Miles Davis / Miles In Tokyo ( 日 CBS Sony 60064-R )
ジョージ・コールマンがマイルスのバンドを辞めたのは、トニー・ウィリアムスが彼を嫌ったからだ。 ジョージ・コールマンはコードを完璧に吹きこなして
破たんを見せないテナー奏者だったが、トニーはそういう予定調和を嫌った。 間違ったりヘマをしでかしても、何をやるのか見当もつかない、そういう
ミュージシャンを好んだ。 当時19歳だったトニーは随分年上のジョージを露骨に毛嫌いし、ハービーやロンと結託してマイルスが体調不良でライヴを
休んでテナーカルテットとしてステージに立った時にわざとフリーっぽい演奏をしてジョージを困らせたりした。 コルトレーンがバンドを去る時に
ジョージを推薦してマイルスは彼をバンドに入れて結構気に入っていたわけだが、その後のバンドがトニーのドラムを中心にサウンドが組み立てられる
ようになると、ジョージもさすがに居心地が悪くなり、止む無くバンドを去った。
ジョージがバンドを抜けた後、トニーは真っ先にエリック・ドルフィーを推薦したが、マイルスはドルフィーの出す音や演奏が嫌いでこれを却下、その後
目を付けていたウェイン・ショーターがやって来るまでいろんなサックス奏者がこのバンドを去来した。 サム・リヴァースもトニーが連れてきた1人で、
それはちょうど日本へのツアーの直前だったので、マイルスはリヴァースを同行させた。
初めて訪れる見知らぬ国で想定外の大歓迎を受けて気を良くしたマイルス御一行の演奏は中々出来が良く、アメリカのクラブでやっていた粗削りなもの
とは違い、隅々まで神経の行き届いた丁寧な演奏に終始している。 保守的なお国柄を考慮したようで、レパートリーも保守的、演奏内容もフリーキーな
要素はゼロ。 マイルスの美意識に覆われた上質な高級感で黒光りするような色合いの演奏になっている。
こういう空間ではサム・リヴァースも本来の持ち味は発揮できず、借りてきた猫のようなおとなしさ。 正直、これならテナーは誰でもよかったんじゃ
ないだろうか。 フレーズにはいろいろ工夫を施しているけれど、マイルスが設定した枠の中からはみ出るようなこともなく、意外な優等生ぶりを見せる。
ただ、やはり彼の音やプレイにはドルフィーの匂いがあるせいだろう、その後の常設メンバーになることはなかった。
この時期のマイルスのディスコグラフィーはライヴアルバムが連続するが、この作品が一番おとなしい。 当時こういうレガシーなスタイルにはもはや
興味はなかっただろうが、そこは音楽ショウと割り切った内容で、時期的にこういう旧式路線の演奏を聴くことは本来ならできなかったはずなのだから、
実は大変意義のある貴重な演奏の記録となっていると思う。 そのことがわかれば、十分楽しめる作品だ。