らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

左荒線

2010年12月30日 23時59分46秒 | 山形県
 まったくの戯言・夢物語として読んで欲しい。

 1922年4月に左沢線、1923年4月長井線(現在のフラワー長井線)が全線開通した。そして、荒砥駅と左沢駅を結び、木材・石材・養蚕などを運ぶ左荒線(さこうせん)の計画が1926年に県議会に意見書として提出された。そして、1940年(昭和15年)に完成と一時は決定されたのであった。

 その後、第二次世界大戦のために工事が中止されて、その後も何度も地元からの陳情がありながら(左荒線期成同盟会を中心に復活運動が展開された)ついに1996年に実現のために運動していた団体も解散してしまった。

 とここまでは、Web上で調べた歴史的背景。

 西村山郡から白鷹町に住んでいる人達にとって、この左荒線というのは夢になりうる話だと思う。

 山形県の真ん中あたりの山間地域に住む人にとって、今人口減少や少子高齢化が大きな問題になりつつある。歴史にもしはないが、もしこの左荒線が実現していたら、ここまで地域が疲弊しなかったと思う。山形駅から東京の山手線のようにその地域をぐるりと鉄道が走っているのだから、良いベッドタウンにもなりえたし・・・・・・・。

 雪深いこの地域にとって、高齢化が進んでも車の免許を返納出来ないのには大きな理由がある。交通の便があまりにも悪いのだ。

 今は技術も発達し、鉄道を走った汽車の車輪をたたんで普通の道路を走る事が出来る車両があるらしい。線路が敷けないのなら、フラワー長井線の荒砥駅から国道287号線沿いを走り、左沢線に乗り上げる交通網を作ってはどうだろうか???

 1日に(2本で良いから)山形から2周してくれないだろうか??

 そして、もしこの地域の事を見捨ててないのなら是非、いつか左荒線を実現してもらえないだろうか!!繋がっていない高速道路は利用に不便だが、繋がっていない鉄道もまた使い勝手が悪い。フラワー長井線が頑張っているのは県民ならみんな知っているが、未来に対してもう少し夢を持ちたい。

 1年に1回でも蒸気機関車が走れば、それこそ日本中から人が集まると思うし。

 大江町~朝日町~白鷹町と渓谷の横を機関車が走る姿を想像しただけで、心が躍るようだ。暴論を吐けば、たかが30Kmの距離を1年に3Kmずつ伸ばしてくれれば10年で完成出来るし。どこかのお金持ちが投資してくれないかな・・・・・・。地域が復興する外科手術になり得ると思う。

 **ちなみに季節限定・土日限定で、レトロバスが幻の左荒線の経路で運転している。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>新庄つばめさま (らびお)
2013-05-26 01:18:41
こんにちは。コメントありがとうございました。
山形の各地域の活性化のために長期的な計画は大切でしょうね。
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同感です。 (新庄つばめ(筆名))
2013-05-23 11:30:58
私も同じように思いました。荒砥、左沢両方行ったことがあるのですが、荒砥方は公共交通が壊滅に近い有様でした。昔は山形交通が左沢ー朝日の今の路線と共に荒砥ー朝日の路線を運行していましたがその後大瀬を境に分断され09~10年にかけて全廃されてしまいました。公共交通がなくなると町は死にます。乗り合いバスを復活させるべきだと思います。
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