Miles Davis / My Funny Valentine ( 米 Columbia CL 2306 )
これはハービー・ハンコックが主役のアルバム。 旧い歌物のスタンダードが、まるで初めて聴く曲のように新しい色に全面的に塗り替えられている。
それまでのバップという概念はここには影も形もない。 まるで、ドビュッシーのピアノ曲を聴いているような錯覚に陥るくらい、何もかもが新しい。
これは、アメリカ生まれの音楽の中に初めて「印象派」が登場した瞬間だったかもしれない。
1964年2月12日にリンカーン・センターのフィルハーモニック・ホールで行われたチャリティー・コンサートにノーギャラで出演したマイルス・バンドの
演奏をミディアム・サイドとアップ・サイドに仕訳して、まるでそれぞれ別のコンセプト・アルバムであるかのように編集したテオ・マセロが一体どこまで
深読みしていたのかはわからないけれど、結果的にこの時期のマイルス・バンドのやっていた音楽の独自性がくっきりと浮き彫りになる。
捉えどころがないような不思議な浮遊感、清流から汲み取った冷水のような透明感、自由なのに一糸乱れぬ統一感、これらが互いに干渉することなく
同居するさまは凄まじい。 そういう意味でも、このアルバムの後世への影響の大きさは計り知れないものがあるだろう。 これまでのジャズの歴史の中で
こういう音楽をやった事例はおそらくない。
瞑想の中に深く沈んでいくような時間と、ふっと我に返ってリズムが戻って来る時間が交互に立ち現れる。 それはまるで人の意識の流れのように。
既成のものから解放された音楽はこうまで身軽で気持ちのいいものなのか、と思う。 やはり、音楽としての次元が違うというのを感じる。