テドロス事務総長の目に余る中国寄りの姿勢に業を煮やしたアメリカは、正式に脱退を通知し、遂にWHOから離脱することとなりました。一昔前であれば、大国の国際機関からの脱退は雨やあられの批判を浴びたのでしょうが、今日では、アメリカの決断に理解を示す国も少なくありません。日本国もその一つなのでしょうが、国際社会の厳しい視線は、アメリカの脱退の誘発したテドロス事務総長のみならず、その背後で同氏を操る中国にも向けられています。
最近に至っても、新型コロナウイルスは空気感染するのではないか、とする問題提起があり、WHOに対して調査を依頼したとする報道がありました。本来であれば、WHOは、中国から報告を受けた時点で同感染病の特性を徹底的に調査し、全加盟国に報告する義務があったはずです。‘人から人への感染’でさえ、WHOは中国に配慮して認めようとはせず(中国は、「人から人への感染は排除できないが、そのリスクは比較的低い」と説明してきた…)、ようやくこれを認めたのは、中国が言明した1月20日を過ぎてからのことです。空気感染に至っては今日に至るまで公式に認めたことはなく(もっとも、エアロゾルは認めている…)、外部からの指摘を受けて調査を開始する顛末となったのです。近々、WHOは、同ウイルスの起源を調査するために調査団を武漢に派遣するそうですが、中国が全ての場所の立ち入りを認めたり、関連するあらゆる書類やデータの閲覧を全面的に許すとは思えません。
空気感染が事実とすれば、各国政府共に感染防止対策を抜本的に見直さなければならなくなるのですが、こうした予防対策の基礎となる最優先で実施すべき調査さえ、中国配慮への過度の配慮からWHOは怠っていたこととなります。これでは情報隠蔽に加担したに等しく、WHOはその存在意義を疑われても致し方ありません。そして、その元凶を辿ってゆきますと、やはり、WHO、否、国際機関の人事、即ち、要職選出の手続きの問題に行き着くのです。国際社会における中国の‘買官行為’とでも言うべき国際機関のポスト掌握こそが、今日の忌々しき事態を招いているのですから。
一旦、国際機関のトップに中国人、あるいは、親中派の人物が就任しますと、その組織は、国際機関としての中立・公平性を失い、中国の下部機関に堕してしまいます。構図として国際機関は国家の上部に位置するのですが、特定の国の配下に入ってしまいますと、その超越性は失われ、天空から落ちてきた‘堕天使’と化すのです。中国による国際機関の‘ポスト漁り’については、同国の‘ロビイング’の巧みさとして評価する意見もないわけではありませんが、如何なる国にあっても公務員に対する贈収賄はれっきとした犯罪です。従いまして、本来であれば、国際社会における公的機関に対する‘買官行為’も、国際法において禁止されると共に、公的な取り締まりの対象とすべき行為なのです。
国家の上部に位置する国際機関は無誤謬に違いない、と信じる‘国際機関神話’もあって、これらの機関の人事については、加盟各国の紳士協定的なモラルによって支えられてきた面があります。たとえ現実には大国間の力関係によって人事が決定されていたとしても、表向きは中立・公平を装い、国際機関のトップもまた、自らの言動が行動規範から逸脱しないよう細心の注意を払ってきたのです。ところが、テドロス事務総長がこの‘仮面’をかなぐり捨てて露骨なまでに自らの後ろ盾である中国の意向を汲み、同国を擁護する盾として行動するに至り、ようやく、国際機関の要職に関する選出手続きに問題があることに、多くの人々が気付くようになったとも言えましょう。
この意味において、新型コロナウイルスの一件は、制度改革に向けた転機ともなったのですが、まずもって認識すべきは、国際機関とは非民主的であり、かつ、腐敗に対して脆弱な組織である点です。この側面が、国際機関が一党独裁国家である中国にとりまして有利な場となった理由でもあるのですが、今般の一件を教訓とすれば、今後の国際社会の方向性としては、国際機関の中立・公平性を確保するために、(1)WHOのみならず全ての国際機関に対する加盟国の贈収賄行為を防止のための国際規範を確立すること(贈収賄による被選出者の辞職、違反国、並びに、違反組織に対する制裁などの罰則規定も盛り込む)、(2)取り締まりのための制度・組織を設けること、そして(3)、国際機関の要職の選出については、よりこれらの機関の設立目的に適した手続きを導入すること、などを挙げることができます。
(3)については、国際機関の設立目的や役割はそれぞれ異なりますので、選出手続きも画一化する必要はないのでしょうが、凡そ、二つの方向性が検討されるべきかもしれません(国際機関は政治機関なのか、行政機関なのかの議論も必要…)。その一つは、全加盟国に一国一票の投票権を与え、民主的に選出する方法です(全人類に投票権を与える方法もありますが、これでは、人口大国が常に要職を占めることに…)。もっとも、この方法でも、民主主義国家の選挙でもありがちな票の買収問題を解決する必要があり、腐敗防止の課題が付きまといます。もう一つの方法は、客観的な視点、即ち、特定の加盟国や私企業の利益から離れた立場から任務を果たせるように、合理的な判断力に徹することができる専門家から選ぶという方法です(候補者は、国際機関の専門職員、各国政府の推薦、あるいは、各国の専門家or団体での選考を経た自由立候補等…)。WHOの設立目的からしますと、あるいは、後者の方が適しているのかもしれません(テドロス氏は、WHO初の政治家出身の事務総長とも…)。もっとも、両者を組み合わせた案としては、事務総長の要件として専門知識、政治的中立性、並びに、特定の私企業との無関係性を設けた上で、総会における投票によって決定するという方法もありましょう。
何れにしましても、目下、提示されているテドロス事務総長の改革方針は、上述した方向性とは真逆であるように思えます。今後、WHOの腐敗体質がさらに深まる事態も予測されますので、日本国政府をはじめ加盟各国政府は、国際機関の人事手続きの改正に努めると共に、それが叶わなければ、アメリカと同様に国際機関との関係を抜本的に見直す必要があるのではないかと思うのです。