鶴岡市文化会館で演奏会がある時には、隣接した土地にあるので興味がありながらも、もう20年位見学に伺うことが出来ませんでした。山形響の定期演奏会も始まったのに・・・。鶴岡市文化会館は新しく建設される議論がなされているので、この古いホールで演奏するのも何回も無いかと思いますので、本日はゲネプロ終了後に見学に行きました。
案内板には
「国指定史跡 庄内藩校 旧到道館
到道館は、庄内藩酒井家九代酒井忠徳公が、士風を刷新して幕政の振興を図るために、文化二年(1805)に創設した庄内藩の学校です。 当時は鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から、文化十三年(1816)十代酒井忠器公によって鶴ヶ岡城三の丸(現在地)に移されました。 明治六年(1873)の廃校までのおよそ七十年間、徂徠学を基本に、孝梯忠信を重んじて庄内武士道の根源を培い、多くの人材を輩出しました。 その後、鶴岡県庁、鶴岡警察署、女子教育の明倫学校、朝暘第一・第二尋常小学校などに使われました。 昭和二十六年(1951)に貴重な文化財として国の史跡に指定されました。」とあります。
200年前の江戸時代に庄内藩の若者がここで学んでいたんですね。
見学は無料ですが、ゲネプロ終了後には門が閉ざされていました。16時半までなのかな見学は・・・。残念!
次の機会に・・・・。
案内板には
「国指定史跡 庄内藩校 旧到道館
到道館は、庄内藩酒井家九代酒井忠徳公が、士風を刷新して幕政の振興を図るために、文化二年(1805)に創設した庄内藩の学校です。 当時は鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から、文化十三年(1816)十代酒井忠器公によって鶴ヶ岡城三の丸(現在地)に移されました。 明治六年(1873)の廃校までのおよそ七十年間、徂徠学を基本に、孝梯忠信を重んじて庄内武士道の根源を培い、多くの人材を輩出しました。 その後、鶴岡県庁、鶴岡警察署、女子教育の明倫学校、朝暘第一・第二尋常小学校などに使われました。 昭和二十六年(1951)に貴重な文化財として国の史跡に指定されました。」とあります。
200年前の江戸時代に庄内藩の若者がここで学んでいたんですね。
見学は無料ですが、ゲネプロ終了後には門が閉ざされていました。16時半までなのかな見学は・・・。残念!
次の機会に・・・・。