らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

昔を思い出す。

2014年12月08日 23時59分59秒 | ヴィオラ
 昨日は、村山市での第九演奏会。

 今回の客演首席ビオラ奏者K子氏は、なんと私の音大入学前からの恩師でございました。

 普通大学を辞めて、ヴィオラでプロになろうと固く決意して音楽大学への入学を目指していた私は、それまでに習っていた先生の先生にレッスンをしてもらっていましたが、毎回レッスンに行くたびに「なんで普通大学辞めちゃったのぉ~?」「この道は厳しいよ」「今日は気分が悪いからレッスン代置いて帰って」などなどあまり良い雰囲気の関係ではなかったのでした。ある日、大雨の日にレッスンへ行ったら先生はおらず6時間も外で雨を傘で防ぎながら先生の帰りを待ったのでした。その先生は、暗くなった夜に酔っ払って帰宅。「まだいたのぉ~?帰ったかと思ったよ・・・」その場で、その先生の車を蹴飛ばし二度とその先生の門を叩かなかったのでした。今ではその先生の対応も理解できます。なにせ私、生意気なわりに弾けませんでしたから・・・。

 そうして、先生を捜す旅をしていた私に快く手をさしのべて下さったのが、このK子先生です。

 初めて池袋の自宅のチャイムを鳴らし、緊張していた私を笑顔で迎えてくれたK子先生は、音楽大学入学は勿論、その後U.コッホ先生の夏冬休みの帰国の際にもレッスンして下さいました。もう26、7年~前の話でございます。ウィーンに留学のためしばらく日本を離れた以外は、フリーの間も面倒をよく見ていただき、特にエキストラでよく呼んでいただいた新日フィルでは、先生の後ろ姿ばかり眺めておりました。山形響に入団後はしばらくご無沙汰でしたが、春にみなとみらいで再会して今回の話と進んで参りました。先生の隣で演奏するなんて、初めてお会いした頃は想像もつかないくらい雲の上の話で、本当に人生の良い思い出になりました。「うわぁ~先生の隣で演奏しているよ私!!」

 先生は今年新日フィルを定年され、現在では再雇用で元気にフォアシュピーラーを務めていらっしゃいます。相変わらず練習の虫で、舞台裏では演目を黙々と最終確認しながら練習されていました。いつまでも越えられない高すぎる壁です。

 プロを目指そうと思っていた頃の大元の初心にかえった3日間でした。
コメント (2)
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