リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

暦をめくれば次の1年が始まる

2024年01月02日 | 日々の風の吹くまま
1月1日(月曜日)。🌫🌤☁。寝たのはほぼ1時だったけど、ぐっすり眠って8時ちょっと過ぎに起床。ゆうべはいつもの寝酒をスキップして、携帯の時刻を横目で見ながらシャンペンフルートと冷えたプロセッコを用意して、11時58分にプロセッコのコルクを抜いて、11時59分に2つのフルートに注いで、12時と共にハッピーニューイヤー。同時に外でにぎやかに花火の音がしたけど、霧が出ていて何も見えない。バルコニーに出て深くなる夜霧を眺めていたら、今度はけたたましいサイレンが鳴り出して、3台か4台のパトカーが8番ストリートを6番アベニューに向かって突っ走って行くのが見えた。新しい年が明けて30分も経ってないってのに、やれやれ。


元旦の朝~午前8時7分

元旦の朝~午前8時8分

初日の出~午前8時13分

朝日~午前9時10分

けさは少し冷えて、起きた時の気温は3度。北の方から東と回って流れて来た濃い霧の塊がフレーザー川に沿って下流までびっしり。リビングの窓際に立つと、すぐ下の6番ストリートのガソリンスタンドの看板の明かりとその先半丁ほどの建物の輪郭が薄っすらと見えるだけで、川向こうのサレーの丘の上の高層群まで一面の霧の海。でも、霧の上の空は晴れているので、何だか北極圏の大雪原を見ているような感じがして、犬ぞりで駆け回ったらさぞかし爽快だろうなあ。日が昇ってからは霧がどんどん厚みを増して、市内で一番高い丘の上に建っている我が家のバルコニーのすぐ下まで迫って来たけど、時間と共に少しずつ薄くなって、川の方に退却して、休日でほとんど車が通らない道路が見えて来た。

朝ご飯を食べながらメールをチェックしたら、ニューヨークタイムズの「日本で大きな地震発生」というニュース速報のメール。元旦早々にいったいどこだろうとすぐにサイトにリンクしたら、何と能登半島でM7.5の地震。津波警報が出ていて、輪島市は大変なことになっているらしい。すぐに石川県出身の友だちに家族は大丈夫かとテキストを送って、PCを立ち上げて新聞めぐり。あの辺りでは説明のつかない群発地震が起きていて、しばらく前に断層に浸み込んで溜まった水の圧力が原因ではないかという記事が呼んだ記憶があるけど、調査や研究が進む前に地層がその圧力に耐えきれなくなったということかな。私たちが輪島の曽々木海岸に行ったのはずいぶん遠い昔のことだったような気がするけど、海に面した旅館に泊まって、岩倉山を登って行って千体地蔵を見たことと女将さんに勧められて近くの神社(だったかな?)で勇壮な御陣乗太鼓を見たことは覚えている。若い女将さんは旅館に泊まるのは初めてでまごついていた私たちにとっても良くしてくれたっけ。今度の地震で被害はなかったのかな。

霧が晴れて来たけど、モールが休みで入れるかどうかわからないからウォーキングは休み。まあ、大晦日に年越しパーティで大騒ぎした後で二日酔いがちの元旦は休養ということになっているからいいか。元旦のメディアにいつも真っ先に登場するのが新年の赤ちゃん第1号。BC州の今年のファーストベイビーは3100グラムの女の子で、ニューウェストミンスターのロイヤルコロンビアン病院で誕生。両親がチェコまで行って不妊治療をしてやっと授かった第1子だそうで、名前はテイラーちゃん。時計が2024年1月1日午前12時を指すと同時に産声を上げたというからすごい。うん、いろいろあった1年が去った後には次の年が来てまたいろいろあって・・・人間が「暦」という時間を発明して以来延々と続いている儀式。年を重ねた私たちには「また1年」ということで、2人の暮らしも5月で49年。どんな年になるのやら五里霧中だけど、元旦のご馳走の準備をしようっと。


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