庭さんは、活動団体の解散を表明したツイッターの最後の一文を「…生きてさえいれば、希望があります。」と結んでいます。黄之峰さんも「香港で民主化運動をすると、命に関わる」と述べたと伝わります。同法の最高刑は無期懲役と定められてはいるものの、香港から本土への送還は実質的には‘死’を意味しているのでしょう(あるいは中国共産党政権が密かに組織している‘部隊’の暗殺対象となる?)。北京政府は、‘民主主義を選択すれば命を奪うぞ’と脅迫しているのです。
香港において押し付けられた‘命’か‘民主主義’かの選択は、近い将来、中国は、日本国に対しても迫ってくることでしょう。その布石が着々と敷かれていることは、与党内の親中勢力とされる自民党の二階幹事長や公明党等の動きからも推察されます。先日、本ブログでは、‘命’の選択について‘他者の命’と‘自分の命’とに分け、仮に、‘お金’との間で二者択一を迫られた場合、前者との選択では非情にも‘お金’を選択した人でも、後者、即ち、‘自分の命’との間での選択と化した場合、‘自分の命’を選ぶのではないかとする記事を書きました。もっとも、この選択をし得るのは、選択肢が‘自分の命’と‘お金’の二者である期間に限定されます。
北京政府による香港国家安全維持法の制定によって、香港では、この選択可能な期間は凡そ強制的に終了させられてしまいました。選択肢は、‘自分の命’と‘お金’の二つから、突然に、‘自分の命’と‘民主主義’に移行してしまったのです。この二つの間での選択であれば、‘自分の命’を選ぶ人が多数出現してもおかしくはありません。とりわけ、‘他者の命’と‘お金’との二者択一において後者を選択したような人々は、何らの躊躇もなく‘自分の命’を選ぶことでしょう。‘民主主義’とは、他者の自由や権利をも尊重する精神に基づいていますので、‘自分の命’が護られさえすれば、他者の運命、即ち、国家や国民の運命については無関心かもしれないからです。
中国からこの選択を迫られた場合、日本国民の多くは、‘自分の命’のために‘民主主義’を選択するのでしょうか。もっとも、‘民主主義’を捨てて‘自分の命’を選んだ人々も、暫くすれば、自らの選択を後悔するかもしれません。日本国の民主主義を葬り去り、日本国を自国の支配下に組み入れた途端、中国は、全日本国民の‘命’を暴力で脅かしつつ、経済的な搾取をも始めることでしょう。結局は、‘自分の命’を選択した人々も、狡猾な中国にかかってはその選択も反故にされてしまうのです。
今の時点であれば、日本国は、‘自分の命’か‘民主主義’かの二者択一に至ってはおらず、かろうじて‘自分の命’か‘お金’かの段階にあります。この二つの選択肢にあっては、たとえ利己的な人であっても前者を選ぶでしょうから、中国による支配を阻止することができます。‘自分の命’か‘民主主義’かの選択に追い込まれてからでは遅いのです。残された時間は僅かかもしれず、日本国政府も日本国民も、自国の自由かつ民主的な政体を護るために、今、何を為すべきかを真剣に考える時期に至っているように思えるのです。