昨日、8月16日、アフガニスタンの首都カブールは、凡そ20年の時を経て再びイスラム過激派武装集団であるタリバンの手に落ちることとなりました。米軍の撤退と同時に起きたために、アメリカ政府は否定するものの、ベトナム戦争時におけるサイゴン陥落の再来とする見方もあります。カブール国際空港では、タリバンによる恐怖政治の再来から逃れるべく、国外脱出を目指す大勢の市民が殺到し、地獄絵と化したとも報じられております。
7名の死者も報告されている同報に接し、さぞや悲痛な面持ちで人々が空港の滑走路に押し寄せているのであろうと想像したのですが、その様子を映した映像を見ますと、どこか違和感があるのです。何故かと申しますと、飛行機に伴走して走っている大勢の市民の中には、カメラに向かって大きく手を広げてアピールしている人の姿も見受けられるからです。仮に、命からがらタリバンから逃げようとしているならば、カメラなど目に入るはずもなく、必死の形相となるはずです。しかしながら、少なくとも同映像からは、危機に瀕しての緊張感、あるいは、臨場感というものが伝わってこないのです。
もちろん、同動画が全てを語っているわけではなく、諦めの境地に達した人々の表情なのかもしれません。しかしながら、今般のタリバンの復活に関しては、その深層に迫る慎重な観察を要するように思えます。そもそも、タリバンという存在自体が、謎に包まれているからです。
アフガニスタンにおけるイスラム系武装勢力の起源を遡りますと、1979年のソ連邦によるアフガン侵攻に際して結成され抗ソ組織にあります。その代表格がムジャヒディーンであり、アフガニスタンからのソ連軍の追放を目的としていたため、冷戦期にあってソ連邦と対峙していた米CIAからも軍事的な支援を受けたとされています。ソ連軍の撤退後は内乱状態となりますが、ムジャヒディーンの腐敗も追い風となって勢力を急速に拡大したのがパシュトゥン人を中心とするタリバンです。そして、タリバンを主軸とする政権が誕生すると、アフガニスタンの社会はテロリズムによってイスラム原理主義に染め上げられてしまうのです。
その後、アフガニスタンのタリバン政権は、恐怖政治を敷く中、かの9.11事件の首謀者とされたウサマ・ビンラーディンを匿ったことから、アメリカから宣戦布告を受け、アフガニスタン戦争を闘うこととなります。同戦争の敗戦により、同国では、比較的自由主義的なカルザイ政権が誕生しましたが、タリバンは完全には掃討されずに残存し、反政府組織として米軍、並びに、アフガニスタンの国軍との戦闘を繰り返し、今日の首都奪還に至るのです。
アレキサンダー大王の遠征の最東端こそ同地域でもあったのですが、アフガニスタンは、地政学的に大国、あるいは、国際勢力の思惑が交錯する地点にあります。このため、19世紀にあっては英露両勢力が‘グレート・ゲーム’の名の下で角逐し、君主制の時代から常に大国の干渉を受けてきました。かつて米国の支援を受けたタリバンもその一例と言えましょう。加えて、タリバンの背景には、隣国のパキスタンをはじめ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦のみならず、ISといったイスラム原理主義勢力との繋がりも見えます。イスラム帝国の復興を夢見るイスラム原理主義はその思想において超国家性を有しますので、少なくない戦闘員もイスラム過激派国際ネットワークからリクルートされているのでしょう。そして、何よりも注目すべきは、タリバンこそ、アフガニスタンにおける麻薬栽培拡大の張本人である点です。ここに、国際麻薬ネットワークの存在、あるいは、麻薬利権の問題も垣間見えるのです。
以上に、簡単にアフガニスタン情勢について述べてきましたが、今般のタリバンの再登場につきましては、どこか不自然さが漂っております。ロシアや中国は、一早くタリバン政権に対して事実上の政府承認を与えておりますが、その一方で、民主党が政権の担うアメリカは(民主党政権の時代の方が戦争は多い…)、今のところ、アフガニスタンからの撤兵は正しい判断であったとする姿勢を崩しておりません。今後の展開につきましては正確に予測することは難しいのですが、おそらく、米軍撤兵見直しによる泥沼化、あるいは、完全撤兵による中ロ勢力(全体主義勢力)の拡大といったシナリオが想定されます。何れにしましても、デジャヴ感があることは否めません。歴史において、同じようなシナリオが手を変え品を変え繰り返されているように見えるのです。そうであるからこそ、今般のアフガニスタンにおける事変につきましては、近代以降の世界史の表裏を深く洞察しつつ、慎重なる見極めが必要なように思えるのです。