Johnny Griffin / Vol.2 ( Blue Note 1559 )
内容の空虚なキレイ系とか、ちょっと考えすぎなのでは?とか、小さく纏まった感じとか、現代ものにはよくある最後まで聴くのが苦痛になる音盤に
出会った後に引っ張り出すのがこれです。 ブローイングセッションと言われるものはたくさんありますが、とにかく野蛮で粗野な感じがすることに
かけては右に出るものがいないので、音楽的には聴くべきところが何もなくても私にはきちんと存在理由のある音盤です。
曲の出だしはグリフィンがメロディーをストレートに吹いていて、深みのある音色も相俟って素晴らしいと思いますが、すぐにいつもの調子が始まり、
何だかなあ、と聴き手が置いてきぼりにされてしまいます。 ブルー・ノートではいつも優等生なリー・モーガンも珍しくはすっぱな感じだし、
コルトレーンも来たるインパルス時代を予期させるようなフレーズだったり、モブレーは居場所がなくて居心地悪そうだし、みんなが好き勝手に
好きなように演っています。
でも、そういう各々の個性が手に取るようにわかったり、好き勝手に振舞いながらも最後は自然と1か所に集まってくる感じは現代の録音ではもう決して
見られないもので、ジャズの原点のようなところがあります。 古い演奏が決して滅びないのは、やはりその時代にしかなかったものがそこにあるから
なんだと思います。
このザラッとした質感はやはり独特で、演奏がつまらないなあと思ったことはなく、時々この荒っぽさを味わいたくて何度も聴くことになる不思議な
レコードです。 まあ、ブローイングセッションなので、演奏がいきなり立ち上がって、ワァーっとみんなが一斉に駆け出して、そしてあっという間に
演奏が終わってしまっている、というまるで子供の運動会の徒競走のような感じですが、苦笑しながらも手放さないでいるのは、やはりこの演奏に
どこか惹かれるところがあるからなんだろうと思います。
元々、ジョニー・グリフィンという人にはどこか陰を持ったようなところがあって、これも決して能天気なセッションにはならず、どこかうっすらと
暗さが漂っているようなところがあり、そのことをジャケットデザインがうまく暗示しているような気がします。