先日、6月30日、国連人権委員会では、香港国家安全維持法の制定に対して53か国もの諸国が中国支持を表明したと報じられております。対中批判の共同声明への参加国が日本国を含む27か国ですので、擁護派が多勢のようにも見えるのですが、その背景として、‘チャイナ・マネー’のみならず、過去の西欧列強による植民地支配を挙げる意見も聞かれます。
この説によれば、中国を支持した53か国は、(1)香港はかつてイギリスの植民地であった、(2)今般の民主化運動の背景にはイギリスをはじめとした欧米列強が潜んでいる、(3)香港の‘再植民地化’を止めた中国は植民地解放のリーダーである、という論法の下で行動したようです。多くの諸国が賛同したように、一見、説得力がありそうに見えながら、この論法、悪しき三段論法の典型のようにも思えます。何故ならば、この狡猾な論理展開に従えば、‘近代’に植民地支配を経験した国は、‘現代’の植民地主義、即ち、中国の覇権主義の擁護に行き着いてしまうからです。
その’からくり’とは、人類の発展プロセスを無視するところにあります。‘近代’とは、米欧諸国が自国にあって国民国家体系の下で自由、民主主義、法の支配といった普遍的な諸価値を制度化し、自由で民主的な体制を確立していった時代であると同時に、植民地化したアジア・アフリカ諸国に対しては、こうした国際体系や原則を適用せず、植民地主義、あるいは、帝国主義を押し広めた時代でもありました。つまり、‘近代’と言う時代を縦に切り取れば、地球上には、民主的体制と非民主的体制が混在していたのです。
その後、二度の世界大戦を経て国民国家体系が全世界に拡大し、植民地主義も終焉を迎えるのですが、欧米諸国から独立した諸国の多くは、民主的体制の下で再出発を果たしています。植民地時代とは、資源の搾取や現地の住民に対する残虐な扱いもあり、決して誉められたものではないのですが、それでも、独立後の各国の憲法典に明記されているように、アジア・アフリカ諸国の多くが自由、民主主義、法の支配といった普遍的諸価値を基礎とした国家体制を樹立し得たことは、人類の望ましい発展プロセスとして理解されましょう。植民地支配にも影のみならず光の部分があるとするならば、それは、独立後においてこそその輝きを放ったとも言えるかもしれません。
ところが、地球を見渡しますと、全世界の諸国が自由化、並びに、民主化されたわけではなく、とりわけソ連邦や中国などの共産化した国家にあっては、非民主的な一党独裁体制が敷かれることとなります。現代に至っても地球上の国家体制は‘まだら’であり、しかも今日、軍事・経済大国として君臨する中国は、自国の非民主的なモデルのアジア・アフリカ諸国への拡大を試みているのです。
そして、民主的体制を葬り去るために中国が採用した戦術こそ、‘歴史戦’であるのかもしれません。ここで言う‘歴史戦’とは、近代にあって民主主義体制の生誕地であり、かつ、宗主国でもあった米欧諸国の過去の植民地支配を断罪することで、自由、民主主義、法の支配といった諸価値までをも歴史諸共に潰そうとする戦術です(過去と現在のクロス戦術であり、現在、アメリカで起きている過去断罪の動きとも関連するかもしれない…)。上述した論理展開で言えば、(2)の「今般の民主化運動の背景にはイギリスをはじめとした欧米列強が潜んでいる」の部分において、‘現代’の民主化運動と、既に過去となっている‘近代’の欧米による植民地支配を巧みに結び付けて同一視させ、民主化と植民地化がまったく違う性質の運動であることを誤魔化すことで(3)の「香港の‘再植民地化’を止めた中国は植民地解放のリーダーである」という詐欺的な結論に導いているのです。これは、人類の発展プロセスを逆戻りさせる詭弁というものです。
迂闊にこの悪しき三段論法を信じてしまいますと、現代の植民地主義の権化とも言える中国が、植民地解放者として颯爽と登場するという、唖然とさせられるような結果となります。また、長きにわたる歴史にあって中国は純粋に被害国とも言い難く、周辺諸国を侵略しつつ広大な版図の帝国を築き、今でも、チベットやウイグルを過酷な支配の下に置いています。また、近代の植民地主義の時代を見ても、特にアジア諸国にあっては、現地の中国系住民は宗主国側の協力者でもあったとされます。中国への支持を表明した53か国は、現代という時代にあって真の植民地化の脅威の元凶がどこにあるのか、冷静に見極める必要があるのではないでしょうか。反米欧感情や‘チャイナ・マネー’に流されますと、中国によって、再度、植民地化されないとも限らないのですから。