Thelonious Monk / Underground ( 米 Columbia CS 9632 )
"Ugly Beauty" というモンクのオリジナル曲に心奪われる。 モンクの特徴的なメロディー、つまりメロディーの音階が上がる際に聴き手の想像する音の
半音低いところに着地する音の置き方、がいかにもこの人らしい。 新曲のオリジナルなのに、そのせいでどこかで聴いたことがある曲のようにも思える。
そういうモンクズ・メロディーを、チャーリー・ラウズの柔らかいテナーが何度もリフレインする。 これがすごく効いている。 モンクは管楽器奏者に対して
メロディーをしっかり吹くように常に指示していた。 そして、そのメロディーに対して自分がユニゾンで追従することによってモンクズ・ミュージック独自の
アンサンブルが産み出せると考えていた。 これが、コロンビア時代の演奏がマンネリに聴こえる主な要因になっている。 ラウズはそういうモンクの指示に
常に忠実に従った。 ここは新しい実験をする場ではなく、あくまでモンクの世界を描くための場であるとでも云うように。 そこはまるで周囲を高い壁でグルリと
囲まれた小さな侯国であるかのようだ。
"Boo Boo's Birthday" も、同種のメロディーを同様の手法によって描かれている。 モンクのオリジナル曲が鳴り始めると、私たちはそういう不思議な
場所へと連れて行かれる。 ジャズがどうのこうの、という話などはとっくに超越している。 コロンビア時代のモンクの音楽の意味は、おそらくはそういう
オリジナル曲で固めた何枚かのアルバムによって築かれた寓話や戯画のような世界観を観ることにある。 コロンビアとの契約によって決められた枚数の
レコードを作る必要があったので、継ぎ接ぎで編集されたライヴ盤やお馴染みのスタンダード集もリリースされた。 そのせいで我々は目移りして気が散って
しまうけれど、リヴァーサイドの "ブリリアント・コーナーズ" が途中まで造りかけた「バベルの塔」だとすれば、コロンビアのこの アンダーグラウンド" を含む
何枚かのアルバムは、モンクの内的世界が現実世界に具現化した、なぜか邪魔ばかり入って中々辿り着くことができない、雪深く閉ざされた「城」である。
モンクがコロンビア時代に発表したオリジナル曲はその後にスタンダード化しなかった。 それ以降のジャズ・ミュージシャンたちが取り上げなかったからだ。
彼らはなぜ、40~50年代のミュージシャンたちがこぞってモンクを勉強して自分のモノにしたように、60年代のモンクを演奏してこなかったのだろう。
レコード会社のプロデューサーたちは、なぜミュージシャンにそういう提案をしてこなかったのだろう。 みんな、他のことに忙しかったのだろうか。
でも、今からでも決して遅くはない。 コロンビア時代のモンクの楽曲に光を当てて欲しいと願わずにはいられない。
私もこのレコードがああ好きで、その1の時になぜかすぐ頭をよぎったのですよ。で、おおっと反応。(笑)
"Ugly Beauty" と、このビザールなジャケのせいですかね。
奇妙な感じと落ち着きを感じさせるのです。
モンクのコロンビア盤は不当なほど無視されていますね。なんでかなあ、とよく考えます。
演奏は熟しているし、音質もいいし、安く買えるし、いいとこだらけなのに、なぜ?
安いから、軽く見られるんですかね? 困ったもんです。