近年、夏が近づくたびに、政治家の靖国神社参拝が取り沙汰されるようになりました。東京裁判で判決を受けたA戦犯を祀っているとして、中国や韓国から”行くな!”の大合唱が起きるからです。
ところで、”戦犯”とは、如何なる存在なのでしょうか。”戦犯”の概念は、戦争法の登場によって出現したものです。それ以前の時代には、”政治は外交の延長”と称されたように、戦争そのものは違法行為でも犯罪でもなく、その終結は、当事国の合意に基づく講和条約を以ってなされました。そうであるからこそ、講和条約には、相互恩赦や免責に関する条項が置かれ、戦時中に繰り広げられたあらゆる野蛮な行為を相互に不問に付したのです。ところが、戦争法の整備が進みますと、戦争は、政治問題であると共に司法の領域にも足を踏み入れます。このため、第一次世界大戦後の対独講和条約である「ヴェルサイユ条約」では、一般の戦争法違反の他に(B級戦犯に当たる…)、国家元首であったヴィルヘルム2世を“国際道徳と国際法の不可侵性に対する罪”を理由に訴追する条項まで設けられたのです(A級戦犯、及び、C級戦犯…)。このことは、国際軍事裁判、あるいは、個別の戦勝国の裁判による処罰を求める講和条約が出現したことで、恩赦・免責に関する条約は、居場所を失うことを意味しました。講和条約において、軍事裁判の実施を書き込む方式は、第二次世界大戦時の「イタリアとの平和条約」まで踏襲されます。その一方で、日本国の場合は、極東軍事裁判所(東京裁判)が講和以前の時期に設置されたため、「日本国との平和条約」では、当裁判の判決の事後的な承認、並びに刑の執行と、戦犯の減刑・赦免の手続きという、一見矛盾するような内容が同時に書き込まれています(第11条)。つまり、新規の司法方式と旧来の政治方式が同居する奇妙な状況が見られるのです。結局、日本国政府は、後者の手続きに従い、旧連合国の合意を得た後、戦犯問題を赦免を以って解決します。
このことは、国際社会における戦争の処理方法が、合意の論理(政治)からルールの論理(司法)へと移行する過渡期にあって、若干の曖昧な部分を残しながらも、日本国の講和条約は、旧来の恩赦・免責方式の恩恵を受けることができたとも言えます(戦争の原因が極めて政治的であったことを考慮しますと、解決方法としては原因に対応しているとも言える…)。もっとも、中国や韓国がこの二重性から生じる隙に乗じているとしますと、ここで、混乱している政治と司法との関係を仕切り直し、国際法違反行為を裁く司法手続きとは別に(実際に、今日では、中立的な国際刑事裁判所が設置されている…)、政治的に敵対関係が解消され、国交が正常化された段階で、相互に相手国に恩赦と免責を与えるとする行動規範を、両大戦期を例外と見なして慣習国際法として再認識する、あるいは、一般国際法として条約化すべきではないかと思うのです。
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ところで、”戦犯”とは、如何なる存在なのでしょうか。”戦犯”の概念は、戦争法の登場によって出現したものです。それ以前の時代には、”政治は外交の延長”と称されたように、戦争そのものは違法行為でも犯罪でもなく、その終結は、当事国の合意に基づく講和条約を以ってなされました。そうであるからこそ、講和条約には、相互恩赦や免責に関する条項が置かれ、戦時中に繰り広げられたあらゆる野蛮な行為を相互に不問に付したのです。ところが、戦争法の整備が進みますと、戦争は、政治問題であると共に司法の領域にも足を踏み入れます。このため、第一次世界大戦後の対独講和条約である「ヴェルサイユ条約」では、一般の戦争法違反の他に(B級戦犯に当たる…)、国家元首であったヴィルヘルム2世を“国際道徳と国際法の不可侵性に対する罪”を理由に訴追する条項まで設けられたのです(A級戦犯、及び、C級戦犯…)。このことは、国際軍事裁判、あるいは、個別の戦勝国の裁判による処罰を求める講和条約が出現したことで、恩赦・免責に関する条約は、居場所を失うことを意味しました。講和条約において、軍事裁判の実施を書き込む方式は、第二次世界大戦時の「イタリアとの平和条約」まで踏襲されます。その一方で、日本国の場合は、極東軍事裁判所(東京裁判)が講和以前の時期に設置されたため、「日本国との平和条約」では、当裁判の判決の事後的な承認、並びに刑の執行と、戦犯の減刑・赦免の手続きという、一見矛盾するような内容が同時に書き込まれています(第11条)。つまり、新規の司法方式と旧来の政治方式が同居する奇妙な状況が見られるのです。結局、日本国政府は、後者の手続きに従い、旧連合国の合意を得た後、戦犯問題を赦免を以って解決します。
このことは、国際社会における戦争の処理方法が、合意の論理(政治)からルールの論理(司法)へと移行する過渡期にあって、若干の曖昧な部分を残しながらも、日本国の講和条約は、旧来の恩赦・免責方式の恩恵を受けることができたとも言えます(戦争の原因が極めて政治的であったことを考慮しますと、解決方法としては原因に対応しているとも言える…)。もっとも、中国や韓国がこの二重性から生じる隙に乗じているとしますと、ここで、混乱している政治と司法との関係を仕切り直し、国際法違反行為を裁く司法手続きとは別に(実際に、今日では、中立的な国際刑事裁判所が設置されている…)、政治的に敵対関係が解消され、国交が正常化された段階で、相互に相手国に恩赦と免責を与えるとする行動規範を、両大戦期を例外と見なして慣習国際法として再認識する、あるいは、一般国際法として条約化すべきではないかと思うのです。
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