今年はセロニアス・モンクの生誕100周年だというのに、どうも世間では盛り上がっていないようで何だかつまらない。 こんなことでいいのかと思うけど、
文句ばかり言ってても仕方ないので、一人でささやかなお祝いをしよう。
ただお祝いと言っても、私に出来ることは手持ちのアルバムのことをボソボソと語ることくらい。 別にモンクのコアなファンでもないし、コンプリートを目指す
コレクターでもないから、家にあるレコードはたかが知れている。 目の前に広がる中古レコードの広大な海を前にして、気が向いて、タイミングが会えば
手にしてきたという程度なので、不完全な記録にしかならない。 でも、一度棚卸するにはちょうどいい機会かもしれないなと思う。
これまで取り上げてきたアルバムは除外して、まだ触れていないものを時間を遡る形で書いていく。 ジャズという音楽と自身の生涯を重ね合わせるようにして
生きたモンクの晩年は、ジャズの在り様と同様に寂しいものだった。 だから、旧いものから時系列に進めるよりは、一番良かった時代を目指して遡るほうが
ハッピーな形で終われるような気がする。 終わりよければ、すべてよし。 それが私なりのモンクへの敬意と愛情の表し方なのだ。
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Thelonious Monk / In Tokyo ( 日 東芝音楽工業 Express EP-8010 )
セロニアス・モンクは1963年から70年代初頭にかけて複数回来日しているが、これは1970年10月に「第2回 ニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパン」
に参加したモンク・カルテットが東京厚生年金ホールで演奏したライヴを収録したもので、最後の2曲は宮間利之とニュー・ハードとの共演になっている。
この時のカルテットはテナーが Paul Geffreys、ベースが Larry Redley、ドラムが Lenny McBrowne というメンバーで、これが最後のレギュラー・カルテットだった。
このメンバーによる演奏については、私はこれ以外には聴いたことがない。
モンクはこの数年後に演奏から遠のいてしまう訳だけど、ここではそんなことが信じられないくらい闊達な演奏をしている。 "Don't Blame Me" では、
長尺なソロ演奏まで披露している。 それは今までと何も変わらないモンクの演奏になっている。 新しいバックのメンバーも破たんのないなめらかで
上手な演奏で、モンクの音楽の雰囲気やエッセンスを最大限に生かす我を抑えた対応をしており、十分な満足感を覚えることがことができる。
日本のビッグバンドをバックに配しても何を気にするでもなく、モンクは唸り声をあげながら力強い打鍵で弾き切っていく。
この中では "Evidence" が1番の名演だ。 長い演奏で全員のソロ・スペースをたっぷりと取って1人1人がしっかりと主張しながらも、全体の調和がとれていて、
音楽的な成熟の極みを感じる。 テナーを常設にしたレギュラーカルテットになって以降はマンネリだと言われるけど、注意深く聴いていくとその音楽が徐々に
バンドサウンドとして纏まり、熟していっているのがわかるはずだ。 そこにはマイルスのような劇的な飛躍はないかもしれない。 でも、浮き沈みの激しい
ジャズの世界で自分の世界観を披露できる場を持ち、それを見守ってくれる大勢の人がいたなんて素晴らしいことじゃないかと思う。
この演奏の音源自体は珍しいものではないけれど、掲載のレコードは東芝が最初に発売する際に権利関係の問題がクリアになっていなかったためにリリース直前に
回収したという曰くつきの初版のもの。 結局、1978年になってFar Eastレーベルからようやくレギュラー版が正式発売されるというドタバタがあった。
音質も十分によくて、観客の存在を後退させてステージ上の演奏をしっかりと前面に押し出したミキシングが功を奏し、演奏が生々しい状態で体験できる。
ビッグバンドがモンクの代表作を手の込んだアレンジでしっかりと演奏するなど、当時の日本側の手厚い応対ぶりが手に取るようにわかり、きっとモンク自身も
満足したのでないだろうか。 でなければ、あれほど頻繁には来日することもなかっただろう。 日本の先達がきちんと厚遇してくれて、よかったと思う。
文句ばかり言ってても仕方ないので、一人でささやかなお祝いをしよう。
ただお祝いと言っても、私に出来ることは手持ちのアルバムのことをボソボソと語ることくらい。 別にモンクのコアなファンでもないし、コンプリートを目指す
コレクターでもないから、家にあるレコードはたかが知れている。 目の前に広がる中古レコードの広大な海を前にして、気が向いて、タイミングが会えば
手にしてきたという程度なので、不完全な記録にしかならない。 でも、一度棚卸するにはちょうどいい機会かもしれないなと思う。
これまで取り上げてきたアルバムは除外して、まだ触れていないものを時間を遡る形で書いていく。 ジャズという音楽と自身の生涯を重ね合わせるようにして
生きたモンクの晩年は、ジャズの在り様と同様に寂しいものだった。 だから、旧いものから時系列に進めるよりは、一番良かった時代を目指して遡るほうが
ハッピーな形で終われるような気がする。 終わりよければ、すべてよし。 それが私なりのモンクへの敬意と愛情の表し方なのだ。
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Thelonious Monk / In Tokyo ( 日 東芝音楽工業 Express EP-8010 )
セロニアス・モンクは1963年から70年代初頭にかけて複数回来日しているが、これは1970年10月に「第2回 ニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパン」
に参加したモンク・カルテットが東京厚生年金ホールで演奏したライヴを収録したもので、最後の2曲は宮間利之とニュー・ハードとの共演になっている。
この時のカルテットはテナーが Paul Geffreys、ベースが Larry Redley、ドラムが Lenny McBrowne というメンバーで、これが最後のレギュラー・カルテットだった。
このメンバーによる演奏については、私はこれ以外には聴いたことがない。
モンクはこの数年後に演奏から遠のいてしまう訳だけど、ここではそんなことが信じられないくらい闊達な演奏をしている。 "Don't Blame Me" では、
長尺なソロ演奏まで披露している。 それは今までと何も変わらないモンクの演奏になっている。 新しいバックのメンバーも破たんのないなめらかで
上手な演奏で、モンクの音楽の雰囲気やエッセンスを最大限に生かす我を抑えた対応をしており、十分な満足感を覚えることがことができる。
日本のビッグバンドをバックに配しても何を気にするでもなく、モンクは唸り声をあげながら力強い打鍵で弾き切っていく。
この中では "Evidence" が1番の名演だ。 長い演奏で全員のソロ・スペースをたっぷりと取って1人1人がしっかりと主張しながらも、全体の調和がとれていて、
音楽的な成熟の極みを感じる。 テナーを常設にしたレギュラーカルテットになって以降はマンネリだと言われるけど、注意深く聴いていくとその音楽が徐々に
バンドサウンドとして纏まり、熟していっているのがわかるはずだ。 そこにはマイルスのような劇的な飛躍はないかもしれない。 でも、浮き沈みの激しい
ジャズの世界で自分の世界観を披露できる場を持ち、それを見守ってくれる大勢の人がいたなんて素晴らしいことじゃないかと思う。
この演奏の音源自体は珍しいものではないけれど、掲載のレコードは東芝が最初に発売する際に権利関係の問題がクリアになっていなかったためにリリース直前に
回収したという曰くつきの初版のもの。 結局、1978年になってFar Eastレーベルからようやくレギュラー版が正式発売されるというドタバタがあった。
音質も十分によくて、観客の存在を後退させてステージ上の演奏をしっかりと前面に押し出したミキシングが功を奏し、演奏が生々しい状態で体験できる。
ビッグバンドがモンクの代表作を手の込んだアレンジでしっかりと演奏するなど、当時の日本側の手厚い応対ぶりが手に取るようにわかり、きっとモンク自身も
満足したのでないだろうか。 でなければ、あれほど頻繁には来日することもなかっただろう。 日本の先達がきちんと厚遇してくれて、よかったと思う。