万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ベーシックインカムのモデルは‘パンとサーカス’では?

2020年07月15日 13時14分13秒 | 国際政治

 コロナ対策として全国民一律10万円給付策が実施されたこともあり、一定額の給付を制度の基盤とするベーシックの導入が改めて関心を集めているようです。同制度は、デジタル時代における近未来モデルのイメージを纏っているのですが、その実、同制度の原型は古代ローマに求められるのではないかと思うのです。

 

 古代ローマ歴史とは、7つの丘に囲まれた小さな都市国家が巧みな対外戦略でイタリア半島全域を支配下に置き、やがてガリア遠征やエジプト遠征等を経て周辺諸国を属州化して、地中海を内海とするような大帝国にまで発展した壮大なる領土拡張の過程として描くことができます。その一方で、経済に注目しますと、領土拡張は、必ずしも征服者側となる古代ローマ人を豊かにしたわけではありませんでした。何故ならば、属州から安価な穀物と奴隷が大量に流入してきたからです。とりわけ、ナイル河流域が大穀倉地帯となっていたエジプトの征服は、ローマ古来の経済の在り方を一変させてしまいました。

 

 朴訥にして勇猛果敢で知られた古代ローマ人とは、その多くは中小の農地を有する自作農民でもありました。しかしながら、属州から安価な穀物が流入するようになると、ローマの自作農民たちは価格競争に負け、経営が成り立たなくなります。そして、中小の自作農が農地を手放すのと並行するかのように、征服戦争によって増大した捕虜奴隷たちを使役する大農園が各地に出現するようになるのです。かくして、土地を失った農民たちは首都ローマに流れ込み、半ば浮浪者化するのですが、こうした状況に対処するために登場してきたのが、‘パンとサーカス’と称された皇帝による慰撫政策です。‘パン’とは、生きるに最低限必要な食料を無償で配ることを意味し、‘サーカス’とは、これらの人々の不満が爆発しないように、コロッセウムで見世物に興じさせるという政策です。

 

 ‘パンとサーカス’によって、かつての質実剛健さはすっかり消えてなくなり、一般の古代ローマ人は、享楽的な烏合の衆へと堕してゆきます。西ローマ帝国が滅びる頃には古代ローマ人そのものがいなくなり、蛮族とされたゲルマン人から西ローマ帝国を護ったのもゲルマン人傭兵という有様となるのです。いわば、大帝国への道は古代ローマ人の衰滅の道でもあったのです。

 

 こうした古代ローマの興亡史に照らしますと、現在の状況が極めて当時と似通っていることに気が付かされます。ローマ帝国を今日のグローバル化した企業にたとえますと、古代ローマの自作農は、産業の空洞化によって没落の危機にある自国企業、並びに、中間層として理解されます。中小国の企業はグローバル企業が労働コストの低い国で製造する安価な輸入品に押されて淘汰される運命を辿るかもしれず、また、国内にあっても、‘捕虜奴隷’ではないにせよ、安価な移民労働力によって職を失いかねないからです。最後に生き残るのは、古代ローマ帝国の大農園ならぬ、少数の大グローバル企業となるのかもしれません。

 

ベーシックインカムが、国民の大半が失業者となる状況を想定しているとしますと、その発想は、‘パンとサーカス’と同類と言わざるを得ません。生活を維持するに必要最低限の‘パン’とは、まさに‘ベーシックインカム’に他ならないのですから。そして、テレビ、ネット、並びに、スマートフォン等を覗きますと、そこには様々な娯楽が溢れています。中国では、新型コロナウイルスによる都市封鎖の期間にあって政府が娯楽番組を国民に配信したそうですが、仕事はなくとも娯楽には事欠かない世界が既に出現しているのです。‘サーカス’もまた、今日における国民の不満解消のための有効な手段なのです。

 

そもそも、凡そ全ての国民が職に就いている状態を常態と見なすならば、ベーシックインカム論が主張されるはずもありません。グローバル化の徹底、あるいは、AIの大幅な導入等によって無職の人々の占める割合が増えることを予測するからこそ、同制度の採用が有望な解決策として提唱されるのでしょう。しかしながら、その先に何が起こるのかは、古代ローマ帝国の歴史が語っています。人々は働くことの意義を失って惰性に流れ、やがては、産業全体の衰退をももたらすことになるのかもしれません。歴史に学ぶとすれば、ベーシックインカムという滅びの道を選ぶよりも、国民の多くが自らの職を以って生き生きと経済・社会活動に参加できるような、新たなシステムの構築に努めるべきではないかと思うのです。

コメント (2)
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